今日はロシア政治のフォローは開店休業にしようと思ってたんだけど、私の最も信頼するロシア政治アナリスト、政治工学センターのA.マカルキンン第一副所長のコメントがこちらに出ていたので、以下のとおり抄訳しておく。
政治学者のローバート・ダールはかつて、20世紀半ばのアルゼンチン政治の状況を、為政者が「私は、私の政敵が選挙で勝たない限り、選挙を信じる」という立場をとっている状態と指摘していた。これは、過去15年ほどのロシア政治にも当てはまる。
エリツィンは1996年に不法な政権奪取という手段を選ばなかったが、それは、エレガントな手段でとは言い難いが、選挙に勝つことは可能であるということを、彼に対して説得したからである。すべてのプーチン選挙は、むろん2008年のそれも含めて、野党が望みうるのはせいぜい決選投票に持ち込むことという状況で行われた。しかも決選投票の現実的な望みが多少なりともあったのは、2000年と今回2012年だけである。プーチン政権は、これまでと同様、いかなる民主主義にも付き物の不確実性を、外国の勢力によって挑発された危険な不安定性と同一視し、その不確実性をいかなる手段を使っても最小化することこそ肝要と考えている。
しかも、今日のロシアの条件下では、「不確実性」の兆候とされるのは、単に選挙に負ける可能性だけでなく、決選投票にもつれ込むことすらもそうなのである。決選投票は、体制を侵食し、役人たちに立場を多様化する動機を与えかねないものだと思われている。もっと言えば、第1回投票での辛勝というのも駄目なのである。プーチンは一政治家としての大統領にはなりたくないのであり、彼は国民的リーダー、自らが築いた体制の支柱であろうとしている。彼は他の候補者と戦っていたのではなく、自らと、2007年の国民投票的選挙で自らが獲得した支持と、戦っていたのである。そして、もっと地味な第1回投票の得票率で我慢するならば避けられたであろう大きな騒動という犠牲を払ってでも、その結果を獲得した。
これを獲得したことで、野党による選挙結果の承認という重要なものも失う可能性がある。12月の下院選挙の結果を認めている野党は一つもない。メドヴェージェフと異なり、プーチンは敵に回したら恐ろしい人物であるが、それでも2位に終わったジュガノフは大統領選結果を認めない立場をとっている。大都市の有権者の支持を集めたプロホロフは、約4,000件にも上る選挙違反の事例を見付けたとしている。
もっとも、プーチンの「正統性」に関するイメージは、現代の民主主義に慣れ親しんだ者たちとは、異質なものである。彼のスタイルは19世紀~20世紀前半のもので、ビスマルクやストルイピンのように、「自由派のおしゃべり」の反対などはおかまいなしに、強いリーダーがその意思を強行するというものである。彼は工業社会の政治家であり、ポスト工業社会の人間のことは理解できない。だからこそ、「どんなおしゃべりよりも尊い」ウラルの労働者に依拠しようとするのである。彼にとっては、1968年の「嵐」の影響を受けて形成された今日の西側社会は理解不能だが、もっともロシアのエリートのかなりの部分もそれは同じであり、あるいはエリートの多数派がそうかもしれない。
勝利の後、どうなるのか? むろん、モスクワ中心部でデモを行っている野党は、選挙結果を承服せず、メガロポリスにおける国民の不満も消えてなくなりはしないだろう。しかし、政権にとって同じくらい危険なのは、別の問題である。現在プーチンに票を投じている人々は、国家・パトロン、国家・庇護者の役割をプーチンに期待している。2000年代の感情的な支持に代わって、打算、代えが利かないこと、カオスへの恐怖といったことが前面に出ている。プーチンの支持者たちは彼が経済危機前のように年金・給料・手当を定期的に引き上げてくれることを望んでいる。だが、現実には彼らは7月には、選挙をにらんで先送りされていた料金の引き上げに直面する。西側とイランの戦争で石油が200ドルを超えでもしない限り、さらに困難は続く。その時に、プーチンは有権者の支持をつなぎとめられるだろうか? マネージ広場に集められた群衆たちは、プーチンが選挙で勝ったという知らせを最初に受け取ったが、その際の沈黙が、この問いへの答えになると思われる。