ロシア・ウクライナ・ベラルーシ探訪 服部倫卓ブログ

ロシア・ウクライナ・ベラルーシを中心とした旧ソ連諸国の経済・政治情報をお届け

カテゴリ: 音楽・映画・番組鑑賞

 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、今週4位のYou’re The One - Voguesは、英国の女性歌手、ペトゥラ・クラークが前年に出したものがオリジナルである。当時、ペトゥラ・クラークはまだアメリカでは「Downtown」で注目され始めた頃だったので、ヴォーグスが「You’re The One」をアメリカ市場向けに取り上げたのは、非常にタイミングが良かったのだろう。個人的には両バージョンとも同じくらい好きである。

その頃ソ連では
1965年11月5日:レニングラードで、かつてスピリドノフの邸宅だった場所に、出生登録式場「マリュートカ」が開設される。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、ビートルズと双璧を成す英国勢のロックバンドとして、ローリングストーンズが完全に軌道に乗り、今週はGet Off Of My Cloud - The Rolling Stonesが1位に駆け上がった。前作 (I Can't Get No) Satisfactionの大ヒットを受け、当時レコード会社やマネージャーが「次のシングルをすぐに出してくれ」と急かしたため、ミック・ジャガーとキース・リチャーズは非常に短期間で本作を作り上げたという。キースは後年、「『Satisfaction』の後でプレッシャーがすごかった。『もういいよ、ほっといてくれ!』という気分をそのまま曲にした」と語っている。

その頃ソ連では
1965年11月5日:レニングラードでアレクサンドル・ネフスキー橋が竣工。当時は街で最も長大な橋だった。

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 さて、黒人ガールグループの佳曲、A Lover’s Concerto - Toysは、この週の2位がピークだった。この曲は、ペツォールトの「メヌエット」というクラッシック曲からメロディーをとり、アレンジ的には当時全盛だったモータウンサウンドを拝借するという、なかなか要領の良いものだった。個人的には、モータウンのエースであったスプリームスが、意趣返しとばかりに、この曲をカバーしているバージョンが、完成度が高く好きである。

その頃ソ連では
1965年11月3日:アジア、アフリカ、ラテンアメリカ諸国民の連帯に関する第1回会議の開催を準備する委員会がソ連で設置される。

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 今週5位に、Keep On Dancing - Gentrysという曲がいる。個人的には、Bay City Rollersのカバーで長年親しんできたのだが、今回初めて、そのオリジナルを聴いた。

その頃ソ連では
1965年10月26日:南ローデシアの白人少数派による「独立」宣言の試みにソ連国営タス通信が抗議の声明。

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 亡くなった渋谷陽一氏が、「人が言うほどオーティス・レディングでもない」というようなことを発言していて、実は私も似たような感じである。ディープソウルの歌手では、もっと好きな人が色々いる。でも、今週46位のRespect - Otis Reddingは、文句なく好きだ。

その頃ソ連では
1965年10月15日:ソ連とオーストラリアの長期通商協定が締結される。

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 さすがに1位のイエスタデイは誰でも脳内再生できるので、別の曲を取り上げよう。今週10位のDo You Believe In Magic - Lovin’ Spoonfulは、有名曲ながら、ビルボードでは最終的に9位止まりだったようだ。フォーク・ロックとサンシャイン・ポップを繋ぐ重要な転換点に位置付けられる作品ということである。

その頃ソ連では
1965年10月13日:ソ連・ブルガリアの1966~1970年長期通商協定が締結される。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 先週のゴリゴリのプロテストソングとは打って変わって、今週は楽しげなHang On Sloopy - McCoysがチャートのトップに立った。そのことについて、またぞろChatGPTに問題提起したところ、ざっと以下のようなお答えをいただいた。

 確かに、「Eve of Destruction」と「Hang On Sloopy」は1965年秋の全米No.1曲ですが、内容も空気感も真逆に近い存在です。「Hang On Sloopy」は、深刻な社会批判ではなく、若者向けダンス・パーティーの盛り上げ役として記憶されるような曲です。The McCoysは、オハイオ州出身の若いロックバンド(リーダーのリック・デリックは当時16歳)。曲の位置付けは、ガレージロック/パーティー・ロックの典型。単純でキャッチーなリフ、繰り返しの多い歌詞、シンプルな構成。踊れるロック”としての魅力が強く、プロテストソングのような思想性はほぼゼロ。Bang Recordsは、当時新興のレーベルで、オーナーのBert Bernsが手掛けた初期の成功例。同時期にVan Morrison(Them)やNeil DiamondもBangから出ており、ポップとR&Bをつなぐ存在として機能していた。「Eve of Destruction」のような重い社会派メッセージの直後に、何も考えずに楽しめる曲がNo.1になったことで、当時のチャートがいかに多様で、時に振れ幅が激しかったかがよく分かる。たった1週間で“世界の終わり”から“学園祭のダンスパーティー”へ空気が一変したわけです。

その頃ソ連では
1965年:カザフ共和国のウゼニ油田(マンギシラク)で最初の石油の噴出を見る。

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 さて、今週1位のEve Of Destruction - Barry McGuireは、曲名・歌手名はよく目にするものの、これまでちゃんと聴いたことがなかった。例によってChatGPTに訊いてみたところ、次のような曲ということである。

 Barry McGuire のEve of Destructionは、1960年代アメリカを象徴する社会派プロテストソングのひとつで、歌詞の内容・時代背景の両面から当時の若者や保守層の間で大きな論争を呼びました。歌詞は、1960年代半ばのアメリカ社会・国際情勢に対する批判や不安を、短いセンテンスで畳みかけるように並べています。主なモチーフは、1.ベトナム戦争、2.公民権運動と人種差別、3.核戦争の恐怖、 4.若者の徴兵と投票権問題。発売直後に全米チャート1位を獲得(1965年9月)。しかし保守派や一部の放送局は「反米的」「士気を下げる」として放送禁止に。一方で、若者や反戦派からは共感を集め、後のプロテストソング・ブームの先駆けになった。Barry McGuireはもともとポップ寄りのフォークグループ出身でしたが、この曲で一躍“怒れる反戦歌手”のイメージが定着。歌詞は1960年代半ばの出来事をかなり直接的に引用しており、今聴いても時代の空気がそのまま詰まっているのが特徴です。

その頃ソ連では
1965年9月27日:ソ連とガンビアの外交関係が、ソ連側からはセネガルにあるソ連大使館を通じて行われることに。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、チャートを眺めて、皆さん何か、異変にお気付きにならないか? 実は、5曲連続1位という快挙を続けていたシュープリームスが、ついにNothing But Heartaches - Supremesでコケて、最高11位に終わってしまったのである。今週はもう、23位まで下がっている。別にこの曲でクオリティが急に落ちたというわけでもないのだが、それだけこの時代の米チャートは生き馬の目を抜く世界だったのだろう。別にシュープリームスが落ち目になったわけではなく、しばらく後にはまた4曲連続No.1という快進撃を見せるのである。

その頃ソ連では
1965年9月14日:レニングラードで、後のロシア大統領、ドミトリー・メドヴェージェフが誕生。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 のちにノーベル文学賞にまで上り詰めるボブ・ディランだが、代表曲の一つ、Bob Dykan - Like A Rolling Stoneはチャートのトップには立てず、2位止まりだった。ところで、恥ずかしながら私はこの作品のオリジナルシングル・レコードを持っていないのだが、何しろLike A Rolling Stoneは6分以上ある曲なので、当時のシングル盤ではありえない長さであり、1曲を途中で切ってA面・B面に分けて収録したのではないかと、これまで想像していた。しかし、今回調べてみたところ、コロンビアは頑張って同曲全体をA面に収め、B面には他の曲を入れていたということが確認できた。上の動画は、そのオリジナルシングル・レコードが回っている様子である。

その頃ソ連では
1965年:カザフ共和国のアチサイ多金属コンビナートと共和国教育機関の職員グループがレーニン賞の受賞者に選出される。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 今週1位は、今さら説明の必要なし、The Beatles - Help! となっている。ヒットチャートを紹介する趣旨なので、シングル盤のモノラルバージョンでどうぞ。

その頃ソ連では
1965年9月1日:ベラルーシ共和国のミンスクで共和国科学教育図書館が開設される。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 Unchained Melody - Righteous Brothersは、後年に映画「ゴースト」でも効果的に使われ、オールディーズ屈指の人気曲と言っていいが、順位的にはこの週と次週の4位が最高だった。この曲のオリジナルシングル・レコードをどうにかして入手したいのだが、まだ現物を見たことがない。

その頃ソ連では
1965年8月:ベラルーシ共和国科学アカデミーに核エネルギー研究所が創設される。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 メロディアスなヒット曲が満載なこの時代にあって、今週14位のPapa’s Got A Brand New Bag - James Brownは異彩を放っている。これだけゴリゴリのファンク曲を取り上げるのは、本シリーズで初めてだと思う。時代は激しく動いている。

その頃ソ連では
1965年8月21日:ソ連の衛星国、ルーマニアで新憲法が発効。国名はルーマニア社会主義共和国に。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 今週1位は、白人の男女デュオによるI Got You Babe - Sonny & Cherである。私はAtlanticのR&Bはそれなりに聴いてきたが、そのサブレーベルであるAtcoレーベルから出たこの曲を、これまであまり良く認識していなかった。

 最近は、何か気になったことがあると、すぐChatGPTに訊くのが習慣になった。以下がそのやりとり。

 Q.Atcoレーベルは、どんな位置付けのサブレーベルだったのですか? 白人専用というわけではないですよね?

 A.そうです、Atco Records は「白人専用レーベル」ではありませんでした。ただし、設立の背景や初期の運営方針をみると、Atlantic本体とは少し役割が分かれていて、結果的に白人アーティストやポップ寄りの作品が多くなる傾向がありました。位置付けと特徴:1. ジャンル実験の場 Atlantic本体がR&Bやジャズ寄りのカタログを維持する一方、Atcoではポップス、ロックンロール、コメディレコード(スパイク・ジョーンズなど)、カントリー寄りの作品といった幅広いジャンルを試した。2. 白人アーティスト比率は高めだが限定的ではない 初期はBobby Darin(白人ポップ)、The Coasters(黒人R&B)、Ben E. King(黒人ソウル)などが同居。白人専用レーベルというより、「Atlantic本体では売りにくいジャンルや客層向け」を狙った多目的レーベル。3. ロック市場への足掛かり 1960年代後半になると、Atcoはイギリスやアメリカのロックバンド(Cream、Buffalo Springfield、Sonny & Cherなど)の拠点となり、Atlanticのロック部門的な位置付けが強まった。4. シングルとアルバムの両面で機能 シングルではポップやソウルの新曲試験場、アルバムではロック・アーティスト育成の場という二つの役割を果たした。

 Q.そういう意味では、Sonny & Cherなどは、いかにもAtcoらしいアーティスト、ということになりますね。

 A.まさにその通りです。Sonny & Cher は、まさに「Atcoらしさ」を体現した代表的な存在です。理由はいくつかあります。1. 白人ポップ・デュオ 1960年代半ばのAtcoは、黒人R&Bに加えて白人向けポップ市場の開拓にも力を入れていました。Sonny & Cherはその中心的存在で、「I Got You Babe」(1965年)はまさにクロスオーバーヒットとして白人・黒人両市場で受け入れられた。2.  ジャンルの横断性 彼らの曲はフォーク、ポップ、ロックが混ざったスタイル。Atcoはこういう「どの棚に置くべきか迷う音楽」を得意としていたんです。Atlantic本体ではやや異質ですが、Atcoでは自然にハマった。3. アルバム+シングル両方で成功  シングル「Baby Don’t Go」「The Beat Goes On」などのヒットを連発。 同時にアルバム市場でも存在感を発揮し、Atcoの商業的柱になった。4. イメージ戦略の柔軟性 Sonny & Cherはファッションやテレビ出演も含めて若者文化を象徴。Atcoは彼らを単なるレコードアーティストとしてではなく、メディア横断的なポップアイコンとして売り出した。

 なるほど。納得すぎる。

その頃ソ連では
1965年8月6日:ソ連とアフガニスタンの間で1931年6月24日に締結された中立・相互不可侵条約の延長に関する議定書が交わされる。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 今週1位が、あまりにもどうでもいいような曲なので、39位のSince I Lost My Baby - Temptationsを取り上げてみたい。個人的なことながら、1990年代にニューヨークに行った時にこの曲のオリジナルシングルを買い、帰国後に聴いてみたところ、その太く豊潤なサウンドに、いけないお薬でもキメたかのような快楽を味わった。その体験があるので、私は今でもこの時代のレコード、とりわけモータウンを収集しているのだ。

その頃ソ連では
1965年7月17日:ラトビア共和国、リトアニア共和国が、共和国創設25周年を祝い、レーニン賞を授与される。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、チャートの上位は相変わらずスーパースター揃いで賑やかだが、今週29位に私好みの曲がいたので、今回はこれを取り上げる。Ride Your Pony - Lee Dorseyがそれであり、アラン・トゥーサンの手掛けたニューオリンズR&Bの名曲のひとつ。

その頃ソ連では
1965年7月28日:ソ連が「スプートニク5-1」を打ち上げ。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 コニー・フランシスが亡くなってしまったそうだ。追悼のために、今週は彼女を取り上げようと思い、ただ時代的にもうチャートには入っていないかなと、上から見ていったら、いた!! 今週83位に、Connie Francis - Forget Domani (Forget Tomorrow)が入っていた。というわけで、どうか安らかにお眠りください。

その頃ソ連では
1965年7月20日:ウクライナ共和国ザポリージャの自動車工場で、ZAZブランドの10万台目の乗用車が生産される。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 チャートの下位だが、83位に超弩級の名曲がいたので、それを取り上げよう。Royalettes - It's Gonna Take A Miracleがそれである。こういう端正なメロディを書かせたら右に出る者がいないテディ・ランダッツォのお仕事。

その頃ソ連では
1965年7月6日:ソ連の衛星国モンゴルで新憲法が採択される。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さあ、ビートルズには少々遅れを取ったが、ローリングストーンズもついに初の全米1位を達成した。[I Can't Get No] Satisfaction - The Rolling Stonesがそれである。最近読んだ話によると、ギターのキース・リチャーズは全米ツアー中に、有名なこの曲イントロのギターリフをデモ録音し、後日そのフレーズをブラスで差し替えるつもりだったのに、マネージャーが「これで行ける!」と判断して勝手にリリースし、米国の滞在先でそれがラジオから聞こえてきてキースがビックリしたそうですな。まあ、ロック史上最も有名かもしれないこのリフと、初の全米No.1がそれで誕生したのだから、結果オーライといったところか。

その頃ソ連では
1965年7月3日:6月22日に日韓基本条約が結ばれたことに関し、ソ連国営タス通信が声明発表。

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 さて、ブリティッシュインベイジョンと並行して、モータウン・ブームも相変わらず続いており、今週1位は I Can’t Help Myself (Sugar Pie, Honey Bunch) - Four Topsとなっている。しかも、先々週の1位から、先週はいったん2位に後退したものの、今週再び首位奪還という面白いパターンだ。

その頃ソ連では
1965年7月1日:ソ連が工業所有権の保護に関するパリ条約に加盟。

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 まあ、とにかくこの頃のヒットチャートは、ロック・ポップス史に残る名曲がかわるがわる1位になる様相だが、今週はMr. Tambourine Man - Byrdsがチャートトップに立った。当然、オリジナルシングル音源のモノラル盤でお送りする。

その頃ソ連では
1965年6月22日:チュメニ州のサモトロール油田で石油の噴出を見る。

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 いつかこの時が来ることは分かっていたが、ついに来てしまった。ビーチボーイズのリーダーであったブライアン・ウィルソンが、亡くなってしまった。追悼も込めて、今週のチャートの中からビーチボーイズ作品を選ぼうと思ったのだが、今週7位のHelp Me, Rhondaは、先日すでに取り上げてしまっている。そこで、本シリーズとしては初めてになるが、チャートには入っていないものの、Help Me, RhondaのB面曲であるKiss Me, Babyを取り上げることにしよう。B面曲といっても、決して捨て曲などではなく、むしろ熱心なファンはこちらの方が好きという人も多いのではないかと思われる、これぞブライアンという隠れた名曲だ。ご冥福をお祈りいたします。

その頃ソ連では
1965年6月24日:ベラルーシ共和国のヴィテプスク市で軽工業技術大学が創設される。

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19650619a
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 ベタだが、今週は、チャートトップに立ったBack In My Arms Again - Supremesを取り上げざるをえないだろう。というのも、この曲をもって、シュープリームスは5曲連続全米No.1という金字塔を打ち立てたからである。"Where Did Our Love Go"、"Baby Love"、"Come See About Me"、"Stop! In the Name of Love"、そして"Back in My Arms Again"の5連発であった。

その頃ソ連では
1965年6月4日:高速船「ザリャー」がロシア共和国カリーニン州(現トヴェリ州)のカリーニン~ルジョフ間で就航。

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 さて、レッドバード所属の女性ボーカルグループによるIko Iko - Dixie Cupsは、ニューオリンズ音楽のアンセム的な重要曲なので、もうちょっとチャートを上がったら取り上げようかと思っていたのだが、実は先々週、先週の20位がピークだったか。今週は順位がもう43位に落ちてしまった。それほどの特大ヒットでもなかったというのと、思ったより遅い時代のヒット曲だったというのが(原曲は1953年のこちららだが)、少々意外だった。

その頃ソ連では
1965年6月1日:ソ連戦略ロケット軍に、カザフスタンの草原に配備された新たな第38師団が加わる。

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 さて、米チャートでは英国勢による侵略が続いているが、ここで地元米国勢が一矢報いた。Help Me, Rhonda - Beach Boysが1位を獲得したものである。なお、上掲動画はシングルバージョンだが、個人的にはベスト盤のEndless Summerで再三聴き倒した最初のバージョンの方が耳馴染みがあったりする。

その頃ソ連では
1965年:カザフ共和国のウゼニ油田で最初の石油の噴出を見る。

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 今週1位は、The Beatles - Ticket To Ride。このシリーズでビートルズを取り上げるのは今年初めてなのだけど、むろんこの間もビートルズはヒットを出し、音楽的成長を続けていた。どーでもいいけど、個人的には最近、去年ロンドン出張で土産に買ってきた下のような手帳を使ってます。

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その頃ソ連では
1965年5月20日:ニジネヴァルトフスク近郊のサモトロール湖の近くで、G.ノーキンらのチームが最初の試掘井R-1を掘削。5月29日に石油の噴出を見る。西シベリア油田の開発が本格化していく。

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 Ooo Baby Baby - Miraclesと言えば、ソウルミュージック史上最高のバラードに挙げる人も多いと思うが、先週・今週の16位が最高位だったようだ。スィートソウルという一大ジャンルを開拓した曲とも言えるかもしれない。

その頃ソ連では
1965年5月8日:ソ連で3月8日の国際婦人デーが非労働日(休日)に指定される。

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 さて、ブリティッシュインベイジョンの勢いが止まらない。今週のベスト10を見ても、私の理解によれば、実に8アーティストが英国勢である(ザ・シーカーズはオーストラリア出身だが、当時は英国に渡って活躍していたので、英国勢と数えていいだろう)。地元米国勢は2位と10位だけ。M1グランプリが関西勢に席巻されるような感じか。

 それで、ブリティッシュインベイジョンと言うと男性グループのイメージが強いわけだが、忘れていけないのは女性歌手のペトゥラ・クラーク。彼女のI Know A Place - Petula Clarkが、今週6位に位置している。

その頃ソ連では
1965年5月7日:ソ連で「1941~1945年大祖国戦争勝利20周年記念メダル」が設けられる。

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 とどまるところを知らないブリティッシュインベイジョンが、また新たな英産全米No.1を生み出した。今週1位のMrs Brown You've Got a Lovely Daughter · Herman's Hermitsがそれである。他のビートグループと比べると、若干気の抜けたビール感があるような…。先週のウェイン・フォンタナ&マインドベンダーズ と同じく、ハーマンズ・ハーミッツもマンチェスター出身ということだ。

その頃ソ連では
1965年4月26日:ソ連で5月9日の戦勝記念日が休日(非労働日)に指定される。

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 さて、恥ずかしながら、今週1位のGame Of Love - Wayne Fontana & the Mindbendersは、またまた個人的に認識していない曲だったのである。ウェイン・フォンタナ&マインドベンダーズ は、英マンチェスターのアーティストで、この時期の英国勢による米チャート席巻の一環として、この曲で全米トップを達成した形だった。こんな曲を知らんとは、まだまだ修行が足りんな。

その頃ソ連では
1965年4月24日:アルメニア共和国のエレヴァンで、アルメニア民族虐殺の認定を求める大規模なデモが発生。

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