ロシア・ウクライナ・ベラルーシ探訪 服部倫卓ブログ

ロシア・ウクライナ・ベラルーシを中心とした旧ソ連諸国の経済・政治情報をお届け

カテゴリ: 音楽・映画・番組鑑賞

 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、チャートの上位ではないが、今週30位に位置しているPeter, Paul and Mary - For Lovin' Meを聴いてみよう。今年に入って1月7日、メンバーの一人、ピーター・ヤロー氏(上掲動画で左の男性)が86歳で亡くなったことが伝えられたので、その追悼を込めて。日本語版ウィキペディアによる人物紹介は以下のとおり。

 ピーター・ヤロー (ヤーロウ)(Peter Yarrow, 1938年5月31日 - 2025年1月7日)は、米国の歌手で、1960年代を代表するフォーク音楽トリオ、ピーター・ポール&マリーのメンバー。ヤローは、ピーター・ポール&マリーの代表作の一つ「パフ」をレニー(レナード)・リプトンと共作した。ヤローは政治活動家でもあり、ベトナム戦争への反対運動から、NPO「オペレーション・リスペクト」の創設まで、様々な取り組みに関わってきた。

その頃ソ連では
1965年2月17日:ソ連・キューバ間で通商協定、支払協定、借款協定が調印される。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、先日お伝えしたとおり、1964年12月11日にサム・クックが亡くなった時にはサムの曲はチャート上にいなかったのだけど、その後Sam Cooke - Shakeが急上昇し、今週8位まで上がってきた。当然新曲ではなく、旧作のリバイバルだが。シェイクと言っても、あっち系じゃないよ。

その頃ソ連では
1965年2月11日:ソ連と中国の第2回交渉が北京で行われた。A.コスィギンとYu.アンドロポフが、中国の毛沢東、劉少奇、鄧小平と会談。国家・政党間の相違を解消することはできず。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 このシリーズでつい先日、Marianne Faithfull - As Tears Go Byを取り上げたばかりだったが、今般そのマリアンヌ・フェイスフルの訃報が伝えられた。ご冥福をお祈りいたします。

 さて、今週のチャートでは、You’ve Lost That Lovin’ Feelin’ - Righteous Brothersがトップに。言わずと知れたフィル・スペクター・サウンドの代表曲であり、ガールものが目立つフィレス勢にあって、異色の男性ブルーアイドソウルである。個人的には、昨年暮れ、このレコードのシングル盤を手に入れられたのが嬉しかった(安かった)。

その頃ソ連では
1965年2月5日:ベトナム・ハノイに向かう途上、A.コスイギン・ソ連閣僚会議議長とYu.アンドロポフ中央委員会書記を団長とするソ連代表団が北京に立ち寄る。中華人民共和国国務院総理周恩来と外務大臣陳儀との間で、ソ連・中国の交渉が行われた。

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 さて、1965年1月24日にチャーチル元英首相が亡くなるということがあったが、それでも相変わらずブリティッシュ勢は好調。キンクスも然りで、All Day And All Of The Night - Kinksが今週10位で赤丸上昇中。前作You Really Got Meの二番煎じっぽいのも事実だが、この元祖パンクっぽさがキンクスの持ち味。

その頃ソ連では
1965年1月21日:ベラルーシ共和国で初の結婚宮殿がミンスクに開設される。

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 前年から英国勢による米チャート席巻、いわゆるブリティッシュインベージョンが続いていたが、今回は英女性歌手が1位に輝いた。Downtown - Petula Clarkが米チャートのトップに立った。ペトゥラ・クラークは芸歴は長く、1940年代から子役として活躍していたらしい。

その頃ソ連では
1965年1月15日:ベラルーシ共和国でスヴェトロゴルスク化学繊維工場が稼働し初生産。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 いつもと画像の感じが違うと思われるだろう。実は札幌の雪道で転倒し左腕を骨折してしまった。いつもはスキャナーで画像を撮っているのだが、今は両手で本を押さえることができないので、スキャナーが使えない。なので、今回の画像はスマホで撮った写真であり、湾曲が酷い。非常事態なのでお許しを。

 さて、チャートで気になったのは、24位のMarianne Faithfull - As Tears Go Byである。言うまでもなくローリング・ストーンズのレパートリーとして良く知られているが、それがこんな風に、ストーンズに先駆けて世に出ていたとは。マリアンヌ・フェイスフルは、後にミック・ジャガーの恋人になる人で、当時からストーンズのマネージャー、アンドリュー・オールダムと知り合いだったため、この曲(ジャガー、リチャーズ、オールダム作)をプレゼントされ、1年後にそれをストーンズがセルフカバーしたということらしい。マリアンヌ版は意外にもアップテンポになっている。

その頃ソ連では
1965年1月17日:ナチス犯罪者に恩赦を与えようとする試みに関し、ソ連政府が西ドイツ政府に抗議。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、カーティス・メイフィールド率いるインプレッションズは好調が続いており、今週7位にはImpressions - Amenがランク入りしている。たまたま、『レコード・コレクターズ』誌2025年1月号でコモエスタ八重樫氏がこの曲のことを取り上げている。1963年に公開された米映画「野のユリ」というのがあり、日本ではその劇中歌をダニー飯田とパラダイス・キングが取り上げたりしたが、カーティスもその映画を観て感銘を受け同曲をカバーしたらしい。

その頃ソ連では
1965年1月1日:ソ連の中央省庁として、石油精製・石油化学省、建材産業省、軽工業・食品産業・家電産業省が新設される。

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20241230b

 HP更新しました。マンスリーエッセイ「最近の音楽鑑賞『5大プライオリティ』」です。よかったらご笑覧ください。

 今年のブログ更新は以上となります。皆様良いお年をお迎えください。


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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 激動の1964年も、最終週を迎えた。今週は、6位のLittle Anthony & the Imperials - Goin’ Out Of My Headに耳を傾けてみることにしよう。こういうムーディーな作風を得意としたRandazzo-Weinsteinのコンビによる楽曲。

その頃ソ連では
1965年1月1日:ソ連がアジア・アフリカ・中南米の開発途上諸国から輸入される商品に対する輸入関税を撤廃。

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 さて、1964年はビートルズがアメリカを席巻した年として記憶されているが、ただ、Billboard Hot 100でビートルズが大暴れしたのは主に上半期であり、こうやってビートルズの曲が1位になるのは、ちょっと間が空いたという気がする。しかし、その間にビートルズは音楽的に変化を遂げて、ずいぶん遠いところまで来てしまった。というわけで、The Beatles - I Feel Fineを。

その頃ソ連では
1964年12月24日:ソ連政府、1965年5月をもってナチス戦犯の訴追を停止するという西ドイツ政府の決定に関し声明を発出

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、チャートの下の方を見ていたら、93位にLee Morgan - The Sidewinderというのが入っていて、驚いた。人気トランぺッターの有名曲ではあるが、まさか名門ジャズレーベルのBlue Noteがシングル盤を出して、それがポップチャートに入るようなことがあったとは、知らなかったのである。この曲、最終的には81位まで上がる。

その頃ソ連では
1964年12月22日:ソ連で1963年に形成されていた「中央アジア経済地区」が廃止される。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 今週は、1位獲得に敬意を表して、Bobby Vinton - Mr. Lonelyを取り上げざるをえまい。「ビートルズ以前」という感じの、ノスタルジックなアメリカンオールディーズだ。ただ、今回初めて知ったが、ボビーはこの曲の共作者に名を連ねているものの、この曲を初めて世に出したのは、1962年のBuddy Greco氏による録音だったらしい。道理でひと昔前という感じの作風なわけだ。

 ところで、1964年12月11日、アメリカ社会、特に黒人コミュニティにとってショックな出来事があった。名シンガー、サム・クックの死である。もっとも、この週のHot 100を見渡しても、サムの曲はチャートに入っていない。そこで、1964年よりもっと古いが、私がサムの唄で一番すごいと思うものを紹介し、改めて偉大なシンガーを追悼したい。

その頃ソ連では
1964年12月12日:ロシア共和国マガダン州のススマン町が市に昇格。

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 今週1位のLorne Greene - Ringoは、よく知らない曲だったので興味を持ったが、試しに聴いてみたら面白みのないテレビ主題歌だったので、パス。やはり自分の本筋の曲を取り上げたい。The Rolling Stones - Time is On My Sideが今週6位に食い込んでおり、これまでのところの彼らの全米最大ヒットとなった。これはもちろんカバーで、個人的にはIrma Thomasの持ち歌と認識していたが、実はこちらが最初らしい。

その頃ソ連では
1964年12月1日:カザフ共和国で西カザフスタン地方、南カザフスタン地方が廃止される。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さあ、アメリカンオールディーズの華麗なる徒花(?)、Shangri-Las - Leader Of The Packがついに1位を射止めた。サウンドエフェクトも効果的に使ったヤンキーものの名曲。

その頃ソ連では
1964年11月21日:ソ連最高会議幹部会令「ソビエト連邦労働者代議員地域評議会の統一について」により、フルシチョフ時代の1962年に導入された工業地区と農業地区の区分が廃止され、統一のソビエト権力機関が復活。

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 さて、またしても英国勢が躍進。Herman’s Hermits - I’m Into Something Goodがチャートを駆け上がっており、今週は20位に位置している。ただ、この曲はThe CookiesのEarl-Jean McCraeが少し前に発表して中ヒットしたものが最初だったようで、ハーマンズはカバーということらしい。作家はCarole King-Gerry Goffin。

その頃ソ連では
1964年11月17日:ソ連は11月19日を「ロケット部隊と砲兵の日」に制定。

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 むかし、ロンドンだったか、中古レコ屋でブツを物色していたところ、店員に「オマエはどんなものが好きなのか?」と尋ねられ、「モータウンのガールグループとか…」と答えたら、「ヴェルヴェレッツとかか?」と返されたことがある。そこで「シュープリームスとかか?」でなく、「ヴェルヴェレッツとかか?」だったのが、マニア同士のやり取りっぽく、妙に嬉しかった思い出がある。

 そんなわけで、チャートの1位は相変わらずシュープリームスなわけだが、私としては今週46位のVelvelettes - Needle In A Haystackを聴いてみたいわけである。いかにもイギリス人が好みそうな曲だ。

その頃ソ連では
1964年11月5日:ウクライナ共和国のチェルニヒウでトロリーバスの運行が開始される。

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 1964年11月3日、米大統領選挙で民主党の現職ジョンソンが当選を果たしたが、果たして60年後の今回はどうなることやら…。

 さて、そんな話とは関係なく、今週20位と赤丸急上昇なのが、The Kinks - You Really Got Meである。後にヴァンヘイレンがカバーしたことで、さらに有名になる。キンクスのオリジナルは、ある種の軽みがある分、よりパンキッシュな感じがする。

その頃ソ連では
1964年11月4日:1956年の法令によりソ連では都市部で家畜を飼う市民に追加課税が課せられていたが、その法令が撤廃される。

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 さて、私は60年代のモータウンを愛好することをライフワークとしているわけだが、その中でも決定的な1曲と言えるSupremes - Baby Loveが、今週1位に輝いた。この世に存在するあらゆる歌の中で、最大の好き歌を決める時に、少なくとも候補には上る曲だ。

その頃ソ連では
1964年10月24日:東京オリンピック閉幕。ソ連は金30、銀31、銅35を獲得しランキング2位。

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 さて、超有名曲で、後にジャガー&ボウイがカバーすることにもなるMartha & the Vandellas - Dancing In The Streetだが、1位にはなれず、この週の2位がピークだった。結局、ヴァンデラスの全キャリアを通じて最大ヒットということにもなる。しかし、完全に猛暑の中で踊り狂うようなイメージの曲だが、秋のヒット曲だったとは。

その頃ソ連では
1964年10月15日:A.コスイギン氏がソ連閣僚会議議長(首相)に就任。

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 さて、ビートルズに続けとばかり、またしても英国勢がNo.1ヒットを飛ばした。Manfred Mann - Do Wah Diddy Diddyである。ただ、個人的に今まで認識していなかったが、この曲は前年に米ガールグループのエキサイターズが出したもののあまり売れず、それをマンフレッドマンがカバーして当てたらしい。

その頃ソ連では
1964年10月14日:ソ連最高会議幹部会と中央委員会、N.フルシチョフ第一書記の「高齢と健康状態を理由とした自発的な辞任」を承認。L.ブレジネフが第一書記(後に書記長)に就任した。

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 さて、だいぶチャートの下の方になるが、今週77位にモロに自分好みの1曲が入っていたので、これを取り上げる。Mitty Collier - I Had A Talk With My Manがそれである。サザンソウルは良いねえ。

その頃ソ連では
1964年10月8日:ハンガリー出身でソ連で活躍した著名なエコノミスト、Ye.ヴァルガ氏が死去。

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 さて、Four Tops - Baby I Need Your Lovingは、この週の11位が最高位だったようだ。個人的に思い出深いのは、映画「ブロンクス物語」で、それまではドゥーワップとかR&Bの世界だったのに、Baby I Need Your Lovingが流れて急にソウルっぽい世界となり、ああ時代が変わったんだなと実感させられたことだった。

その頃ソ連では
1964年9月30日:VVER-210型原子炉を備えたノヴォヴォロネジ原子力発電所の1号機が発電を開始し、これ以降VVER型原子炉を備えた原子力発電所の大量建設が始まる。

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 さて、今週チャートのトップに立ったのが、言わずと知れたRoy Orbison - Oh, Pretty Womanである。ジュリア・ロバーツの映画でも有名になった。ただ、ロカビリー曲を朗々と歌い上げるのが持ち味のロイ・オービソンにとり、モータウンを模したとも思えるこのアップテンポ曲は、やや異色であった。

その頃ソ連では
1964年9月17日:ユーゴスラビアがコメコンの活動に参加する協定が結ばれる。

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 さて、もう3週間もチャートの1位に君臨しているのが、The Animals - House Of The Rising Sunである。アメリカの有名なトラッドソングを、イギリスのブルースロックグループのアニマルズが独自のアレンジで仕立て大ヒットさせたもの。

その頃ソ連では
1964年9月20日:ソ連とマルタの外交関係が樹立される。

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 さて、もしかしたらマニアには有名なのかもしれないが、個人的に初めて知ったのが、今週95位のRag Dolls - Society Girlである。この年のNo.1ソング、4 Seasons - Rag Dollのアンサーソングであり、しかも4 Seasonsの制作チームが自らこのアンサーソングを作ったというのだから、セルフアンサーソングといったところだろうか。まあ、あまり売れなかったようだが。

その頃ソ連では
1964年9月1日:ウクライナ共和国初のワイドスクリーン映画館「ウクライナ」がキーウにオープン。

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 さて、今週4位と赤丸急上昇中で、最終的には3位まで上がる大ヒットとなるのが、Dave Clark Five - Becauseである。当時勢いのあった英国勢の中でも、ワイルドな作風で知られた彼らだが、皮肉にもこのバラード曲が代表曲のようになっている。

その頃ソ連では
1964年8月28日:ソ連最高会議議長令により、1941年に行われたヴォルガ地方のドイツ系住民に対する訴追を撤回。

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20240825b

 HP更新しました。マンスリーエッセイ「1983年から2024年へ ナベサダとのランデブー」です。仕事とは何の関係もない道楽話で恐縮ですが、よかったらご笑覧ください。


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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、前にも書いたと思うが、1960年代半ばのモータウン黄金時代にあっても、私はとりわけエディー・ホーランドの作品が好きで、とりわけ今週88位にランク入りしてきたEddie Holland - Candy to Meが大のお気に入りなのである。大ヒット曲というわけではないが、個人的なフェイバリットだ。

その頃ソ連では
1964年8月28日:ロシア共和国クイブィシェフ州のスタヴロポリ市が、トリヤッチ市に改名される。物故したイタリア共産党の指導者の名にちなんだもの。

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19640829a
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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 この週、モータウンの女性トリオ、シュープリームスがチャートのトップに上り詰めた。Supremes - Where Did Our Love Goが、1位に輝いたものである。1964年のHot 100では、ビートルズが1位から5位を独占する伝説的な週もあったが、シュープリームスがこの曲を皮切りに5曲連続で1位を獲得するというのも、良く知られた伝説である。

その頃ソ連では
1964年8月21日:ソ連とかかわりが深かったイタリア共産党の指導者、パルミーロ・トリアッティ氏が死去。

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19640822a
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 さて、今週1位にDean Martin - Everybody Loves Somebodyとあるが、個人的にはすぐメロディーが浮かばなかった。YouTubeで再生してみたら、あああの曲かと思い出したが。元々はフランク・シナトラのあまり売れなかった持ち歌らしいが、シナトラ所有のリプリーズ・レコード所属のディーン・マーチンに歌わせて、上手くリサイクルできた形か。

その頃ソ連では
1964年8月9日:ソ連国際連合代表部、7月25日に米州機構加盟国外相会議で採択された反キューバの諸決定に関するソ連政府の声明を国連安全保障理事会議長に送付。

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