
色んな締切や業務に追われて、首が回らない状況である。多重債務者というのは、こんな心境なのだろうか。
なので、ブログは手抜きになるのだけど、このほど、我がセンター内でウクライナ史、というか正しくは現在ウクライナという国になっている地域がどんな歴史を歩んできたかについて議論する機会があった。その中で、発表者が北方戦争、ポルタヴァの戦いに言及していたので、そう言えば以前、ウクライナ中部にある「ポルタヴァの戦い歴史博物館」を見学したなということを、思い出した。
そこで、自分が博物館で撮った写真を見返したりしてみたわけである。それで改めて感じたのは、ポルタヴァの戦い歴史博物館、完全にロシアのピョートル大帝が主役の博物館だったな、ということだった。印象としては、6割くらいピョートル博物館だったな、という感じである。まあ、ポルタヴァの戦いというのは、ピョートル大帝のロシア軍がスウェーデンを撃破した戦いであり、ウクライナ・コサックを代表するマゼーパは脇役的な登場人物なので、展示が「ピョートル推し」になるのは自然だが。



以下に見るように、ウクライナ地域を代表するフメリニツキー、マゼーパの展示もあるものの、少々押され気味だった印象だ。


ロシアが全面軍事侵攻を開始して以降、ウクライナではロシア文化の排除が進んでおり、それは歴史面にも及んでいる。たとえば、昨年オデーサで、ロシアの女帝エカテリーナ2世の像が撤去されるという出来事があった。ふと思ったのは、ポルタヴァの戦い歴史博物館は、今はどうなっているのかということだった。オデーサではエカテリーナ2世像を撤去すればある程度ロシア統治の痕跡は消す効果があるかもしれないが、あれだけ「ピョートルが主役」だったポルタヴァの戦い歴史博物館からピョートル関連の展示を撤去したら、博物館がスカスカになってしまう。マゼーパを主役にポルタヴァの戦いの歴史を書き換えるのにも、限界があろう。となると、ポルタヴァの戦い歴史博物館自体を閉鎖することになるのか?
これは、単なる素朴な疑問である。博物館の今については、調べれば分かるのだろうが、今はその時間がない。
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