ロシア・ウクライナ・ベラルーシ探訪 服部倫卓ブログ

ロシア・ウクライナ・ベラルーシを中心とした旧ソ連諸国の経済・政治情報をお届け

カテゴリ:音楽・映画・番組鑑賞 > 60年前のBillboard

 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 いつかこの時が来ることは分かっていたが、ついに来てしまった。ビーチボーイズのリーダーであったブライアン・ウィルソンが、亡くなってしまった。追悼も込めて、今週のチャートの中からビーチボーイズ作品を選ぼうと思ったのだが、今週7位のHelp Me, Rhondaは、先日すでに取り上げてしまっている。そこで、本シリーズとしては初めてになるが、チャートには入っていないものの、Help Me, RhondaのB面曲であるKiss Me, Babyを取り上げることにしよう。B面曲といっても、決して捨て曲などではなく、むしろ熱心なファンはこちらの方が好きという人も多いのではないかと思われる、これぞブライアンという隠れた名曲だ。ご冥福をお祈りいたします。

その頃ソ連では
1965年6月24日:ベラルーシ共和国のヴィテプスク市で軽工業技術大学が創設される。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 ベタだが、今週は、チャートトップに立ったBack In My Arms Again - Supremesを取り上げざるをえないだろう。というのも、この曲をもって、シュープリームスは5曲連続全米No.1という金字塔を打ち立てたからである。"Where Did Our Love Go"、"Baby Love"、"Come See About Me"、"Stop! In the Name of Love"、そして"Back in My Arms Again"の5連発であった。

その頃ソ連では
1965年6月4日:高速船「ザリャー」がロシア共和国カリーニン州(現トヴェリ州)のカリーニン~ルジョフ間で就航。

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 さて、レッドバード所属の女性ボーカルグループによるIko Iko - Dixie Cupsは、ニューオリンズ音楽のアンセム的な重要曲なので、もうちょっとチャートを上がったら取り上げようかと思っていたのだが、実は先々週、先週の20位がピークだったか。今週は順位がもう43位に落ちてしまった。それほどの特大ヒットでもなかったというのと、思ったより遅い時代のヒット曲だったというのが(原曲は1953年のこちららだが)、少々意外だった。

その頃ソ連では
1965年6月1日:ソ連戦略ロケット軍に、カザフスタンの草原に配備された新たな第38師団が加わる。

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 さて、米チャートでは英国勢による侵略が続いているが、ここで地元米国勢が一矢報いた。Help Me, Rhonda - Beach Boysが1位を獲得したものである。なお、上掲動画はシングルバージョンだが、個人的にはベスト盤のEndless Summerで再三聴き倒した最初のバージョンの方が耳馴染みがあったりする。

その頃ソ連では
1965年:カザフ共和国のウゼニ油田で最初の石油の噴出を見る。

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 今週1位は、The Beatles - Ticket To Ride。このシリーズでビートルズを取り上げるのは今年初めてなのだけど、むろんこの間もビートルズはヒットを出し、音楽的成長を続けていた。どーでもいいけど、個人的には最近、去年ロンドン出張で土産に買ってきた下のような手帳を使ってます。

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その頃ソ連では
1965年5月20日:ニジネヴァルトフスク近郊のサモトロール湖の近くで、G.ノーキンらのチームが最初の試掘井R-1を掘削。5月29日に石油の噴出を見る。西シベリア油田の開発が本格化していく。

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 Ooo Baby Baby - Miraclesと言えば、ソウルミュージック史上最高のバラードに挙げる人も多いと思うが、先週・今週の16位が最高位だったようだ。スィートソウルという一大ジャンルを開拓した曲とも言えるかもしれない。

その頃ソ連では
1965年5月8日:ソ連で3月8日の国際婦人デーが非労働日(休日)に指定される。

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 さて、ブリティッシュインベイジョンの勢いが止まらない。今週のベスト10を見ても、私の理解によれば、実に8アーティストが英国勢である(ザ・シーカーズはオーストラリア出身だが、当時は英国に渡って活躍していたので、英国勢と数えていいだろう)。地元米国勢は2位と10位だけ。M1グランプリが関西勢に席巻されるような感じか。

 それで、ブリティッシュインベイジョンと言うと男性グループのイメージが強いわけだが、忘れていけないのは女性歌手のペトゥラ・クラーク。彼女のI Know A Place - Petula Clarkが、今週6位に位置している。

その頃ソ連では
1965年5月7日:ソ連で「1941~1945年大祖国戦争勝利20周年記念メダル」が設けられる。

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 とどまるところを知らないブリティッシュインベイジョンが、また新たな英産全米No.1を生み出した。今週1位のMrs Brown You've Got a Lovely Daughter · Herman's Hermitsがそれである。他のビートグループと比べると、若干気の抜けたビール感があるような…。先週のウェイン・フォンタナ&マインドベンダーズ と同じく、ハーマンズ・ハーミッツもマンチェスター出身ということだ。

その頃ソ連では
1965年4月26日:ソ連で5月9日の戦勝記念日が休日(非労働日)に指定される。

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 さて、恥ずかしながら、今週1位のGame Of Love - Wayne Fontana & the Mindbendersは、またまた個人的に認識していない曲だったのである。ウェイン・フォンタナ&マインドベンダーズ は、英マンチェスターのアーティストで、この時期の英国勢による米チャート席巻の一環として、この曲で全米トップを達成した形だった。こんな曲を知らんとは、まだまだ修行が足りんな。

その頃ソ連では
1965年4月24日:アルメニア共和国のエレヴァンで、アルメニア民族虐殺の認定を求める大規模なデモが発生。

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 さて、今週のチャートを眺めていたら、同じ曲が別の3人のアーティストによって同時にチャートインしていることに気が付いた。Red Roses for a Blue Ladyがそれであり、邦題は「ブルー・レディに紅いバラ」というらしい。ここではとりあえず最高位18位のVic Dana版を取り上げておくが、他にも23位にWayne Newton版、33位にBert Kaempfert(これはインスト)がチャート入りしている。

 手っ取り早くウィキペディアの説明を拝借すると、「1965年ウェイン・ニュートン、ベルト・ケンプフェルト、ヴィック・ダナ盤の競作となった『ブルー・レディの紅いバラ』は元々、1948年の作品。当時ヴォ―ン・モンロー盤、ガイ・ロンバードとロイヤル・カナディアンズ盤がヒットしていた。ヴィック・ダナ盤が最高位10位を記録したが日本ではあまり知られていない。ウェイン・ニュートン盤が23位、ベルト・ケンプフェルト盤は11位まで上昇した。アンディ・ウィリアムス盤はアメリカでは"And roses and roses"のB面としてリリースされたが日本ではA面として発売されヒットした」ということである。

その頃ソ連では
1965年4月8日:ソ連とポーランドの間で友好・協力・相互援助条約が締結される。

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 さて、今週1位のFreddie & The Dreamers - I'm Telling You Nowは、個人的に認識していない曲であり、調べてみたところ自分のライブラリーにも入っていなかった。聴いてみたところ、まあ曲は悪くないが、上掲のようなダサいステージアクションがいただけない。日本語版ウィキペディアにも、「子供受けする楽曲や、飛んだり跳ねたりするユニークなステージアクトで、人気を博す」とある。後年のロックファンからすると重要度が落ち、ゆえにこれまで私のアンテナにも引っかからなかったのだろう。

その頃ソ連では
1965年3月30日:P.マシェロフ氏がベラルーシ共和国共産党の第一書記に就任。

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 さて、今週8位のGoldfinger - Shirley Basseyは、ご存知ジェームス・ボンド映画の主題歌だが、現代でもテレビなどの演出で使われることが非常に多い曲だ。歌もさることながら、ど迫力のイントロが効果音的に使われることが多い。

その頃ソ連では
1965年3月27日:ソ連で大卒者を対象に新たに兵役の短縮期間(1年)が設けられ、また大学の全日制、定時制、夜学の学生には兵役猶予制度が導入された。

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 「私の人生を狂わせた曲」というのが何曲かあり、今週1位に上り詰めたStop! In The Name Of Love - Supremesは間違いなくその中の1曲である。1980年代のある日、友達の家のラジオから流れてきたこの曲に衝撃を受け、その後オールディーズ道にのめり込んでいくきっかけの一つとなったのだった。

その頃ソ連では
1965年3月22日:ルーマニアの共産党書記長にニコラエ・チャウシェスク氏が就任、以降ルーマニアは独自路線を強めソ連と対立していく。

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 さて、チャート的にはベスト10入りを逃すことになるのだが、名曲揃いのこの時期の米チャートの中でも、今週16位のPeople Get Ready - Impressionsに触れないわけにはいくまい。Jeff Beck & Rod Stewartほか、多くのカバーもある。

その頃ソ連では
1965年3月18日:ソ連の宇宙飛行士アレクセイ・レオーノフが、ヴォスホード2号宇宙船から、人類史上初の宇宙遊泳を行う。

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 さて、今週17位と、もうチャート上は下り坂になってしまったのだが、Tell Her No - Zombiesはやはり最高である。実は先日、この曲のオリジナルシングルを手に入れたばかりだったので、どうしても取り上げたかった。

その頃ソ連では
1965年3月19日:ルーマニアの最高指導者、ゲオルゲ・ゲオルギュ=デジ共産党第一書記が肺癌で死去。ゲオルギウ=デジ時代のルーマニアは、ソ連の最も忠実な衛星国の一つと言われていた。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 モータウンは自分の本筋の音楽なのだが、看板グループのテンプテーションズを取り上げるのは、実はこれが初めてか。My Girl - Temptationsが晴れて1位を獲得した。自身も売れっ子アーティストであるスモーキー・ロビンソン作。テンプスの、というよりも、モータウン、60年代ポップ、ソウルミュージックを代表する一曲と言える。

その頃ソ連では
1965年3月4日:ソ連最高会議幹部会、戦争犯罪の時効を延長しない旨の法令を採択。

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 大変だ、マルコムXが1965年2月21日に暗殺されてしまった! そこで、映画「マルコムX」の中で印象的に使われていたSam Cooke - A Change Is Gonna Comeに耳を傾けてみたい。チャート上では、今週33位に位置している。サム・クックは、自身が1964年12月11日に殺されてしまい、本シリーズではその追悼としてSam Cooke - Shakeを取り上げたばかりだったが、A Change Is Gonna ComeはそのB面曲で、両面ヒットということになる(今日ではむしろB面の方が歴史的名曲とされている)。個人的に、映画でイメージは重なってはいたが、マルコムXが殺害された時、実際にこの曲がチャート上にいたというのは、今回初めて知った。

その頃ソ連では
1965年2月27日:ウクライナ共和国キーウのアントノフ設計局が開発した世界初のワイドボディ輸送機AN-22(アンテイ)が初飛行。

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 さて、チャートの上位ではないが、今週30位に位置しているPeter, Paul and Mary - For Lovin' Meを聴いてみよう。今年に入って1月7日、メンバーの一人、ピーター・ヤロー氏(上掲動画で左の男性)が86歳で亡くなったことが伝えられたので、その追悼を込めて。日本語版ウィキペディアによる人物紹介は以下のとおり。

 ピーター・ヤロー (ヤーロウ)(Peter Yarrow, 1938年5月31日 - 2025年1月7日)は、米国の歌手で、1960年代を代表するフォーク音楽トリオ、ピーター・ポール&マリーのメンバー。ヤローは、ピーター・ポール&マリーの代表作の一つ「パフ」をレニー(レナード)・リプトンと共作した。ヤローは政治活動家でもあり、ベトナム戦争への反対運動から、NPO「オペレーション・リスペクト」の創設まで、様々な取り組みに関わってきた。

その頃ソ連では
1965年2月17日:ソ連・キューバ間で通商協定、支払協定、借款協定が調印される。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、先日お伝えしたとおり、1964年12月11日にサム・クックが亡くなった時にはサムの曲はチャート上にいなかったのだけど、その後Sam Cooke - Shakeが急上昇し、今週8位まで上がってきた。当然新曲ではなく、旧作のリバイバルだが。シェイクと言っても、あっち系じゃないよ。

その頃ソ連では
1965年2月11日:ソ連と中国の第2回交渉が北京で行われた。A.コスィギンとYu.アンドロポフが、中国の毛沢東、劉少奇、鄧小平と会談。国家・政党間の相違を解消することはできず。

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 このシリーズでつい先日、Marianne Faithfull - As Tears Go Byを取り上げたばかりだったが、今般そのマリアンヌ・フェイスフルの訃報が伝えられた。ご冥福をお祈りいたします。

 さて、今週のチャートでは、You’ve Lost That Lovin’ Feelin’ - Righteous Brothersがトップに。言わずと知れたフィル・スペクター・サウンドの代表曲であり、ガールものが目立つフィレス勢にあって、異色の男性ブルーアイドソウルである。個人的には、昨年暮れ、このレコードのシングル盤を手に入れられたのが嬉しかった(安かった)。

その頃ソ連では
1965年2月5日:ベトナム・ハノイに向かう途上、A.コスイギン・ソ連閣僚会議議長とYu.アンドロポフ中央委員会書記を団長とするソ連代表団が北京に立ち寄る。中華人民共和国国務院総理周恩来と外務大臣陳儀との間で、ソ連・中国の交渉が行われた。

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 さて、1965年1月24日にチャーチル元英首相が亡くなるということがあったが、それでも相変わらずブリティッシュ勢は好調。キンクスも然りで、All Day And All Of The Night - Kinksが今週10位で赤丸上昇中。前作You Really Got Meの二番煎じっぽいのも事実だが、この元祖パンクっぽさがキンクスの持ち味。

その頃ソ連では
1965年1月21日:ベラルーシ共和国で初の結婚宮殿がミンスクに開設される。

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 前年から英国勢による米チャート席巻、いわゆるブリティッシュインベージョンが続いていたが、今回は英女性歌手が1位に輝いた。Downtown - Petula Clarkが米チャートのトップに立った。ペトゥラ・クラークは芸歴は長く、1940年代から子役として活躍していたらしい。

その頃ソ連では
1965年1月15日:ベラルーシ共和国でスヴェトロゴルスク化学繊維工場が稼働し初生産。

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 いつもと画像の感じが違うと思われるだろう。実は札幌の雪道で転倒し左腕を骨折してしまった。いつもはスキャナーで画像を撮っているのだが、今は両手で本を押さえることができないので、スキャナーが使えない。なので、今回の画像はスマホで撮った写真であり、湾曲が酷い。非常事態なのでお許しを。

 さて、チャートで気になったのは、24位のMarianne Faithfull - As Tears Go Byである。言うまでもなくローリング・ストーンズのレパートリーとして良く知られているが、それがこんな風に、ストーンズに先駆けて世に出ていたとは。マリアンヌ・フェイスフルは、後にミック・ジャガーの恋人になる人で、当時からストーンズのマネージャー、アンドリュー・オールダムと知り合いだったため、この曲(ジャガー、リチャーズ、オールダム作)をプレゼントされ、1年後にそれをストーンズがセルフカバーしたということらしい。マリアンヌ版は意外にもアップテンポになっている。

その頃ソ連では
1965年1月17日:ナチス犯罪者に恩赦を与えようとする試みに関し、ソ連政府が西ドイツ政府に抗議。

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 さて、カーティス・メイフィールド率いるインプレッションズは好調が続いており、今週7位にはImpressions - Amenがランク入りしている。たまたま、『レコード・コレクターズ』誌2025年1月号でコモエスタ八重樫氏がこの曲のことを取り上げている。1963年に公開された米映画「野のユリ」というのがあり、日本ではその劇中歌をダニー飯田とパラダイス・キングが取り上げたりしたが、カーティスもその映画を観て感銘を受け同曲をカバーしたらしい。

その頃ソ連では
1965年1月1日:ソ連の中央省庁として、石油精製・石油化学省、建材産業省、軽工業・食品産業・家電産業省が新設される。

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 激動の1964年も、最終週を迎えた。今週は、6位のLittle Anthony & the Imperials - Goin’ Out Of My Headに耳を傾けてみることにしよう。こういうムーディーな作風を得意としたRandazzo-Weinsteinのコンビによる楽曲。

その頃ソ連では
1965年1月1日:ソ連がアジア・アフリカ・中南米の開発途上諸国から輸入される商品に対する輸入関税を撤廃。

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 さて、1964年はビートルズがアメリカを席巻した年として記憶されているが、ただ、Billboard Hot 100でビートルズが大暴れしたのは主に上半期であり、こうやってビートルズの曲が1位になるのは、ちょっと間が空いたという気がする。しかし、その間にビートルズは音楽的に変化を遂げて、ずいぶん遠いところまで来てしまった。というわけで、The Beatles - I Feel Fineを。

その頃ソ連では
1964年12月24日:ソ連政府、1965年5月をもってナチス戦犯の訴追を停止するという西ドイツ政府の決定に関し声明を発出

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 さて、チャートの下の方を見ていたら、93位にLee Morgan - The Sidewinderというのが入っていて、驚いた。人気トランぺッターの有名曲ではあるが、まさか名門ジャズレーベルのBlue Noteがシングル盤を出して、それがポップチャートに入るようなことがあったとは、知らなかったのである。この曲、最終的には81位まで上がる。

その頃ソ連では
1964年12月22日:ソ連で1963年に形成されていた「中央アジア経済地区」が廃止される。

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 今週は、1位獲得に敬意を表して、Bobby Vinton - Mr. Lonelyを取り上げざるをえまい。「ビートルズ以前」という感じの、ノスタルジックなアメリカンオールディーズだ。ただ、今回初めて知ったが、ボビーはこの曲の共作者に名を連ねているものの、この曲を初めて世に出したのは、1962年のBuddy Greco氏による録音だったらしい。道理でひと昔前という感じの作風なわけだ。

 ところで、1964年12月11日、アメリカ社会、特に黒人コミュニティにとってショックな出来事があった。名シンガー、サム・クックの死である。もっとも、この週のHot 100を見渡しても、サムの曲はチャートに入っていない。そこで、1964年よりもっと古いが、私がサムの唄で一番すごいと思うものを紹介し、改めて偉大なシンガーを追悼したい。

その頃ソ連では
1964年12月12日:ロシア共和国マガダン州のススマン町が市に昇格。

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 今週1位のLorne Greene - Ringoは、よく知らない曲だったので興味を持ったが、試しに聴いてみたら面白みのないテレビ主題歌だったので、パス。やはり自分の本筋の曲を取り上げたい。The Rolling Stones - Time is On My Sideが今週6位に食い込んでおり、これまでのところの彼らの全米最大ヒットとなった。これはもちろんカバーで、個人的にはIrma Thomasの持ち歌と認識していたが、実はこちらが最初らしい。

その頃ソ連では
1964年12月1日:カザフ共和国で西カザフスタン地方、南カザフスタン地方が廃止される。

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 さあ、アメリカンオールディーズの華麗なる徒花(?)、Shangri-Las - Leader Of The Packがついに1位を射止めた。サウンドエフェクトも効果的に使ったヤンキーものの名曲。

その頃ソ連では
1964年11月21日:ソ連最高会議幹部会令「ソビエト連邦労働者代議員地域評議会の統一について」により、フルシチョフ時代の1962年に導入された工業地区と農業地区の区分が廃止され、統一のソビエト権力機関が復活。

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