カテゴリ: 旅行・散歩・グルメ
アメリカ出張準備でミスを連発

米学会のASEEESに出席するため、水曜から米ワシントンDCに来ている。出発前には、他ならぬ学会での報告準備を筆頭に、だいぶバタバタした。まあ、先日の日本EU学会に続き、今回のASEEESと、全然違うテーマで一月に二度も学会報告するということ自体が間違っていたかもしれない。それで、米出張の旅行準備を慌ててやったので、2件のミスを犯した。自らへの戒めを込めて、記しておくことにする。
まず、米国に入国するに当たって、ビザ代わりにESTAというものを取得するのだが、それで大きなヘマを犯した。ESTAは、米政府の公式サイトで申請すれば手数料40ドルで済むのだが(最近はアプリもあって楽らしい)、間違って民間の仲介サイトみたいなところを通じて申し込んでしまい、200ドルほど持って行かれた。その業者は、グーグルにたんまりカネを払っているのか、検索すると最上位に表示され、なおかつ佇まいも公式サイト風であり、あれ?こんなに高かったかな?と引っかかりつつも、焦って申し込んでしまったのだ。そういえば先日、米鉄道のアムトラックのチケットをネット上で買おうとしたところ、私のクレジットカードが「普段の買い物パターンと違う」と勝手に判断してセキュリティが発動され、決済できないということがあった。鉄道のチケットを弾いているヒマがあったら、悪徳ESTA業者を弾いてほしいものである。
もう一つのミスは、スマホ用のeSIMで起きた。先日のロシア旅行の際に、eSIMが便利だったので、今回もこれで行こうと思い、「【T-Mobile純正品】eSIM版 アメリカ ハワイ SIM 7日間【使い放題】【電話番号付き】5G/4G-LTE 高速データ通信/通話/SMS/テザリング 【アメリカ ハワイ 無制限】 プリペイド SIMカード T-Mobile esim 7days」というものをAmazonで購入し、お膳立てした上でアメリカに出かけた。ところが、ホテルに着き、eSIMを手順通りにインストールしようとしても、上手く行かないのである。業者にクレームを入れたところ、何と私の使っているSONY XperiaはT-Mobileに適合しないのだということが判明した。Amazon販売ページの注意書きを改めて読んでみると、確かにそう書いてあるので、これは私の注意ミスである。でも、まさかSONYの製品がアメリカの代表的な携帯電波で使えないなんて、思わないじゃないですか。そんなわけで、2,180円が露と消えた。代わりに、オンラインで完結できるeSIMのNomadを申し込んだら、あっという間に解決。Nomadは割安な分、通話無しでデータだけとなるが、元々通話なんかしないし、最初から簡単なこちらにすればよかった。
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戦時下ロシア極東・シベリアの旅:ウランウデ編
〈ロシア極東・シベリアに行ってみて分かったこと〉80年前の戦争は絶賛、ウクライナ戦争には沈黙…1000万円の現ナマに訴える契約兵の募集も

9月のロシア旅行に関するエッセイの第二弾を発表しました。「〈ロシア極東・シベリアに行ってみて分かったこと〉80年前の戦争は絶賛、ウクライナ戦争には沈黙…1000万円の現ナマに訴える契約兵の募集も」です。無料でお読みになれますので、ぜひご利用ください。
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戦時下ロシア極東・シベリアの旅:ウラジオストク編

HP更新しました。遅くなりましたが、9月分のマンスリーエッセイ「戦時下ロシア極東・シベリアの旅:ウラジオストク編」です。よかったらご笑覧ください。
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〈衝撃体験〉ロシア入国時に私を待っていた10時間の取り調べ!丸裸にされるスマホ、パソコン、持ち物…保安局係官は何を念入りに調べたか?
バルナウルで堪能したシベリア料理

良い意味でも、悪い意味でも(笑)、ロシア旅行の余韻が強すぎ、普通にロシア情勢をフォローするモードに戻らない。そこで、また旅の土産話の一つを。
今回はシベリア・極東の旅になったので、どこかで一回くらい本格的なシベリア料理を食べたいと思った。アルタイ地方のバルナウルに、「ゴールナヤ・アプチェカ」という名店があるらしいということを知り、そこで昼食をいただいた。なお、ここは昔の薬草の工房か何かをレストラン・博物館・土産物屋にしたものらしく、私が食べている時にも観光客のグループが見学に来ていた。できれば予約をしていった方がいいだろう。料理自体は興味深かったが、私は予約なしにフラっと訪れたせいか、料理の提供に1時間以上を要したのが難点だった。
私が選んだのは、シベリア風ボルシチ・ベーコン添え(手前)と、アカシカの家庭風煮込み(奥)という2品だった(両方壺になってしまった)。ボルシチに関しては、何をもって「シベリア風」と称しているのかは不明だったが、言われてみれば若干野性味というか、野菜の土臭さを感じるような味だったか。

アカシカというのは、鹿の一種ではあるが、アルタイ山脈の固有種らしい。今回オーダーしたのは、キノコ、ジャガイモ、野菜などと一緒に煮込んだもので、肉固有の味の特徴などは分かりにくかったか。

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涙の夏休み読書

Xの方で断片的にボヤいたりしているが、先日のロシア旅行の際に、出入国時に国境で長時間取り調べを受けた。詳しくは改めて綴ってみたいが、事態をこじらせたのは、私が上掲画像のような一連の新書本を携行してたことである。
今回のロシア渡航は、仕事ではなく夏休みの私的旅行なので、読書をしながら旅をしようと考えた。そこで、手元にはあったが、時間がなくてまだ読めていなかった新書を何冊か選び、旅のお供に連れていったのである。これがまずかった。
まさか、取調官が、私が所持している日本語の本に注意を向け、その内容にまで文句を言うなどということは、まったくイメージしていなかった。取調官のスマホには、画像から文字認識し即座にロシア語に翻訳するアプリが入っており、私が持って行った新書には『北極海 ―世界争奪戦が始まった』、『ロシアから見える世界 ―なぜプーチンを止められないのか』、『世界を変えたスパイたち ―ソ連崩壊とプーチン報復の真相』、『軍艦進化論 ―ペリー黒船艦隊からウクライナ戦争無人艦隊まで』といった少々機微な内容のものが含まれていたため、まずい事態になった。
「お前はスパイか?」、「軍需産業のことを調べているのか?」、「この本にはナヴァリヌィやミサイルの写真が載っているではないか!」と責められ、弁明に追われたというわけである。なお、『世界を変えたスパイたち ―ソ連崩壊とプーチン報復の真相』については、同業者についての本であるだけに(?)、興味深そうにしげしげと眺めていた。
何の気なしに、夏休みの読書の本を適当に選んだつもりが、あだとなった。もっとも、最近私は出張時に、欧米のシンクタンクが発表したロシアの軍需産業に関するレポートを持ち歩くことが多かったので、そんなものが見付かったらもっとまずかったかもしれない。
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石油の街スルグトでの博物館見学

ロシア旅行のこぼれ話だが、今回滞在した都市の一つであるスルグトは、外国人観光客が多く訪れるような街ではない。ただ、経済関係者ならば、だれもがロシア民間石油会社の雄、スルグトネフチェガスを連想するだろう。多くの大企業がモスクワに本社を構える中(プーチン政権は最近ではなるべく地方に分散させようという政策を採っているが)、以前からスルグトの名を冠し当地に根を下ろしてきた会社だった。当然、その社屋は、上の写真に見るとおり、市内で最も立派な建物である。
この会社付属の博物館というものがあり、ぜひ見学したいと出向いたのだが、受付で掛け合ったものの、関係者の紹介で事前に申し込まなければいけない由であり、一見の外国人には無理だった。
まあ、予想された展開ではある。以前、ニジニタギル冶金コンビナートの博物館で、飛び込みなのに見学できたことがあったので、再現を狙ったのだが、このご時世で石油大手のガードは固かった。
その代りと言おうか、スルグト市の郊外にあったサルマノフ博物館というやつを見学し、意外にも見応えがあった。サルマノフ氏というのは、アゼルバイジャン出身の地質学者で、1960年代にチュメニ油田の開発に尽力した中心人物である。最終的には、ソ連末期に連邦の地質省第一次官にまで上り詰めたということである。
展示で個人的に面白かったのは、当初はサルマノフ氏ら専門家がケメロヴォ州に送られたという点だった。当時は、石炭資源と石油資源は隣接して賦存すると信じられており、ゆえに石炭のメッカであるケメロヴォ州に石油開発の期待もかけられたと、館員が説明してくれた。
なお、スルグトネフチェガスは、時々企画展示に協力してくれたりはするものの、サルマノフ博物館の維持自体にはお金を出してくれていない由だった。

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万感の思いを胸に(笑)、ロシアへの旅
ロンドン出張のお供もChatGPT
ロンドン出張で味わった天国と地獄
ウクライナ美術のモダニズム:1900~1930年代

今般の英国出張中、ロンドン中心部を歩いていたところ、王立芸術院付属の美術館で、「In the Eye of the Storm:Modernism in Ukraine, 1900–1930s」という企画展をやっているのが目に留まった。美術に関しては完全な素人ながら、地域研究者として観ておくべきだろうと思い、後日時間を見付けて見学してみた。
王立芸術院のこちらのページに、展示の趣旨・概要は出ている。説明を抄訳しておくと、
1900年代から1930年代にかけてウクライナで制作された画期的なモダニズム芸術に驚嘆せよ。
ウクライナのモダニズム運動は、崩壊する帝国、第一次世界大戦、独立の戦い、そして最終的なソビエト・ウクライナの成立を背景に展開された。このような大変動にもかかわらず、この時期は大胆な芸術的実験が行われ、ウクライナの芸術、文学、演劇が真に繁栄した時代となった。
この時代にウクライナに存在した様々な芸術様式と文化的アイデンティティを紹介するこの展覧会は、ウクライナの現代美術に関する英国で最も包括的な展覧会になる。油絵、スケッチからコラージュ、劇場デザインまで、65点の作品をご覧いただきたい。作品の多くはウクライナ国立美術館とキーウのウクライナ演劇・音楽・映画博物館から貸し出されたものである。
カジミール・マレヴィチ、ソニア・ドローネ、アレクサンドラ・エクスター、エル・リシツキーといったアーティストから、オレクサンドル・ボホマゾフ、ミハイロ・ボイチュークといったあまり知られていないアーティストまで、それぞれがこの国の芸術と文化に忘れがたい足跡を残した。

私としては、やはりウクライナ国民史という観点からの関心となる。個人的には、過去に存在したものを、なんでもかんでも、今日のウクライナ・ナショナリズムに結び付けるようなアプローチには、疑問を覚える。それでも、かつてこの地に存在した芸術運動と、それが秘めていた可能性を掘り起こすことには、意味があるだろう。この企画展は、声高に政治的な主張をするのではなく、作品に語らせることで、ウクライナの問題を問うているように思えた。

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調査出張でロンドンに来ました

そんなわけで、申し上げるのが遅れたが、調査出張で英ロンドンにやってきた。ロシア情勢等に関し現地の有識者と意見交換をするのが主な目的である。
ロンドンは、1998~2001年のベラルーシ駐在時代に、何度か訪れている。当時、ミンスクの娯楽や消費生活はきわめて貧弱なものだったので、たまにいくロンドンが唯一の楽しみだった。ただ、ここに来るとカネに羽が生えたように散財し、ミンスクの1カ月の生活費をロンドンでは1日で使うような感覚だった。しかし、2001年に日本に帰任して以降は、一度も英国を訪問する機会はなかった。だから、ほぼ四半世紀振りの英国となる。
さて、今回の渡英で、とにかく気を揉んだのが、台風の影響だった。金曜、土曜くらいの時点では、台風が関東を直撃する勢いで、水曜に私の乗る羽田~ヒースロー便がまともに飛ぶとは、とても思えなかった。ところが、台風が急に西に進路を変え、しかもノロノロになったので、結果的に昨日は札幌も羽田も晴天であり、フライトは順調そのもので、何なら予定より30分くらい早くヒースローに着いてしまった。人間、ツイてない時もあれば、ツイてる時もあるものだなと、しみじみ感じた。台風の被害を受けている地域の皆さんは、引き続きどうぞお気をつけてお過ごしください。
ところで、これまでロシアやヨーロッパに飛んできた感覚で、当然のことながら今回の羽田~ヒースロー便も西回りだろうと思っていたのだけど、実際にはアラスカ~カナダ北部~グリーンランド~アイスランドといった上空を通過し、大西洋を越えて英国に到着するルートだったので、驚いた。個人的に、大西洋を越えたのはたぶんこれが初めてだと思う。さすがにかなりの長旅だったな。
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沿ドニエストルの障子に目あり
モルドバ出張で人生を取り戻した
モルドバのスープ「ゼアマ」
こっちに来てからチョコバーとカップ麺ばかり食べているような気がしたので、昨日の昼は訪問先のバルツィ市でちょっと良さそうなレストランに入ってみた(と言っても会計は10ドルくらいだったが)。
モルドバでは「ゼアマ(Zeama)」というスープが味噌汁的な伝統料理になっているらしく、それを食してみた。鳥肉のほか野菜、ジャガイモ、ヌードルが入っており、サワークリームを加えて食べる。ロシア圏にもよくあるブイヨン風のチキンスープと一見似ているが、若干酸味があるのが特徴のようだった(サワークリームを入れる前から酸味がある)。
後は、これは伝統料理なのかどうかは分からなかったが、盛り合わせのメイン皿。
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モルドバ共和国の「国旗の日」の式典(たぶんそのリハーサル)
4月23日、面談の帰りにモルドバ政府庁舎の前を通りかかったところ、面白い光景に出くわした。どうも国旗を称えるセレモニーのようである。ただ、指導者のような人が子供に指示を出したりしていたので、これは本番ではなく、リハーサルではないかと思われた。
ホテルに帰って調べてみたところ、こちらのページに見るように、モルドバでは1990年4月27日に現在の国旗が制定され、それにちなんで2010年に4月27日が「国旗の日」として制定されたということだった。というわけで、おそらく私の勘は正しく、私が目撃したのは、4日後に行われる「国旗の日」式典のリハーサルだったのだろう。リハーサルでも、見ていて充分に面白かったので、上掲のとおりYouTubeにアップした次第。

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4年振りの海外、26年振りのアメリカ
アラスカ現地調査の際に見かけた野生動物
そんなわけで、アラスカでの現地調査が終わろうとしている。移動でバタバタするので、本日のブログは、アラスカ現地調査の際に見かけた野生動物の写真だけお目にかけてお茶を濁すことにする。
まず、氷河を見学に行った際に、船上から見えたラッコ。ラッコは割とありふれた存在らしく、個体数は多そうだった。ただ、岸の近くではなく、湾の真ん中あたりに漂っているのが、少々意外だった。あんな深いところでは、エサの貝とかをとりにくいような気がするのだが。

あとは、北極海に面したアラスカ北岸のノーススロープという地域にあるプルードベイという石油の街の写真になる。まず、これはレアだそうだが、ジャコウウシの群れを見かけた。手前に見えるのは石油パイプラインで、こうした野生動物の通行を妨げないように、地上から浮かせて設置されている。

次は比較的ポピュラーで、カリブー(北米のトナカイ)は結構見かけた。季節によってはもっと大群も見ることができるはずだが、今回我々が目にしたのは群れではなく、はぐれ個体ばかりであった。

最後に、ホッキョクグマにも遭遇したので、その写真もお目にかける。ただ、案内の人がシロクマだと言っていただけで、私は良く分からなかった。下の写真で、左下に寝そべっているのがシロクマだというのだが、本当だろうか。場所は、石油採掘のために作られた人工島だったのだが、果たして。

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アラスカのホテル事情でカルチャーショックを味わう

海外出張中につき、ロシア・ウクライナ情勢のフォローができておらず、大したネタもないのだが、一応、一日一更新を心がけている当ブログなので、よもやま話を。終盤に差し掛かったアラスカ出張で感じたこと。
アラスカで3つのホテルに泊まったのだが、どのホテルも酷い。値段だけ高く、中身が追い付いていない。一泊300ドル以上払わないと、まともなホテルにありつけないのではないかという印象で、大学の貧弱な予算ではとても追いつかない。
とにかく、備品、アメニティの類がほぼ存在しない。私は、30年くらい前であれば、旅行に湯沸かし器、スリッパ、シャンプー等々、色々持って行ったが、最近はどんな国のホテルに行っても、最低限のものは部屋に必ずあるので、余計な荷物は持参しないようになっていた。しかし、今回のアラスカの一連のホテルは、せいぜいドライヤーがあるかなという程度。
WiFiについてのホテル側の意識の低さにも驚かされた。なくはないのだが、部屋にきちんとパスワード等の利用案内が出ていない。フロントに訊きに行くと、パスワードを口頭でまくしたてられたり、殴り書きのメモを渡されたりする。ホテルの職員は、低賃金のジャンクジョブということなのだろうか、だいたい移民がスタッフなので、対応が心許ない。
これはアラスカだけの現象なのだろうか、それとも米国全体がそうか? 11月に東海岸の出張があるので、その時に確かめてみたい。
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2.24問わず語り ―誰も訊いてくれないので自分で語る
あれだけ「ピョートル推し」だったポルタヴァの戦い博物館はどうなったのか?

色んな締切や業務に追われて、首が回らない状況である。多重債務者というのは、こんな心境なのだろうか。
なので、ブログは手抜きになるのだけど、このほど、我がセンター内でウクライナ史、というか正しくは現在ウクライナという国になっている地域がどんな歴史を歩んできたかについて議論する機会があった。その中で、発表者が北方戦争、ポルタヴァの戦いに言及していたので、そう言えば以前、ウクライナ中部にある「ポルタヴァの戦い歴史博物館」を見学したなということを、思い出した。
そこで、自分が博物館で撮った写真を見返したりしてみたわけである。それで改めて感じたのは、ポルタヴァの戦い歴史博物館、完全にロシアのピョートル大帝が主役の博物館だったな、ということだった。印象としては、6割くらいピョートル博物館だったな、という感じである。まあ、ポルタヴァの戦いというのは、ピョートル大帝のロシア軍がスウェーデンを撃破した戦いであり、ウクライナ・コサックを代表するマゼーパは脇役的な登場人物なので、展示が「ピョートル推し」になるのは自然だが。



以下に見るように、ウクライナ地域を代表するフメリニツキー、マゼーパの展示もあるものの、少々押され気味だった印象だ。


ロシアが全面軍事侵攻を開始して以降、ウクライナではロシア文化の排除が進んでおり、それは歴史面にも及んでいる。たとえば、昨年オデーサで、ロシアの女帝エカテリーナ2世の像が撤去されるという出来事があった。ふと思ったのは、ポルタヴァの戦い歴史博物館は、今はどうなっているのかということだった。オデーサではエカテリーナ2世像を撤去すればある程度ロシア統治の痕跡は消す効果があるかもしれないが、あれだけ「ピョートルが主役」だったポルタヴァの戦い歴史博物館からピョートル関連の展示を撤去したら、博物館がスカスカになってしまう。マゼーパを主役にポルタヴァの戦いの歴史を書き換えるのにも、限界があろう。となると、ポルタヴァの戦い歴史博物館自体を閉鎖することになるのか?
これは、単なる素朴な疑問である。博物館の今については、調べれば分かるのだろうが、今はその時間がない。
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北海道探訪の第一歩として中標津を訪問
皇太子ニコライが襲われた大津の地
ドネツク・マリウポリの思い出

私はウクライナのドネツク州に一度しか行ったことがなく、それは2007年12月のことだった。
ドネツク一帯の石炭資源が注目されるようになったのが、17世紀末から18世紀初めのピョートル大帝の時代。1779年、アレクサンドロフカという村が当地に設けられ、最初の炭坑がいくつか出来た。その後、石炭産業は拡大し、それを活用した鉄道レールの生産工場が当地に建設されることに。そして、1869年、その利権がウェールズ人実業家のジョン・ヒューズに売却された。ヒューズは「ノヴォロシア石炭・鉄・レール生産会社」を設立、それを中心とした「ユーゾフカ」という街がつくられ(「ユーゾフカ」は「ヒューズ」のロシア語発音にちなむ)、これが現在のドネツク市の始まりとされている。
上の写真は、ドネツク冶金工場に石炭が運び込まれる様子。ここは、かつてジョン・ヒューズが設立した工場の後継企業に他ならず、街の南側の広大な領域を占めていた。

ドネツクでは、徒歩で街の中心部を闊歩するのもさることながら、街の外れにあったりする工場などを見て回りたかったから、タクシーが重宝した。たまたま拾ったアンドレイという 名前のタクシー運転手が面白いやつで、経済や地元の事情に通じており、彼の話から学ぶところが大だった。何でも、以前はいくつかのカジノの支配人を務めていたそうで、若い割には世の中の表と裏をよく知っている男だった。
工場ではないが、下の写真は鉄道の駅舎。100万都市の中央駅にしては、小規模な印象だった。

運転手アンドレイの案内が非常に有益なので、土曜日に予定していたクラマトルスク市への訪問も、彼に頼むことにした。クラマトルスクは、ドネツクから北西方向に車で2時間ほどのところにある中規模の都市。機械産業の集積地であり、州都のドネツク市を見ただけでは分からない地方経済の苦しい実情を探りたいという思惑があったのだが、予想に反し、クラマトルスクもなかなか景気が良いようで、スーパーマーケットや家電店などの出店ラッシュに沸いていた。写真はクラマトルスクの中核企業、ノヴォクラマトルスク機械工場。

クラマトルスクを訪問したあと、ちょっと欲張って、一路南に向かい、ドネツク州のもう一つの重要都市、アゾフ海に面したマリウポリも視察した。アンドレイはマリウポリでタクシー運転手をしていたこともあるそうで、手際よく見て回ることができたが、それでもマリウポリ視察を終えた夕方頃には、辺りはもう真っ暗。マリウポリの港は思ったよりも小規模で拍子抜けだったが、大手鉄鋼メーカーの「イリチ記念製鉄所」 および「アゾフスターリ」の雄姿は壮観だった。地球環境の危機が叫ばれる御時世に、煙をモクモク上げる工場を見て喜んではいけないのかもしれないが、ウクライナ経済の脈動を目の当たりにしたようで、満足感を味わった。
下に見るのは、イリチ記念製鉄所。巨大工場なので、全体を写真に収めるのが難しい。

これまた巨大なアゾフスターリ。煙突が勢いよく煙を吐き出す。

ところで、当時私は、黒海というエリアの研究に没頭しようとしていたところだったのだけれど、実を言うとこの2007年の時点では、黒海を自分の目で見たことが一度もなかった。このドネツク出張で、黒海に連なるアゾフ海に面したマリウポリを視察することになって、ようやくその念願が叶うかと思われた。しかし、その話をアンドレイにすると、「アゾフ海は黒海の一部ではなく、まったく別物。混同してはダメ」とのこと。彼に言わせると、アゾフ海は淀んだ内海であり、あんなところで喜んで泳ぐのはロシア人くらいで、ウクライナ人にとって海と言えば絶対に黒海なのだ、とのことだった。下の写真はアゾフ海に臨むマリウポリ港で、ピンボケで恐縮。

あれから十余年。この地域が21世紀の国際政治の火薬庫になるとは、あの頃は思いもしなかった。
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ミンスク旅客機強制着陸事件で甦るルジャヌィの思い出
人気爆発! 日本を魅了するユーラシア・グルメたち

GLOBE+に、「人気爆発! 日本を魅了するユーラシア・グルメたち」を寄稿しました。
最近、旧ソ連諸国の料理や食品が日本市場に紹介され、評判になることが多いなと感じます。シュクメルリに、チキンキエフに、スィローク。今回はそのあたりの談義をとりまとめてお送りしています。
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かつてモスクワに「友好」という名の書店が存在した

GLOBE+に、「かつてモスクワに『友好』という名の書店が存在した」を寄稿しました。
最近、ふとしたきっかけで、往時のモスクワにあった「ドルージバ」という書店のことを思い出しました。「ドルージバ」はロシア語で「友好」を意味し、ここはソ連にとって社会主義陣営の友好国だった東欧諸国などの書籍を扱う専門店でした。今回のコラムでは、この書店の思い出と、それにまつわる雑感を語っております。
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アララト社の「平和の樽」 アルメニア・アゼルバイジャン紛争の解決を祈って

以前からナゴルノカラバフの領有をめぐって対峙していたアルメニアとアゼルバイジャンの間で、昨日、本格的な武力衝突が始まってしまったようだ。
それに関連して、以前書いた小文をリサイクルしてお目にかける。『ロシアNIS調査月報』の2016年6月号の表紙に上掲のような写真を使い、その紹介文として書いたものである。
2015年9月、個人的に初めてアルメニアに現地調査に趣いた際に、有名なブランデー醸造会社のアララト社の工場を見学する機会があった。アルメニアの象徴とも言えるアララト社には、数多くの外国元首も訪れており、貯蔵されている多くの樽の中には、プーチン大統領の樽、ルカシェンコ大統領の樽といった具合に、VIPたちのキープ樽もあった。
そして、これはかなり有名だと思われるが、見学コースには「平和の樽」というものも展示されていた。今号の表紙の写真は、それを撮影したものである。アルメニア人とアゼルバイジャン人が支配権を争ったナゴルノカラバフ紛争の解決を願って樽詰めされたものであり、同紛争が最終的に解決したあかつきに開けて飲むことになっているそうだ。樽の後ろに置かれているのは、向かって右からアルメニア、ナゴルノカラバフ、米国、ロシア、フランス、そしてアゼルバイジャンの旗(米・露・仏はナゴルノカラバフ紛争調停グループのメンバー)。なお、写っている人物は案内してくれた女性である。
一聴すると美談のようだが、ナゴルノカラバフ紛争の最終的な解決とは、具体的に何を意味するのだろうか? 本気で紛争を解決するのであれば、アルメニアの側にこそ、努力すべき点が多いのではないか? 質問が喉まで出かかったが、ブランデーの甘い香りが漂う中で訊くのは無粋に思われ、やめておいた。
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