今般、木村幹(著)『国立大学教授のお仕事 ―とある部局長のホンネ』(ちくま新書、2025年)という本を読んだ。Amazonから紹介文を拝借すると、
時は1993年。若き政治学者・木村幹(27歳)は、愛媛大学法文学部に助手として採用された。「雇用の安定した国立大学に就職し、研究に集中したい」という夢が早々に叶い、これで韓国の政治文化研究に打ち込めると思いきや、国立大学の置かれた状況は刻一刻と悪化していく。神戸大学に移るも、2004年の独立行政法人化により研究費も人員も削減され、予算獲得のための仕事が日々の研究を圧迫する。昇進しても、小さいパイの取り合いで疲弊するばかりだ。還暦間近のとある部局長が見つめた、おかしくも哀しい国立大学の30年。
実はこの本は、しばらく前に知って興味を持ったのだが、時間がなかったので特に買って読んだりはしていなかった。そうしたところ、同僚の仙石学さんが本書を携えているのを目撃し、話を振ったところ、貸してくれたのである。普段、買った本はいつでも読めると思い放置しがちだが、借りた本は早く返さなければいけないので、一気に読んでみたというわけである。ちなみに、仙石さんは本書の「むすびにかえて」で謝辞を向けられており、一読者というよりは関係者だったようだ。
さて、この本を読み、深く共感してしまったのは、次のようなくだりだった。「大学に赴任して最初に驚いたのは、誰も仕事の内容について教えてくれないことだった。」
私自身も、3年ほど前に今の職場に着任して、まったく同じ感想を抱いた。いや、私の場合、かなり歳を食ってから、大学の外の世界から来たということで、周りの人たちはそれなりに気を遣ってくれて、うちの職場としては丁寧に受け入れてくれたようなのだが、それでも組織全体のことや、仕事を具体的にどう進めるかなど、ほとんどまともな説明は受けなかった。なので、私などは、「おそらくこういうことなのかな?」といった想像の積み重ねで、組織の課題や村社会のルールをどうにか理解していった、といったところである。
したがって、私にとって本書『国立大学教授のお仕事』は、これまで漠然としか認識していなかった国立大学にまつわる様々なことを、明快に説明してくれているという点で、本当に有難い一冊だった。木村さんは、この本はあくまでも自分の狭い範囲内での知見であると断っているが、おそらく私の属す北海道大学スラブ・ユーラシア研究センターと木村さんの神戸大学大学院国際協力研究所は、研究分野に加え規模感や位置付けなども似通っているように思われ、共通する問題が多いのではないかと思う。
逆に言うと、私と異なり、国立大学に長く在籍しているような人々にとっては、本書は周知の事柄を描いており、新味があまり多くないかもしれない。私はあくまでも、国立大学では新参者なので、木村さんの話が「なるほど、そうだったのか!」と膝を打つことばかりだったのだろう。
なので、本書が一番響く読者層は、これから国立大学で職を得たいと思っているような若手研究者かもしれない。また、私学の大学の先生が、国立大学の事情も知りたいと思った時にも、大いに参考になるだろう。もっと言えば、本書の「はじめに」で論じられているように、世間一般には、大学教授という職業のありようがだいぶ偏って理解されているので、大学とは関係のない一般読者が読んでも、新鮮な驚きの連続だろう。
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