ロシアの解釈によれば、今年はロシアによる北極海航路の開発開始から、500周年に当たるということのようである。プーチン大統領が3月27日に行った北極演説では、「ロシアの船乗り、漁師、ポモール人の大胆なアイデア、いわゆる北東航路(これが北極海航路の原型となった)に沿って北の海を東に進み、中国に至る可能性のある貿易ルートについて、歴史的資料の中で初めて言及されてから今年で500年になることを指摘しておきたい」という言及があった。そして、こちらに見るように、プーチンは3月10日付の大統領令で、北極海航路500周年を祝うための準備作業を命じていた。
さて、500年前に北極海航路の開発が始まったとする史実に関しては、こちらのサイトの情報が分かりやすいか。これによると、北東航路の実用化の可能性は、1525年にロシアの外交官で翻訳家のドミトリー・ゲラシモフによって初めて発表されたと考えられている。イワン雷帝の父ワシーリー3世の治世のことだ。ゲラシモフは、北東航路の利用について、13~14世紀にバレンツ海で海獣を狩るために小型船で航海し、オビ湾に到達した白海沿岸の住民ポモール人の航海に言及した。さらに、イタリアの学者パウル・ヨヴィウスは、ゲラシモフの話を基にした1525年の「モスクワ大公ワシーリーのクレメンス7への大使館書」の中で、次のように書いている。 「...誰も大洋に到達した者はいない。彼らは、噂や、商人たちのほとんど作り話によってのみ知っている。しかし、ドヴィナ川は無数の河川を内包しており、速い流れに乗って北に運ばれていること、そして、そこの海は非常に長いため、信頼できる説によれば、右岸に行き、そこから船で中国の国境に到達することができる。」
要するに、ゲラシモフ自身は北極海航路を探検したわけではないが、古くから白海沿岸に進出していたスラヴ人のポモール人の話を伝え聞いており、それをイタリア人に伝え、その話を基に初めてモスクワ大公国の地図が作成された際に北極海あたりまで描かれることになったので、これが北極海航路開発の出発点というような位置付けになったらしい。歴史のことにこれ以上深入りする余裕はないので、このあたりにしておく。なお、上掲地図はこちらから拝借。
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