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 何かと忙しく、普段、読書をする時間がない。自分の研究に直接関係する文献に目を通すことはあるが、それは楽しんだり視野を広げたりするための読書とは似て非なるものである。そこで、8月中旬にとった夏季休暇では、読書に重点的に励もうと考えた。他方、今回のロンドン出張中、旅先ではブログを書く余裕があるとは限らないので、夏休みに読んだ本の感想を書き溜めておいて、ロンドン出張中のブログネタにしようと考えた。今日からそれをお届けするが、今回読んだ本は、くしくもすべて米国論となっている。

 まず、堀越豊裕(著)『日航機123便墜落 最後の証言』(2018年、平凡社新書)から。新刊ではないのだが、墜落事故の起きた記念日の8月12日頃に、Xで「これは決定的な名著で読むべき」といったポストを目にし、読んでみるかと思い立ったものだった。

 私にとって日航機墜落事故は、青春時代の記憶と重なっている。大学2年の時、静岡に帰省して、焼津の花火大会に出かけた。確かそれが、墜落事故の当日か、あるいは前日だったのではないかと思うのだ。他方、本書に示された上掲地図に見るとおり、日航機は焼津上空で進路を内陸に変え、惨劇へと進んでいった。なので、「自分が見たあの空に、もしかしたら墜落した日航機がいたのではないか」という気がして、それが同機に搭乗していた坂本九さんの「見上げてごらん夜の星を」のイメージとも重なり、自分の中で一つながりのものとして定着してしまっているのだ。ただ、事故が起きたその日に花火大会があったのなら、伝説として語り継がれそうだが、(昔のことなのでネット検索しても事実関係が確認しにくいとはいえ)そういう情報が見当たらないところを見ると、花火大会は事故の前日だったのかもしれない。とにかく私の中ではそういうワンセットのイメージとして出来上がってしまっているのである。

 さて、本書『日航機123便墜落 最後の証言』が、なぜ米国論になるのかというと、米運輸安全委員会、ボーイング社の幹部といった米国側の関係者への聞き取り取材が、本書の中核を成しているからである。それによって、事故の真相に迫るとともに、航空事故をめぐる日米の文化差を浮き彫りにしている点が、本書のハイライトである。なお、タイトルに「最後の証言」とあるのは、米国側の関係者も物故したりだいぶ高齢になったりして、今回著者が試みた取材がおそらく最後のチャンスだったという意味である。

 さて、日航機墜落の原因に関し、定説となっているのは圧力隔壁の破損であり、それを引き起こしたのは米ボーイング社の修理ミスだったというものであり、著者もそれを受け入れている。こうした場合、日本であればボーイングが記者会見をして平謝りに頭を下げ、マスコミや世間は大バッシングを浴びせ、当事者は酷い場合には自殺に追い込まれたりする。しかし、米国での反応はまったく異なるというのが、本書を読んで私が最も強く印象付けられた点だった。

 日本では、結果的に多数の死者を出したのだから、ボーイングやその修理担当者は業務上過失致死に問う流れになるだろう。それに対し、米国では悪意、犯意がない限り、罪には問われない。むしろ、悪意のない過失は積極的に免責し、その代わり起きた問題をすべて明らかにして、今後の事故防止に繋げようというのが、米航空業界の常識なのだという。この文化差が原因で、日航機墜落事件でも、日米間の齟齬が生じたようだ。

 著者が米国流の責任の取り方に共感しているのは、文面から伝わってくる。ただ、それでは航空産業における責任追及に関し、日本は米国流を取り入れるべきと著者が主張しているかというと、必ずしもそうではないという点が興味深かった。

 そんなわけで、ふとしたきっかけで読んでみた本であったが、確かに新書ながら決定版と言える手応えの一冊であった。


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