ユーラシアリサーチ 服部倫卓ブログ

ロシア・ウクライナ・ベラルーシを中心に旧ソ連諸国の経済・政治情報をお届け

カテゴリ:音楽・映画・番組鑑賞 > 60年前のBillboard

 ロシア・ウクライナ情勢が(ついでに中東情勢も)大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、今週17位にBatman Theme - Markettsがランクインしており、有名なバットマンのメロディーだが、これがオリジナルというわけではないらしい。オリジナルは、同じく1966年のテレビドラマ「バットマン」のテーマ曲で、作曲者は Neal Hefti。録音はスタジオ・ミュージシャン集団 Wrecking Crewによるもので、「Batman!」の掛け声も8人のコーラスによるものだった。ただ、そのリメイクでヒットしたこのMarketts版も、実際にはウェストコーストのスタジオミュージシャンがプレーしており、実質あまり変わらないような気もする。この曲は1966年だけでも、このThe Markettsに加え、The Ventures、Al Hirt、The Standellsと、カバーが相次いだ。

 しかし、考えてみると、「アッコちゃんすきすきすき」もBatman Theme - Markettsを下敷きにしてたんだろうな。

その頃ソ連では
1966年3月7日:ソ連が、国連総会第20回会期で採択された「すべての形態の人種差別の撤廃に関する国際条約」に署名。

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19660319a
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 さて、California Dreamin' - Mamas & The Papasは、今日でこそ60年代ポップの代表曲のように扱われるが、当時のBillboard Hot 100では今週の4位が最高だった。「歴史的評価」と「当時のチャート順位」が一致しない典型例と言えようか。むしろ、当人たちにとりそれほどの自信作でもなかった次作が、No.1ヒットとなるのである。

その頃ソ連では
1966年3月7日:国際連合におけるソ連常駐代表、安全保障理事会議長に対し、ドイツ民主共和国(東ドイツ)の国連加盟申請を支持する書簡を送付。

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 さて、今週1位に躍り出たThe Ballad Of The Green Berets - SSgt. Barry Sadlerは、タイトルは良く目にする気がするが、今までちゃんと聴いたことがなかったので、この機会に聴いてみた。当然のことながら、当時進行していたベトナム戦争を背景とした曲であり、反戦運動が高まっていた時代でありながら、この曲はその中で珍しく軍を肯定的に描いたヒット曲だったということである。グリーンベレー隊員の勇敢さ、任務への忠誠心、家族を守る使命感、戦死した兵士への敬意を、落ち着いた行進曲風のメロディーで歌っている。歌手のBarry Sadlerは実際にグリーンベレー隊員だった現役軍人で、この曲で一躍有名人になったが、その後も愛国的な作品を出したものの、実質的に一発屋で終わったようだ。まあ、そう何度も聴こうとは思えない歌だ。

その頃ソ連では
1966年2月28日:世界で初めて、ソ連海軍の原子力潜水艦部隊が、海面に浮上することなく世界一周航海を行い、1ヵ月半を経てその航海を成功裏に完了した。

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 さて、今週は、米ポップ史上にとっても画期的な曲が1位になった。These Boots Are Made For Walkin’ - Nancy Sinatraである。この曲は、女性の「強さ」を前面に出した先駆的ヒットだったということである。1960年代半ばのポップスでは、女性歌手は恋に悩み、捨てられる立場で描かれることが多かった。しかしこの曲では、「あなたがちゃんとしないなら、私は歩いて去るわ」という、女性が主導権を握る宣言がテーマ。これは当時としてはかなり革新的で、後のフェミニズム的ポップ表現の先駆けと見なされているそうだ。また、ナンシー・シナトラにとっても、デビュー当初は「親(フランク・シナトラ)の七光り」と見られ、ヒットに恵まれなかった。しかし、リー・ヘイゼルウッドのプロデュースで、低音で歌うクールで挑発的なキャラクターへとイメージを刷新し、この曲が彼女の真のデビュー作とも言える存在になったわけである。

その頃ソ連では
1966年2月22日:ソ連とエジプトが議定書を締結し、これに基づきソ連はエジプトのヘルワン製鉄コンビナートの建設に協力していくことになった。

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19660226a
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 さて、まだまだ知らない曲はあるもので、今週1位のLightnin’ Strikes - Lou Christieは個人的に認識していない曲だった。ルー・クリスティというのは1960年代アメリカのポップ界で活躍したイタリア系歌手。彼のキャリアにとっては女性ソングライター Twyla Herbert との出会いが大きく、この曲も両者が共作している。「女性に対して誠実でいようとするが、雷(lightning)のように欲望に襲われてしまう男の葛藤」を描いているそうで、「理性 vs 衝動」というテーマを劇的なアレンジとコーラスで強調しているのが特徴の作品ということである。

その頃ソ連では
1966年2月17日:米国が日本領土をベトナムを攻撃する目的で使用していることに関し、ソ連が日本政府に覚書を伝達。

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19660219a
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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、最高3位まで上がり、今週も6位に着けているNo Matter What Shape (Your Stomach’s In) - T-Bonesという曲を知らなかったので、今週はこれを調べてみた。実はこの曲、胃腸薬 Alka-Seltzer のテレビCM用に作られ、CMソングなのに大ヒットしてしまったというパターンだったらしい。だいたい、曲のタイトルからして、「お腹がどんな状態でも大丈夫」である。名義こそ The T-Bonesになっているが、実際の演奏・録音を担ったのはLAの伝説的スタジオミュージシャン集団 The Wrecking Crewだったということだ。

その頃ソ連では
2026年1月24日:ベラルーシ共和国のミンスク冷蔵庫工場が累計10万台生産達成。

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19660212a
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 前作「ダウンタウン」で英国人女性ソロ歌手として史上初の全米No.1ヒットを放ったペトラ・クラークが好調を維持し、My Love - Petula Clarkでも連続1位を達成した。英国人女性歌手の米市場におけるこれほどまでの成功は、後にも先にもほとんど例がない。当時の英国勢の米市場浸透と言えば、ロックバンドが圧倒的に主流だったが、この曲はトニー・ハッチのプロダクションが冴えるエレガントポップとなっている。

その頃ソ連では
1966年2月3日:ソ連の「ルナ9号」が、探査機として初めて月面に着陸。月面のパノラマ写真を初めて地球に送った。

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19660205a
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 さて、英国勢やモータウン、ビーチボーイズなど若者音楽が猛威を振るったこの時代、オトナの音楽もちゃんと生きていた。It Was A Very Good Year - Frank Sinatraは、今週の28位が最高位だったか。メガヒットというわけではないが、何十年たっても、心に染み入る歌声だ。

その頃ソ連では
1966年1月2日:ソ連で、原子力発電所の設計を行うための特別設計プロジェクト局が設立される。基盤となったのは、モスクワ支部で原子力発電所関連の業務を行っていた総合設計第1部門(旧・総合設計第7部門)。原子力発電所設計に関する研究所の中核部門としての機能を担い、設計の全段階において原子力発電所の総合設計を行う任務が課せられた。

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19660129a
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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 それにしても、この週の前後のチャートアクションは興味深いもので、サイモン&ガーファンクルが1位に立ち、翌週それをビートルズのWe Can Work It Outが引きずりおろして2週にわたりトップに立ったかと思ったら、今週はまたS&Gが1位に返り咲いた。実は来週はビートルズがまた1位を取り戻すわけで、ビルボード史上に残るデッドヒートだったかもしれない。

 さて、そんな熾烈な上位とは別に、下の方に私のフェイバリットがいたので、今週はこれを取り上げる。ニューオリンズR&Bを語る上で重要な一曲、Get Out Of My Life, Woman - Lee Dorseyが今週68位に着けている。個人的にとにかく好きとしか言いようがない。

その頃ソ連では
1966年1月13日、ソ連・イラン間で、1970~1985年のイランの対ソ天然ガス供給、ソ連の対イラン機械設備供給に関する協定、イランにおける産業およびその他の施設建設の協力に関する協定締結。

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19660122a
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 さて、今週21位のJenny Take A Ride! - Mitch Ryder & The Detroit Wheelsは、これ以降もまだ順位を上げるのだが、大好きな曲なので待ちきれず、もう取り上げてしまう。チャック・ベリーやリトル・リチャードら、ロックンロールの先人たちのフレーズを大胆に縫合し、ソウルフルなシャウトと暴走するビートで押し切るスタイル。Mitch Ryder & The Detroit Wheelsを敬愛するブルース・スプリングスティーンがステージでDetroit Wheelsの曲をメドレーで演ることでも知られる。

その頃ソ連では
1966年1月10日:ソ連のA.コスイギン首相の仲介の下、タシケントで開催されたパキスタンのムハンマド・アユブ・カーン大統領とインドのラヴィンドラ・バチャチャンドラ・シャストリ首相との会談の結果、「タシケント宣言」が調印される。前年の両国間の戦争後の印パ関係正常化が目的。

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19660115a
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 さて、巨大ヒットというわけではないが、楽しい曲がチャートインしてきたので、これを取り上げよう。今週81位のCall Me - Chris Montezがそれである。初期にはティーン向けのロックンロール/ロカビリー系歌手だったクリス・モンテスが、英国勢の侵略を受けてよりポップで洗練されたバラード/ミドルテンポ路線へと転換し、ラテン色と都会的センスをミックスして放った一曲だった。

その頃ソ連では
1966年1月14日:ソ連の宇宙ロケット開発の父、S.コロリョフが逝去。

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 さて、思いっきりベタではあるが、Simon & Garfunkel - The Sounds of Silenceが、S&Gとしてのデビュー曲にして見事に1位に輝いたので、今回はこれを取り上げよう。曲自体は1964年に発表されていたもので、当初は静かな弾き語りだったものに、後からドラムやエレキギターのリズムを重ねた編曲版がヒットした。映画『卒業』の主題歌として使われたことで一気に注目を集め、若者の心情を表現した曲として愛されるようになった。

 そんなわけで、今年の「60年前のBillboard Hot 100」はこれでおしまい。また来年お会いしましょう。

その頃ソ連では
1966年1月1日:ソ連で、前年以降のコスイギン改革を受け、既存の国家委員会を基盤とし、産業部門別の管理機関が復活。17の連邦・共和国合同の産業関連省と11の連邦の産業関連省が設置される。

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19660101a
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 今週1位に輝いたのは、Over And Over - Dave Clark Five。実を言うと、DC5は個人的にこれまでほとんど通ってこなかったグループである。「(ビコーズを例外として)やかましいだけのグループ」みたいな風評があって、ちょっと避けてきた感じなのだ。当シリーズで取り上げることだし、これではいけないと思い、ベストCDを発注したところ。

その頃ソ連では
1965年12月30日:ソ連・エジプトの1966~1970年商品相互供給協定が結ばれる。

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19651225a
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 さて、今週3位の I Got You (I Feel Good) - James Brownは、単にJBの代表的ヒットというだけでなく、20世紀の大衆音楽史上における超重要曲と言えよう。R&B界ではすでに有名人だったJBが、ポップチャートでも上位に食い込み、国民的スターとなった。音楽的には、ワンコードのグルーブ、ホーンのリフ、シャウト主体のボーカルを駆使し、ソウルからファンクへの橋渡しのような曲となった。以降、JBの代名詞として、ステージでも常に披露されるようになる。

その頃ソ連では
1965年12月21日:ソ連で人工衛星「コスモス101」の打ち上げが行われる。

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 さて、今週44位と中位ではあるが、面白い曲がいるのに気付いた。Princess In Rags - Gene Pitneyがそれである。ジーン・ピットニーは個人的に代表曲はだいたい知っているつもりだったが、この曲は初めて知った。Rag Doll - Four Seasonsのパクリとまでは言わないまでも、似通ったモチーフではある。

その頃ソ連では
1965年12月3日:ソ連・東ドイツの1966~1970年長期通商協定が締結される。

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 さて、ザ・バーズが前作に続いて、Turn! Turn! Turn! - Byrdsで再び1位に輝いた。歌詞のほとんどは、旧約聖書『伝道の書』からの引用だそうで、宗教的・文学的な深みと、当時のフォーク/ロック文化を融合させた作品として高く評価されている。フォーク・ロックという新ジャンルの確立を決定づけた作品で、ベトナム戦争が激化し始めた時期にリリースされたため、「平和への祈り」「戦争反対の暗喩」として多くの若者に受け止められたという。

その頃ソ連では
1965年12月4日:モスクワのプーシキン広場で、ソ連初の人権擁護集会が開催される。

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19651204a
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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 今週は、堂々3位に位置している1-2-3 - Len Barryに注目してみよう。レン・バリーは、Dovellsというドゥーワップ・グループでリード・シンガーを務めていた人で、この曲は当時の音楽シーンを象徴するような「白人によるフィラデルフィア・ソウル」の代表的楽曲のひとつと位置付けられる。恋の始まりを「1, 2, 3」と数えるように簡単だ、と軽やかに歌うラブソングとなっている。なお、この曲のリズムやコード進行がMartha and the VandellasのDancing in the Streetに似ているとして、後に訴訟沙汰にもなったということだ。

その頃ソ連では
1965年12月2日:ソ連と英国の間で領事協定が締結される。

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19651127a
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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、以前お伝えしたとおり、スプリームスは前作Nothing but Heartachesで連続No.1記録が途絶えていたのだが、この週、I Hear A Symphony - Supremesで見事、覇権を奪還した。アーリーソウルのテイストを残していた初期の作風から、より凝った曲調・アレンジに移行している。

その頃ソ連では
1965年11月15日:南ローデシア情勢に関連してソ連政府が声明発表。

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 さて、今週4位のYou’re The One - Voguesは、英国の女性歌手、ペトゥラ・クラークが前年に出したものがオリジナルである。当時、ペトゥラ・クラークはまだアメリカでは「Downtown」で注目され始めた頃だったので、ヴォーグスが「You’re The One」をアメリカ市場向けに取り上げたのは、非常にタイミングが良かったのだろう。個人的には両バージョンとも同じくらい好きである。

その頃ソ連では
1965年11月5日:レニングラードで、かつてスピリドノフの邸宅だった場所に、出生登録式場「マリュートカ」が開設される。

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19651113a
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 さて、ビートルズと双璧を成す英国勢のロックバンドとして、ローリングストーンズが完全に軌道に乗り、今週はGet Off Of My Cloud - The Rolling Stonesが1位に駆け上がった。前作 (I Can't Get No) Satisfactionの大ヒットを受け、当時レコード会社やマネージャーが「次のシングルをすぐに出してくれ」と急かしたため、ミック・ジャガーとキース・リチャーズは非常に短期間で本作を作り上げたという。キースは後年、「『Satisfaction』の後でプレッシャーがすごかった。『もういいよ、ほっといてくれ!』という気分をそのまま曲にした」と語っている。

その頃ソ連では
1965年11月5日:レニングラードでアレクサンドル・ネフスキー橋が竣工。当時は街で最も長大な橋だった。

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 さて、黒人ガールグループの佳曲、A Lover’s Concerto - Toysは、この週の2位がピークだった。この曲は、ペツォールトの「メヌエット」というクラッシック曲からメロディーをとり、アレンジ的には当時全盛だったモータウンサウンドを拝借するという、なかなか要領の良いものだった。個人的には、モータウンのエースであったスプリームスが、意趣返しとばかりに、この曲をカバーしているバージョンが、完成度が高く好きである。

その頃ソ連では
1965年11月3日:アジア、アフリカ、ラテンアメリカ諸国民の連帯に関する第1回会議の開催を準備する委員会がソ連で設置される。

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19651030a
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 今週5位に、Keep On Dancing - Gentrysという曲がいる。個人的には、Bay City Rollersのカバーで長年親しんできたのだが、今回初めて、そのオリジナルを聴いた。

その頃ソ連では
1965年10月26日:南ローデシアの白人少数派による「独立」宣言の試みにソ連国営タス通信が抗議の声明。

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19651023a
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 亡くなった渋谷陽一氏が、「人が言うほどオーティス・レディングでもない」というようなことを発言していて、実は私も似たような感じである。ディープソウルの歌手では、もっと好きな人が色々いる。でも、今週46位のRespect - Otis Reddingは、文句なく好きだ。

その頃ソ連では
1965年10月15日:ソ連とオーストラリアの長期通商協定が締結される。

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19651016a
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 さすがに1位のイエスタデイは誰でも脳内再生できるので、別の曲を取り上げよう。今週10位のDo You Believe In Magic - Lovin’ Spoonfulは、有名曲ながら、ビルボードでは最終的に9位止まりだったようだ。フォーク・ロックとサンシャイン・ポップを繋ぐ重要な転換点に位置付けられる作品ということである。

その頃ソ連では
1965年10月13日:ソ連・ブルガリアの1966~1970年長期通商協定が締結される。

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 先週のゴリゴリのプロテストソングとは打って変わって、今週は楽しげなHang On Sloopy - McCoysがチャートのトップに立った。そのことについて、またぞろChatGPTに問題提起したところ、ざっと以下のようなお答えをいただいた。

 確かに、「Eve of Destruction」と「Hang On Sloopy」は1965年秋の全米No.1曲ですが、内容も空気感も真逆に近い存在です。「Hang On Sloopy」は、深刻な社会批判ではなく、若者向けダンス・パーティーの盛り上げ役として記憶されるような曲です。The McCoysは、オハイオ州出身の若いロックバンド(リーダーのリック・デリックは当時16歳)。曲の位置付けは、ガレージロック/パーティー・ロックの典型。単純でキャッチーなリフ、繰り返しの多い歌詞、シンプルな構成。踊れるロック”としての魅力が強く、プロテストソングのような思想性はほぼゼロ。Bang Recordsは、当時新興のレーベルで、オーナーのBert Bernsが手掛けた初期の成功例。同時期にVan Morrison(Them)やNeil DiamondもBangから出ており、ポップとR&Bをつなぐ存在として機能していた。「Eve of Destruction」のような重い社会派メッセージの直後に、何も考えずに楽しめる曲がNo.1になったことで、当時のチャートがいかに多様で、時に振れ幅が激しかったかがよく分かる。たった1週間で“世界の終わり”から“学園祭のダンスパーティー”へ空気が一変したわけです。

その頃ソ連では
1965年:カザフ共和国のウゼニ油田(マンギシラク)で最初の石油の噴出を見る。

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19651002a
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 さて、今週1位のEve Of Destruction - Barry McGuireは、曲名・歌手名はよく目にするものの、これまでちゃんと聴いたことがなかった。例によってChatGPTに訊いてみたところ、次のような曲ということである。

 Barry McGuire のEve of Destructionは、1960年代アメリカを象徴する社会派プロテストソングのひとつで、歌詞の内容・時代背景の両面から当時の若者や保守層の間で大きな論争を呼びました。歌詞は、1960年代半ばのアメリカ社会・国際情勢に対する批判や不安を、短いセンテンスで畳みかけるように並べています。主なモチーフは、1.ベトナム戦争、2.公民権運動と人種差別、3.核戦争の恐怖、 4.若者の徴兵と投票権問題。発売直後に全米チャート1位を獲得(1965年9月)。しかし保守派や一部の放送局は「反米的」「士気を下げる」として放送禁止に。一方で、若者や反戦派からは共感を集め、後のプロテストソング・ブームの先駆けになった。Barry McGuireはもともとポップ寄りのフォークグループ出身でしたが、この曲で一躍“怒れる反戦歌手”のイメージが定着。歌詞は1960年代半ばの出来事をかなり直接的に引用しており、今聴いても時代の空気がそのまま詰まっているのが特徴です。

その頃ソ連では
1965年9月27日:ソ連とガンビアの外交関係が、ソ連側からはセネガルにあるソ連大使館を通じて行われることに。

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19650925a
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 さて、チャートを眺めて、皆さん何か、異変にお気付きにならないか? 実は、5曲連続1位という快挙を続けていたシュープリームスが、ついにNothing But Heartaches - Supremesでコケて、最高11位に終わってしまったのである。今週はもう、23位まで下がっている。別にこの曲でクオリティが急に落ちたというわけでもないのだが、それだけこの時代の米チャートは生き馬の目を抜く世界だったのだろう。別にシュープリームスが落ち目になったわけではなく、しばらく後にはまた4曲連続No.1という快進撃を見せるのである。

その頃ソ連では
1965年9月14日:レニングラードで、後のロシア大統領、ドミトリー・メドヴェージェフが誕生。

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 のちにノーベル文学賞にまで上り詰めるボブ・ディランだが、代表曲の一つ、Bob Dykan - Like A Rolling Stoneはチャートのトップには立てず、2位止まりだった。ところで、恥ずかしながら私はこの作品のオリジナルシングル・レコードを持っていないのだが、何しろLike A Rolling Stoneは6分以上ある曲なので、当時のシングル盤ではありえない長さであり、1曲を途中で切ってA面・B面に分けて収録したのではないかと、これまで想像していた。しかし、今回調べてみたところ、コロンビアは頑張って同曲全体をA面に収め、B面には他の曲を入れていたということが確認できた。上の動画は、そのオリジナルシングル・レコードが回っている様子である。

その頃ソ連では
1965年:カザフ共和国のアチサイ多金属コンビナートと共和国教育機関の職員グループがレーニン賞の受賞者に選出される。

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19650911a
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 今週1位は、今さら説明の必要なし、The Beatles - Help! となっている。ヒットチャートを紹介する趣旨なので、シングル盤のモノラルバージョンでどうぞ。

その頃ソ連では
1965年9月1日:ベラルーシ共和国のミンスクで共和国科学教育図書館が開設される。

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19650904a
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 Unchained Melody - Righteous Brothersは、後年に映画「ゴースト」でも効果的に使われ、オールディーズ屈指の人気曲と言っていいが、順位的にはこの週と次週の4位が最高だった。この曲のオリジナルシングル・レコードをどうにかして入手したいのだが、まだ現物を見たことがない。

その頃ソ連では
1965年8月:ベラルーシ共和国科学アカデミーに核エネルギー研究所が創設される。

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19650828a
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