
政治評論家のアンドレイ・コレスニコフ氏がこちらでコラムを発表したので、その要旨を以下のとおりまとめておく。内容的には、ロシアにとり戦争は一時的な非常事態ではなく、国家と社会の「自然な状態」になりつつある一方、その体制を支えてきた社会的動員効果には限界が見え始めている、というもの。論考の副題そのものが、「軍事行動と、その次のより苛烈な段階への準備が、国家と社会の『自然な』状態になった」となっている。
ソ連時代の外交官V.ファーリンは、「対立は運命ではなく選択である」と発言したことがある。現在起きているのは単なる対立ではなく、長期化した消耗戦の行き詰まりを、さらにエスカレートすることで打開しようとする局面である。長期戦の出口には、本来なら「意思によって消耗戦を終わらせる」という選択肢がある。しかしもう一つは、エスカレーションの螺旋を回し続けることであり、その究極には核攻撃まである。人々は核使用などあり得ないと思いたがるが、2022年以前には多くの人が全面侵攻そのものをあり得ないと思っていた。
米CIA長官ジョン・ラトクリフのモスクワ電撃訪問は、2021年11月に当時のCIA長官ウィリアム・バーンズが訪露し、ロシア指導部に警告を発したことを想起させる。自分(コレスニコフ)の見るところ、米側は再び和平交渉の可能性を探っているものの、選択肢はほとんど増えていない。たとえば非武装緩衝地帯を設けるにしても、現在の接触線付近で戦線を止める必要があり、それをプーチンが受け入れない。プーチンには戦線をさらに西へ動かしたいという動機があり、それ自体がエスカレーションを促している。特に危険なのは、ロシア側で「ウクライナのエネルギーシステムを冬季に全面的に破壊する」といった議論が公然化していること。これは典型的な「エスカレーションによるデエスカレーション」、つまり攻撃を極端に強めれば相手が屈服するだろうという発想。しかし、ウクライナが降伏することは考えられない。その結果起きるのは、双方の攻撃が量的にも質的にも一段階上がること。 双方が同じロケットの乗客であると同時に操縦士でもあり、段階を上げていけば最後には制御不能になる。だからこそ、制御不能になる前のどこかの状態を「勝利」と名付けて降りるべきなのだ。
これまでロシアでは、戦争や愛国的動員が起こるたびに政権・大統領の支持率が上昇してきた。ところが、2026年4月頃からこのパターンに変化が見え始めた。これはレヴァダ・センターの世論調査でも裏付けられている。しかも現在、ロシア国民は製油所・倉庫への攻撃、ガソリン不足、インターネット遮断、ドローン攻撃による生命への危険などを日常的に負担するようになっている。それでもなお「和平のため譲歩するくらいなら攻撃を強化すべきだ」という回答の方が多いのだが、もう一段のエスカレーション、とりわけ新たな部分動員を行えば、従来のような結束効果が生じる保証はない。むしろ、次の軍事的エスカレーションは、初めてプーチンの支持率を押し上げないかもしれない。支持率はすでに「戦前」に近いところまで低下したあと停滞しており、ここでさらに人的動員を拡大したり、ウクライナ側の報復攻撃が激化したりした場合、どうなるか分からない。
ロシア国民は「勝利なら何でもいいから終わらせてほしい」段階へ移りつつある。「人民の戦争」というものには賞味期限がある。本来それは「勝利」で終わらなければならず、政治体制や社会そのものの恒常的な存在様式になってはいけない。しかも現在のロシア社会は相当に疲れているので、政府が「われわれの条件で目的は達成された」と宣言すれば、実際の中身がどうであれ、世論はかなり広範にそれを「勝利」として受け入れるはず。つまり、現在の問題は「ロシア国民が和平を受け入れない」ことではなく、国民は終戦を受け入れる準備がかなりできているが、指導部の側が戦争を終わらせる政治的決断をしていないという構図。そして戦争が長期化するほど、ウクライナ戦争は「国民の戦争」というより国家指導者個人の戦争という性格を帯びてくる。ベトナム戦争がジョンソン大統領個人の戦争になり、彼を消耗させて最終的に再選出馬断念に追い込んだ例もある。
ソ連は何十年にもわたり「明日戦争が起きるなら」という戦争準備状態で生き続け、それが経済的・政治的だけでなく心理的にも耐え難い負担となり、最終的に「粘土の足を持つ巨人」を倒した。そして、プーチンは国家と社会のこの存在パラダイムを復活させた。国民は「いつか起きる抽象的な戦争」への準備だけではなく、いまや動員に備えて非常用バッグを用意する、あるいは自宅の屋根へのドローン攻撃に備えるという具体的な戦争の日常を生きるようになった。人間はそれにも適応し、正常化することはできる。しかし「どこまで耐えられるのか」が問題だ。
エスカレーションには外部と内部という2つの戦線がある。外部ではウクライナ戦争の激化。内部では、逮捕・刑罰の苛烈化、「外国代理人」規制の強化、事実上の資産国有化、ヤブロコの選挙からの排除、ヤブロコ幹部レフ・シュロスベルグへの厳罰、インターネットを通じた外部世界との通信遮断などが進んでいる。重要なのは、一方のエスカレーションは、もう一方なしには存在しないこと。しかも因果関係としては国内のエスカレーションの方が一次的だ。つまり、ウクライナ戦争が国内の権威主義化を生んだというより、もともとのクレムリン体制の論理――敵を作り、戦争に備え、社会を動員する論理――が対外戦争を生み出している。
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