
橘玲氏の本は、ノンフィクションも、小説も、だいたい読むようにしている。小説で、必ずと言っていいほど登場人物がむごたらしい死に方をするのは勘弁してほしいが。
さて、夏休みの読書が、米国論というお題になりつつあるなと感じ、米シリコンバレーの天才富豪たちに焦点を充てたこの本の存在を思い出し、Kindleで買って読んでみた。しかし、米国の国家性、地域性とはほとんど関係がなく、あくまでも「テクノ・リバタリアン」という人種についての考察であり、その彼らが米シリコンバレーという場に引き寄せられているだけであって、夏休み読書の統一テーマからは少々外れてしまった。
Amazonから本書の紹介文をコピーさせていただくと、以下のとおり。
アメリカのIT企業家の資産総額は上位10数名だけで1兆ドルを超え、日本のGDPの25%にも達する。いまや国家に匹敵する莫大な富と強力なテクノロジーを独占する彼らは、「究極の自由」が約束された社会――既存の国家も民主主義も超越した、数学的に正しい統治――の実現を待ち望んでいる。いわば「ハイテク自由至上主義」と呼べる哲学を信奉する彼らによって、今後の世界がどう変わりうるのか?
ハイテク分野で活躍する天才には、極端にシステム化された知能をもつ「ハイパー・システマイザー」が多い。彼らはきわめて高い数学的・論理的能力に恵まれているが、認知的共感力に乏しい。それゆえ、幼少時代に周囲になじめず、世界を敵対的なものだと捉えるようになってしまう。イノベーションで驚異的な能力を発揮する一方、他者への痛みを理解しない。テスラのイーロン・マスク、ペイパルの創業者のピーター・ティールなどはその代表格といえる。社会とのアイデンティティ融合ができない彼らは、「テクノ・リバタリアニズム」を信奉するようになる。自由原理主義(リバタリアニズム)を、シリコンバレーで勃興するハイテクによって実現しようという思想である。
それで、個人的に興味深いと思ったのは、本書の以下のくだりである。
ハイパー・スステマイザーは、他者との共感をうまく構築できないのだから、アイデンティティ融合が難しい。……この現象は当事者のあいだで、「高知能の呪い」と呼ばれている。なぜ周囲のひとたちが、野球やサッカー、アメリカンフットボール(あるいはアイドル)などに熱狂するのかわからず、デートをしても相手と話がまったく合わないのなら、人生を楽しむことができるだろうか。
確かに、米国のIT長者がスポーツチームを買収したという話は、あまり聞いたことがない。ただ、それで思ったのだが、日本の場合にはむしろ、IT長者がスポーツチームを買収したりするケースが、非常に多い。これが意味するのは、シリコンバレーのそれと違って、日本のIT長者は、特異な天才としてのハイパー・スステマイザーではないのだろう。日本の成功者は、真にイノベーションを切り開いていているというよりも、外国で開発されたIT技術を、日本の社会・経済に上手く落とし込んで儲けた人々なのだろう。それに加えて、日本の場合、特にサッカーチームは、買収するにも「冗談のように安い」という要因もあるかもしれない。
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