ロシア・ウクライナ・ベラルーシ探訪 服部倫卓ブログ

ロシア・ウクライナ・ベラルーシを中心とした旧ソ連諸国の経済・政治情報をお届け

 ロシアで新内閣と大統領府の体制が確定し、プーチン前内閣の閣僚が大挙して大統領府に異動したため、今後政策決定の場は大統領府に移るのではないかという観測が強まっている。そうしたなか、こちらの記事によれば、D.ペスコフ大統領報道官は23日記者団に対して、そうした見方を否定するコメントを出した。ペスコフ報道官は、決定採択の中心が大統領府に移動し、大統領府の幹部の数が増え、元大臣は皆これまでの影響力を保持するといった見方は、本質においても形式においても中身においても誤った勘ぐりであり、現実を反映していないと述べ、広まりつつある見方を真っ向から否定した。

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 一昨日の記事で既報のとおり、22日にロシアで大統領府関係の人事が発表された。こちらのサイトによると、それに続きプーチンは23日付の大統領令で新たに3名の大統領府幹部を任命したので、それを追加した一覧を改めてまとめておく。下線で示した人物が、23日に追加で任命された者である。また、23日にD.ペスコフ大統領報道官が、補佐官・顧問の役割分担を明らかにしたので、こちらのニュースにもとづき、それを付記しておく。

 それにしても、ゴリコヴァの「南オセチアとアブハジアの社会・経済発展担当」というのは、一体何なのだろうか? 南オセチアとアブハジアは、国際的にはグルジアの領土とされており、ロシアにしても独立国という立場をとっているわけで、ロシアの政権幹部がその発展の面倒を見るというのは、どう考えてもおかしい。


S.イヴァノフ:大統領府長官
N.パトルシェフ:安全保障会議書記
V.ヴォロジン:大統領府第一副長官
A.グロモフ:大統領府第一副長官
A.ヴァイノ:大統領府副長官
D.ペスコフ:大統領府副長官、大統領報道官
L.ブルィチョヴァ:大統領補佐官、大統領国家・法務局部長
T.ゴリコヴァ:大統領補佐官・・・南オセチアとアブハジアの社会・経済発展担当
E.ナビウリナ:大統領補佐官・・・経済問題担当
Yu.トルトネフ:大統領補佐官・・・国家評議会担当
Yu.ウシャコフ:大統領補佐官・・・対外政策担当
A.フルセンコ:大統領補佐官・・・科学基金、学者向けの補助金担当
K.チュイチェンコ:大統領補佐官、大統領統制局長
I.シチョゴレフ:大統領補佐官・・・IT政策担当
Ye.シコロフ:大統領補佐官・・・人事政策担当
I.レヴィチン:大統領顧問
A.アブラモフ:大統領顧問・・・スポーツ担当
V.トルストイ:大統領顧問
V.オストロヴェンコ:大統領儀典長
D.カリムリン:大統領文書部長
R.ヌルガリエフ:安全保障会議副書記

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 ロシアの新たな大統領府の陣容に関し、『コメルサント』紙のこちらの記事の重要部分を抄訳して紹介する。

 プーチン大統領は、S.イヴァノフ大統領府長官と、内政担当のV.ヴォロジン第一副長官を再任した。両者とも、下院選後に政府から大統領府に移っており、プーチン・チームのクレムリンへの移動を担保してきた。

 21日、V.スルコフ副首相、O.ゴヴォルン地域発展相が任命されたことで、メドヴェージェフ内閣の政治的な構成要素が強化されたと一般には受け止められた。しかし、本紙が得た情報によると、(統一ロシアを含む)諸政党および選挙を統制する主たる役割は、大統領府の内政局に残されるということである。

 大統領府の情報担当セクションでは、プーチンの側近2人に立派な役職を与える決定が下された。A.グロモフ大統領府副長官は格上げになり、2番目の第一副長官というポストが設けられた。D.ペスコフは大統領報道官として留任しつつ、新たに大統領府副長官という称号も得た。一方、N.ティマコヴァ報道官は22日解任され、首相報道官・官房副長官に転身する。

 安全保障会議書記のN.パトルシェフは留任し、新たに副書記として前内相のR.ヌルガリエフが加わった。

 プーチンは、いずれかの影響力が突出することのないような形で、大統領府の機構を形成した。2人の第一副長官、3人(2人では?)の副長官という体制がとられている。A.ヴァイノは補佐官グループ長を務める可能性があるという。

 大統領府において現在の形での補佐官というポストは2004年に導入された。この時点で多数存在した大統領府副長官たちが、大統領補佐官になったのである。今回、プーチン内閣の閣僚たちが、補佐官グループを形成することになった。前大統領の時からポストを保持した補佐官はA.アブラモフ(国家評議会担当)とO.マルコフ(人事担当)だけだが、両者とも再任命はされていない。新任の補佐官たちはそれぞれの担当分野を持ち、大統領府の当該の局・部を率いることになる。従来は、たとえば、A.ドヴォルコヴィチ補佐官が専門家局と経済問題を担当していた。新しい体制では、E.ナビウリナがその役割となろう。社会問題はT.ゴリコヴァが担当する見通し。対外政策は、これまでのプリホチコに代わって、元駐米大使で、近年は政府官房で働いていたYu.ウシャコフが担当するだろう。

 政治評価国際研究所のYe.ミンチェンコ所長によれば、今後は大統領府が戦略を策定し、それが当該省庁を管轄する大統領補佐官を通じて、政府によって実施される、という。政治工学センターのA.マカルキン第一副所長も、旧大臣たちは自らの後任大臣に政治的圧力を行使し、新大臣たちは大統領と直接に連絡を取り合う、としている。マカルキンによると、かくしてプーチンは政府に対する二重のコントロールを確立した。第1に、外相、国防相、蔵相といった自らの腹心の閣僚を通じて。第2に、大統領府に移りながら古巣への影響力を保持している旧大臣を通じて。しかし、現実にはかなり複雑なプロセスになり、どのように決定が下されるのか、そして新旧大臣のどちらが責任を負うのかは、不明確であると、マカルキンは指摘する。

 マカルキンによれば、セーチンが大統領府に移らなかったのは、S.イヴァノフ大統領府長官がセーチンに匹敵する力量の持ち主で、併存できなかったから。残った策としては、汚職対策のような新たな国家的役職を設けてあてがうか、ロスネフチの社長かといったところであったが、前者の案はプーチン周辺の他の人々が望まず、後者に落ち着いた。セーチンは、最大の国営石油会社のトップという公式的な形だけでなく、いつでもプーチンに会えるという非公式な形でも、政府の活動に影響を及ぼし続けると、マカルキンは指摘した。

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20120523sechin

 プーチン前内閣の重要閣僚のうち、最も注目されながら、最後まで決まらなかったIセーチン前副首相の去就が、ようやく決まった。22日、国営石油会社「ロスネフチ」の社長に任命されたものである。こちらの記事にもとづきその概要をお伝えする。

 22日、メドヴェージェフ首相はセーチン前副首相と面談し、ロスネフチ社長に任命することを伝えた。情報筋によると、同氏の処遇に関しては、何らかの武力官庁のトップに据える、反汚職問題の機関を担当させる、ロスネフチェガスの社長、そしてロスネフチ社長など様々な案が検討された末、22日朝になってようやく固まった、とのことだ。

 セーチンは2004年にロスネフチの取締役会入りし、2006年に同会長に就任した。政権におけるロスネフチの代弁者と見なされ、同社ではセーチンを単に「ボス」と呼んでいた。その指揮下で、ロスネフチは破産したユコスの資産を取得し、ロシア最大の石油会社となった。その一方で、BPとの戦略的提携の失敗、中国向け石油の価格引き上げが不調に終わるなど、物議を醸すこともあった。

 3月の大統領選後、ロスネフチではセーチンを迎えるための「地ならし」が急激に活発になる。一連の戦略的な取引が、大急ぎで準備された。セーチン自身、1年前にメドヴェージェフによってロスネフチ取締役会を去ることを余儀なくされていたにもかかわらず、この作業に没頭した。早くも2月末には、独立ガス生産者のイテラ社とガス資産を合併することで合意し、ガス部門強化への橋頭保を築いた。そして、4月半ばには、エクソンモービルとの戦略的提携取引の後半部分について、合意に達した。エクソンモービルがロシアの大陸棚での開発に参加する一方、ロスネフチはメキシコ湾、テキサス、カナダのプロジェクトでの権益を得るとの取引だった。セーチンは初めてニューヨークでロスネフチのプレゼンを実施した。続いてロスネフチは伊ENI社、ノルウェーのスタトオイル社とも同様の提携を結んでいる。

 並行して、ロスネフチは人事の刷新を進めてきた。3月には財務・販売・精製を担当する重鎮だったP.フョードロフ第一副社長が去った。社内ではこれを、新しい指導者を受け入れるための準備であると感じていたという。

 名目的には、セーチンは内閣における自らの後任のエネルギー担当副首相A.ドヴォルコヴィチと、一定程度はA.ノヴァク・エネルギー相の指導下に置かれることになる。しかしプーチン大統領は自らの盟友であるセーチンが、メドヴェージェフ内閣の影響下に置かれないよう、機敏に措置をとった。メドヴェージェフがガスプロムの会長に就任してから、セーチンとの関係は悪化していたからだ。具体的にはプーチンは21日、ロスネフチを戦略的企業のリストに入れる大統領令に署名した。これにより、ロスネフチの取締役会の決定事項は大統領府との調整を要するようになり、政府の統制はほとんど及ばなくなる。

 しかも、ロスネフチの親会社であるロスネフチェガスを基盤に、国営のエネルギー企業を集約するという案が長らく検討されており、これがロスネフチ、トランスネフチ、ザルベジネフチの他に電力関連資産も束ねる可能性もあり、セーチンがそのロスネフチェガスのトップに就任すれば大幅に権限を拡大することになる、という。

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 私がしばしば引用する政治工学センターのA.マカルキン第一副所長が、こちらのサイトで、メドヴェージェフ新内閣について論評しているので、以下のとおり抄訳して紹介する。

 メドヴェージェフ内閣は成立の前から、苦難を味わうことになった。メドヴェージェフが大統領選に再選出馬をするのを断念して以降、エリートの多くはメドヴェージェフの将来性を見限り、タンデム体制に代わって垂直的な権力構造が到来して、メドヴェージェフ首相はせいぜい一定の「自治」を期待できる程度だろうという判断を下した。

 それゆえに、新内閣が最初に直面した深刻な問題は、キリエンコやクジミノフといった、本来は入閣してしかるべき人材が、それに難色を示したことである。彼らは、メドヴェージェフが長続きしない、あるいは充分に権力を振るうことができないと判断し、入閣を断った。あたかも、実力者たちはすでに次の内閣を見据えているかのようだ。新内閣で「技術的な」閣僚が多くなったのも、そのためである。

 第2の問題は、新政府の折衷的性格である。経済ブロックの重要ポストである蔵相と経済相には、プーチン人脈が据えられた。同様の状況は2000~2004年にもあり、同じような形でカシヤノフ首相の権力が殺がれた。財務省の重要性は言うまでもないし、経済発展省の役割も、メドヴェージェフが民営化の加速を試みようとしているだけに、まさにこれから重要性が高まるところである。大企業が参加する取引に許可を与える連邦反独占局も、どうやらプーチンの管轄下に残りそうだ(注:この予測は外れ、実際には反独占局は大統領ではなく内閣の管轄になった)。

 メドヴェージェフ派のドヴォルコヴィチが、エネルギーを含めた鉱工業の統括者となった。ところがその一方では、工業・商業相にマントゥロフが就任しており、同氏はロステフノロギーのチェメゾフ社長の推薦で入省した上に、少なくとも過去1年、つまりドヴォルコヴィチが今回の役割を思い付くずっと以前から、フリスチェンコ大臣の後釜の座を狙っていたのである。エネルギー大臣には、エネルギー産業プロパーの適任者が見付からなかったので、最終的にプロポニンの子飼いのノヴァク財務次官が起用された。財政専門家としては優秀なものの、エネルギーは門外漢である。そして最大の問題は、ロスネフチおよびエネルギー産業全般に隠然たる影響力を残しているセーチン氏が副首相から退任して、今後業界にどのような役割を果たすことになるのかが不明なことである(注:その後、ロスネフチ社長に就任した)。

 新しい内相に任命されたコロコリツェフは、メドヴェージェフ大統領の下でモスクワ市警察のトップに起用された人物。しかし、内務省は憲法上、大統領の直轄である。メドヴェージェフ大統領の治世下では、内務省に対する管轄が揺らぎ、メドヴェージェフは任期の半分を費やしてその掌握と改革に努めた。それに対し、プーチン大統領の下では、プーチンが内務省を掌握することに何の疑いもない。

 メドヴェージェフは、スルコフを官房長官という要職に据えることには成功し、官房の職員がプーチンになびいていったというフラトコフやズプコフのような技術的首相の悲哀は回避することができた。スルコフの側近のゴヴォルンも地域発展相に就任している。その反面メドヴェージェフは、腹心のアブィゾフを重要ポストに就けることには失敗した。アブィゾフは、先行き不透明な「公開政府」担当大臣に甘んじることになった。そして、閣内にはプーチンに近い人々、すなわちコザク、ムトコ、新農相のフョードロフ(全ロシア国民戦線の組織者の一人)などがいる。

 かくして、新内閣は実質的に連立の様相を呈しているが、明確なルールがない。議会制民主主義の政党連立では、組閣の際にルールが明確化され、それが見直されれば内閣の退陣に繋がる。ロシアの連立は非公式なので、内部対立を調整するのがより複雑となる。また、競争は政府内部だけでなく、政府と大統領府の間でも生じることになる。

 そこで、第3の問題が持ち上がる。ニキフォロフ新通信相がタタルスタンでの電子政府の普及に実績を上げたとか、メジンスキー新文化相がPR専門家として優れているといっても、今後も内閣が経済決定の中心にとどまるのかという根本的な問題がある。プーチン前内閣の閣僚がこぞって大統領府に異動しており、重要な問題の決定権も大統領府に移るのではないかという疑問が生じるのだ。もしそのシナリオが現実のものとなったら、メドヴェージェフは実権は与えられていないのに、たとえば石油価格の乱高下の影響とか、あらゆることに対する責任を負わされるといったことになりかねない。

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 ロシア新内閣に関し、『コメルサント』紙のこちらの論評を抄訳して紹介する。

 ロシアの内閣で「副首相」というポストは常に政治的・経済的利益の「結晶化の中心」であり、それゆえに副首相の配置は関心を集める。メドヴェージェフ新内閣が、プーチン前内閣と変わった最大の点は、I.シュヴァロフ氏という単一の第一副首相を設け、垂直体制を厳格化したことだ。プーチン内閣ではシュヴァロフとV.ズプコフ氏の2人の第一副首相がいた。このような単一の第一副首相の体制は、2004年に成立したM.フラトコフ内閣でA.ジューコフが第一副首相を務めて以来である。

 シュヴァロフの第一副首相留任が意味するのは、同氏が2008~2012年に政府で担当してきたプロジェクト、すなわち投資環境の改善、民営化、規制緩和、ユーラシア連合、インフラ建設、極東開発などが継続されるということである。今回の内閣でもシュヴァロフの管轄分野はかなり広く、彼は首相が他の問題に忙殺されている時に首相の代役を上手くこなすことができるということでメドヴェージェフやプーチンにとってありがたい存在で、その実務能力ゆえに今年初めのプライベートのスキャンダルも不問に付されたということである。

 実際のところは、新内閣の構造は、前内閣のそれよりも摩擦をはらんだものである。これまで内閣の非公式な第一人者の役割をI.セーチン副首相が自任してきたが、新内閣ではセーチンとズプコフの権限をA.ドヴォルコヴィチが一手に掌握する。彼の管轄範囲は、経済のリアルセクター全体とされている。ドヴォルコヴィチがこれまで大統領補佐官として担当していた分野が広範で、税制から年金までほぼ無限だったことを考えれば、新内閣で副首相たちが対立する要因には事欠かないだろう。ドヴォルコヴィチはメドヴェージェフの補佐官としてリベラルな経済理念を標榜してきたわけだが、今後はたとえば経済の国家セクターに対して外部の評論家としてではなく当事者としてかかわらなければならないわけで、どこまでリベラルな価値観を保持できるかが見物だ。このような勢力図においては、前内閣から留任するD.ロゴジン、A.フロポニン、D.コザクといった副首相の立場の方が有利であろう。留任した副首相たちが現状維持を図ればいいのに対し、新任の社会問題担当のO.ゴロジェツ副首相などは、これから全体の中に溶け込まなければならないからだ。

 V.スルコフ氏は、組閣にあたって、イノベーション・科学担当副首相という役割を保持するとともに、副首相・官房長官という地位も占めて成功を収めたが、プーチン前内閣から留任した副首相たちは組織面での独立性に慣れているので、スルコフ官房長官の登場も火種になる可能性がある。

 外見的には、政府機構改革は小幅であり、極東開発省が新設されたことと、保健省が2つの省に分割された程度である。しかし、見逃してならないのは、今回のプーチンの大統領令により、当時のG.グレフ経済相とD.コザク副首相が起草した2000~2004年の行政機構改革の諸原則が最終的に放棄されたということである。すなわち、省の次官が連邦庁の長官を兼務することが可能になり、その結果、執行権力における法的機能と監督的機能の分離という原則が放棄されてしまったことである。大統領令には、連邦の省は連邦局や庁の長官に対し、執行が義務付けられる指令を発することができ、傘下の局・庁の決定を停止することができると明記されている。残されたのは、1つの省庁の枠内で1人のトップに単独責任制を戻すという1999年の形式的な措置だけである。

 このほかにも、いくつか省庁の機構改革が見られる。経済省は統計局に対する管轄を失った。地域発展省付属の建設・住宅公営事業庁が新設された。スポーツ省は大幅な改革がなされた。そのほかにも、運輸省では航空など部門別委員会の改革が実施されるという噂もある。

 さらに象徴的な変化は、V.イシャエフが極東開発相および極東連邦管区大統領全権代表を兼務することになり、初めて大統領府の機能と連邦政府の機能が融合することになったことである。また、大統領令第7項によれば、連邦構成体に移管された連邦の機能の実施を省が管理することになっており、これは検討されている極東開発公社以上の役割である。これまで極東における国家プログラムおよび連邦特定プログラムは、策定の段階では経済発展省の、拠出の段階では財務省の専権事項とされてきたわけだが、今後は極東発展省がその機能を並行して果たすか、または奪い取ることになる。さらに、APEC関連の建設事業など地域発展省も極東でのプロジェクトに関与しているし、極東にとって重要な連邦漁業庁が農業省の傘下に移管されるという動きもある。その他の連邦管区、その他の分野でも機能の重複が生じる可能性がある。

 このように、政府機構の改革は一見目立たないが、本質にかかわる変化が生じている。今回の政府の体制が数年間も持ちこたえるとは思われず、今後さらなる改善が施されていくだろう。

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 先日の沖縄旅行の写真を、シリーズで紹介していきたいと思っている。

 普天間基地のある宜野湾市を散策していたところ、基地問題の深刻さとは裏腹の面白い標語の類を街角でいくつか見かけた。住宅街の道路で、「ゆっくり運転、カメが横断」とか、沖縄だけにひょっとしたらここまでウミガメが卵を産みに来るのかと思ってしまうような、冗談とも本気とも分からないような標語が多かった。

 この写真もそう。宜野湾警察署の正面に、「みんなのやくそく イカのおすし」とある。う~ん、どんな約束なんだ?

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 こちらのサイトに、ロシア新内閣の何人かの閣僚に関するコメントが出ているので、簡単に整理しておく。

 A.ベロウソフの経済発展大臣起用は、彼の経験、とりわけ経済発展次官を経て、最近では政府の経済・財政局長を務めていたことを考えれば、順当である。つまり、政府を内部から知っている経験豊かな人物ということであり、近いうちに経済発展省の政策が大きく変わるようなことは考えにくい。

 評価が分かれるのは、たとえば農業セクターでの経験が乏しいN.フョードロフの農相起用などであるが、実際にどうなるかは蓋を開けてみないと分からない。

 N.ニキフォロフの通信相起用に関しては、タタルスタンでの実績があり、課題とされている国家行政のICT化が進むという期待もある。

 運輸相に任命されたM.ソコロフ氏は、かつて政府の鉱工業・インフラ部長を務め、運輸部門の問題点を知悉している。インフラとのかかわりが深く、市場の自由化を通じて同部門が切実に必要としている民間投資を呼び込むことにとってプラスとなる。

 A.ノヴァクがエネルギー相に任命されたが、同氏の財務省での経歴は、課税・価格形成といった問題でのエネルギー省と財務省の協力関係にとって有益かもしれない。他方で、課税圧力、利益率の制限が強まる恐れがある。

 S.ヴォスクレセンスキーという分析家は、以下のように指摘する。エネルギー産業を統括していたI.セーチン副首相が去り、これまではセーチンの影響力のおかげでエネルギー業界は自らの利益を擁護することができ、政府内でその立場を守ってもらうことができた。とりわけ、セーチンの尽力で、東シベリアでの採掘に対する時限的な優遇措置が適用された。しかし、セーチンが石油ガス会社に要求した見返りも大きく、たとえば選挙前にガソリン価格の凍結を主導したのもセーチンその人だった可能性がある。新内閣でエネルギーを統括するのはA.ドヴォルコヴィチだが、ロシア財政が資源に依存する度合いが大きいことを考えると、石油ガス会社が新規プロジェクトに対し優遇措置を取り付けるのは至難になるかもしれない。

 やはりヴォスクレセンスキーによれば、近年ロシアの運輸セクターで大事故が相次いでおり、セクター全体の全面的な見直しが求められているので、新大臣もまずは技術安全の問題に取り組むことになるのかもしれない。運輸セクターでは改革が要請されているにもかかわらず、大きな変化はなかった経緯があり、今回の内閣は次官などが大臣に就任していることを考えると、新内閣では抜本的な刷新は期待できない、という。

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 引き続き、ロシアの新内閣に関連した動き。21日の新内閣の発足を受け、メドヴェージェフ首相は同日、早速閣僚を招集して、最初の会合を開催した。その場で首相は、向こう半年間で政府が取り組むべき7つの課題を挙げている。こちらのサイトに掲載されているので、整理しておく。

 第1に、社会・経済発展の主要方向に関する国家プログラムの基本リストを制定し終えなければならない。これらのプログラムのうち、少なくとも5つは、2012年1月に発効しなければならない。人口問題の解決には特別な関心を払う。

 第2に、2013~2015年の3ヵ年の予算案を議会に上程する。その際に、歳出の上限を規定する新たな予算規則を考慮する。

 第3に、社会分野に従事している特定のカテゴリーの労働者の給与を、大統領令およびその他の決定によって定められている水準まで、着実に引き上げる。

 第4に、「国民企業イニシアティブ」のロードマップでうたわれている関税、建設許可、インフラ接続といった分野の措置の実現に着手し、投資環境の改善のために決然たる措置をとる。

 第5に、国家行政の改革に取り組まなければならない。連邦行政機構の幹部ポストの公募制も含め。

 第6に、金融市場の状況などを考慮した上ではあるが、以前発表したリストに従って、新たなスケジュールで、国が保有している株式の民営化を実施する。

 第7に、政府および拡大政府の活動にあたって、政府の決定案を、近く設置されることになっている専門家評議会や、各大臣の下に設けられることになっている社会評議会において、定期的に検討しなければならない。

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 ロシアのプーチン大統領は、21日に内閣の顔触れを決定したのに続いて、22日には大統領府関係の人事も発表した。こちらのサイトにまとめられている。具体的には以下のとおり。それにしても、こうやって見ると、これまでプーチン内閣で働いてきた閣僚たちが、大挙して大統領府に移って補佐官等に就任しており、こちらが本物の内閣ではないかと見まごうばかりである。

S.イヴァノフ:大統領府長官
N.パトルシェフ:安全保障会議書記
V.ヴォロジン:大統領府第一副長官
A.グロモフ:大統領府第一副長官
A.ヴァイノ:大統領府副長官
D.ペスコフ:大統領府副長官、大統領報道官
L.ブルィチョヴァ:大統領補佐官、大統領国家・法務局部長
T.ゴリコヴァ:大統領補佐官
E.ナビウリナ:大統領補佐官
Yu.トルトネフ:大統領補佐官
Yu.ウシャコフ:大統領補佐官
A.フルセンコ:大統領補佐官
K.チュイチェンコ:大統領補佐官、大統領統制局長
I.シチョゴレフ:大統領補佐官
I.レヴィチン:大統領顧問
V.オストロヴェンコ:大統領儀典長
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 かつて我が国には、北海道開発庁、沖縄開発庁という役所があった。今般ロシア新内閣の発足にあたって、それらと一脈通じる「極東開発省」という省が新設された。ソ連~新生ロシアの歴史において、スターリン時代に「ダリストロイ」(極北建設総局)という国策的な事業体が設けられたことはあったものの、特定の地域の開発に特化した省が設けられるのは、これが初めてではないだろうか(自信はないが)。極東開発国家プログラムの類は何度も採択されたものの、それを実施する常設機関のようなものはなかったはずである。

 今回の閣僚名簿を眺め、「V.イシャエフ:極東開発相、極東連邦管区大統領全権代表」というのを目にした時には、「極東開発省」という省が設置されるわけではなく、常設の役所を持たないアドホックな大臣のような感じになるのかな、などと思った。しかし、プーチン大統領が署名した省庁編成に関する5月21日付の大統領令を読むと、「極東開発省」という省を設置することが明記されている。

 ただ、本ブログ/HPでも既報のとおり、プーチン氏は「極東・東シベリア開発公社」的なものを設置する意向を明らかにしており、省と公社の関係がどのようなものになるのか、またその関連で東シベリアの扱いがどうなるのか、気になるところだ。さらに言えば、北カフカス連邦管区大統領全権代表のA.プロポニンは副首相格なのに、イシャエフ極東連邦管区大統領全権代表はヒラの大臣挌というのは、バランス的にどうなのかどいう疑問も覚える。

 ともあれ、21日にプーチンが署名した大統領令のなかから、極東開発省の設置にかかわる部分(第7項)を、以下のとおり翻訳しておく。

 ロシア連邦極東開発省を設置する。

 ロシア連邦極東開発相は、極東連邦管区ロシア連邦大統領全権代表を兼務する。

 ロシア連邦極東開発省は、極東連邦管区の領域において、以下のような機能を果たす。ロシア連邦政府によって承認された一覧表に掲載された国家プログラム、連邦特定プログラム(長期的なものも含む)の実現に向けた活動を調整する。(森林資源、特別に保護された連邦レベルの自然保護区、ロシア連邦大統領によって承認された戦略的企業・株式会社一覧表に掲載された公開型株式会社、連邦国営企業の資産複合体を除き)連邦資産を管理する。ロシア連邦の法令に従って委譲されたロシア連邦の権限のロシア連邦構成主体による実施を統制する。

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 政治評論家で、「政治情報センター」所長のA.ムーヒン氏が、こちらのサイトで、メドヴェージェフ新内閣に関する解説を披露しているので、以下のとおり要旨を整理しておく。

 新内閣の中身は、一見したところ、かなり錯綜している。たとえば、V.スルコフ副首相・官房長官は、かつてV.ヴォロジンが占めていたポジションを得ることを求め、その望みを叶えた。強力な行政的権力を保持し、内閣機構だけでなく、今後メドヴェージェフが率いることになっている「統一ロシア」の改革に当たっても枢要な位置を占めることになった。その一方、メドヴェージェフの背後には元大統領府長官のA.ヴォロシンが控えており、彼も党建設への意欲を示している。

 I.シュヴァロフ第一副首相は、自らの管轄分野を変更することを狙っていたが、情報戦の攻撃を受け、2012年6月から一家の全資産を米国の白紙委任信託のような形で差し出すことを余儀なくされた。その結果シュヴァロフは新内閣でもポストを保持し、周囲では彼を引き続き首相候補と見なしている。

 D.ロゴジンを軍事担当の副首相として残したことは、プーチン直々の意向だった。ロゴジンは、軍がナショナリストの管理下にあるということを象徴するために、必要なのである。ロゴジンの「自発的全国民運動」など、ナショナリストの諸勢力は、プーチンの「全ロシア国民戦線」に合流していくことになると予想される。

 プーチンの新たな対外路線(反NATO路線)を強化するために、ロゴジンが国防相のポストも得るという予想もあったが、A.セルジュコフが国防相に留任した。これは、メドヴェージェフの立場に反して、軍事改革がいまだに未完であるとプーチンが考えていることを裏付けている。それに加え、セルジュコフ本人が留任を希望したという要因もあった。セルジュコフは、制御と恒常的な修正を必要とするような壮大な財政体系を築き上げたのだ。

 メドヴェージェフのお気に入りのドヴォルコヴィチの副首相就任は、織り込み済みだった。ロシアにおいて米国の利益を体現するのが同氏と考えられており、起用しなければ米国との関係を損なう恐れがあった。

 「公開政府」活動調整政府委員会を組織する担当大臣として、M.アブィゾフ(ヴォロシンに近い)が起用されたが、これはプーチンによるメドヴェージェフへの譲歩である。

 最近強硬な国家主義的立場をとっているS.ラヴロフ外相が留任したことで、プーチンの力の省庁のブロックは強化された。

 A.シルアノフと蔵相とA.ベロウソフ経済発展相は、プーチンの個人的な人選である。シルアノフはクドリンの後継者であり、本件はプーチンがクドリンと個人的な関係を保持しようとしていることを物語っており、シルアノフは頻繁にクドリンに助言を仰ぐことになろう。それゆえに、新内閣の財政資金の流れが変わることはなく、プーチンおよびメドヴェージェフが直々に指示しなければ修正されることはないだろう。

 かくしてプーチンは、力の省庁のブロックと財政のブロックに対する完全な支配を保持することになる。プーチン配下の幹部は、政治的に機微な社会分野や労働関係などを引き続き統制する。また、連邦反独占局のI.アルチェミエフ局長が留任したことは、資源部門へのコントロールの上で戦略的なこの分野においてプーチンの影響力のほどを裏付けている。プーチンは、古いチームに依拠した上で、新たな側近候補たちにも協力関係を呼びかけている。

 ドヴォルコヴィチが燃料・エネルギー部門、鉱工業の統括者になったことは、各分野における大幅な人事異動の始まり、紛争が多発することを意味しており、その展開はロシアの燃料・エネルギー部門全体の様相を変えることになる。一方、メドヴェージェフの政治的なプロジェクトは、灰色の枢機卿たるヴォロシンを通じて推進されよう。

 メドヴェージェフ首相が早期に退陣することになるだろうとの予測が多かったが、どうやらそうはなりそうもない。ただ、メドヴェージェフがプーチン大統領の任期が終わるまで首相にとどまるにしても、メドヴェージェフ派の大臣や副首相が攻撃にさらされる結果、メドヴェージェフ・チームは徐々に掘り崩されていく可能性がある。

 ただ、外見的には、新内閣は新たな「チェック&バランス・システム」に見え、これにより紛争を避けることができ、政府機関が大きな変更なしにすぐに機能を果たすことができる。全体として副首相も大臣もバランスがとれており、ベテランと新人が融合していて、新人にしてもほとんどの場合旧チームの出身者である。燃料・エネルギー部門を管理したいというメドヴェージェフ派の悲願も、聞き入れられた形となっている。しかしながら、新内閣における優位性は、プーチンが保持することとなった。

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 21日成立したロシアのメドヴェージェフ新内閣に関し、まずは『RBCデイリー』紙の記事を抄訳して紹介する。

 メドヴェージェフ新内閣は、4分の3も陣容が一新された。だが、新味があるのは大臣のポストで、それに対し副首相はほぼそのままの顔触れで新首相に引き継がれた。専門家たちは、新内閣を「次官内閣」と呼び、多くの異動にもかかわらず、政府内部の力関係はほとんど変わらないと見ている。

 メドヴェージェフは引き続き、7人の副首相と仕事をすることになった。閣外に去ったのはI.セーチンとV.ズプコフで、それに代わりメドヴェージェフの補佐官だったA.ドヴォルコヴィチと、モスクワ市の社会開発問題担当の副市長だったO.ゴロジェツの2人が副首相の座に就いた。経済のリアルセクターを担当することになったドヴォルコヴィチは、大統領の表明した7つの優先事項が政府の戦略的課題となると発言している。

 ドヴォルコヴィチとともに財政・経済ブロックを率いるのが、I.シュヴァロフ第一副首相である。政府筋では、財政も含め、シュヴァロフは従来の管轄分野をすべて保持する見通しであるという。運輸・通信分野の管轄は未確定だ。シュヴァロフは「手頃な住宅」プログラムも担当することになるかもしれない。

 一般の大臣のレベルでは、入れ替わりがより激しい。大臣ポストを維持したのは、5人だけだった。経済発展大臣には、E.ナビウリナに代わって、A.ベロウソフが就いた。ベロウソフは、省内で大幅な人事異動はないとしている。経済発展省と財務省は永遠の敵同士だったが、ベロウソフの大臣就任で両省の立場が接近する可能性もある。ベロウソフ本人が、シルアノフ蔵相とは旧知の間柄で、仕事がしやすいと述べているからだ。アルファバンクのN.オルロヴァ主任エコノミストは、ドヴォルコヴィチの存在により民営化政策が継続されるという期待もできる一方、ベロウソフの経済発展相就任により、民営化政策の行方が不透明になると指摘する。「実業ロシア」のB.チロフは、A.クドリンにとってはマクロ経済安定化が第一だったが、ベロウソフとドヴォルコヴィチの入閣により、ロシアは安定化政策だけでなく開発の方向にも進める、ドヴォルコヴィチはよりイノベーション的で多くのラジカルな改革アイディアを有しているとの認識を表明。「ロシアの支柱」のS.ボリソフも、ベロウソフとはこれまで有益な協力関係にあり、今後も中小企業の発展に尽くしてくれるだろうとの期待を示した。

 エネルギー相のポストには、A.ノヴァク前財務次官が就いた。ただ、エネルギー産業に対するセーチン前副首相の影響力が気にならないかとの質問に対し、ノヴァクは明確な返答を避けた。ノヴァクはエネルギーに関し実質的に素人であり、あるエネルギー大手の幹部は、「多くは次官人事にかかってくるだろう。その人選は、『最上層部』の同意を得なければならないことは明白だ」と指摘する。

 N.フョードロフ新農相は、2010年までチュヴァシ共和国大統領を務めた人物であるが、この重要な職責への準備が怠りなくできるよう、かなり以前から大臣就任を打診されていたと、本人は語っている。フョードロフは、ナショナルプロジェクトの賜物で農業は上り調子であり、農工コンプレクス発展の国家プログラムにつき各方面と詳細を詰めることが課題であると語っている。ロシア食肉同盟のM.マミコニャン会長は、ロシアのWTO加盟の関係で、現在ロシア農業が必要としているのは農業出身の大臣というよりも、業界の利益を擁護し、財務省や経済発展省と密接に協力できるような政治的経験豊かな人間であると語る。農業景況研究所のD.ルィリコ所長も、フョードロフはチュヴァシ共和国大統領として知名度があり、農村の社会的発展に尽くし成果を挙げた人物であるとして、歓迎の意を表した。

 保健・社会発展省は、保健省と労働・社会発展省に分割される。保健省の大臣には、保健・社会発展次官だったV.スクヴォルツォヴァが就く。保健省の幹部の中で、同氏が唯一の医師であるとのことで、近年保健関連の重要政策はすべて同氏を通して決定されてきた。T.ゴリコヴァ大臣は退任するが、同じ分野の大統領補佐官に就任するので、引き続き同分野を統括することになるという。

 文化大臣には、下院議員だったV.メジンスキーが就任する。現在、文化行政は荒廃しきった状況にあるとされ、財政資金を箱ものや人件費ではなく、成果に対して支出するようにすることが課題だという指摘がある。

 通信相に起用されたN.ニキフォロフは、タタルスタン共和国で通信相を務めていた人物だが、新内閣で最も若い閣僚となった。ニキフォロフを知る人々によれば、彼はイノベーションや新機軸を好み、地元タタルスタンでナンバーポータビリティ制度を導入した実績もあるので、今度はロシア全土でそれが実施されるかもしれない、とのことだ。

 さて、ガイダル研究所のS.ジャヴォロンコフは新内閣を、「次官内閣」と評している。大多数の新閣僚はこれまで次官を務めてきた人物か(スクヴォルツォヴァ、トピリン)、かつて次官だった人物(リヴァノフ、ベロウソフ)だからである。ジャヴォロンコフによれば、次官たちが大臣に昇格する一方、これまでの大臣たちは大統領府など他の役職に移動し、そこから少なくとも部分的には政府をコントロールできる、という。政治工学センターのI.ブーニンは、組閣にあたっては2つの目的、すなわち従来の路線および非公式な派閥・利害関係を継続することと、世論に歩み寄るということが追求された、と指摘。ジャヴォロンコフも、不人気な大臣は去ったが、その代りに現れたのは従来の路線を継承する人々だった、変化が生じうるのは前任者と関係のない人間が大臣になった通信省と農業省だけだ、との見方。ジャヴォロンコフはさらに、新内閣の良いところは仕事の経験だ、これはカミカゼ内閣ではない、かつてのプーチン大統領の下での2人の首相の時のような「技術的な政府」にはならないが、新内閣が強力になるということもない、プーチンは自派の人間を閣内に保持し、自らの大統領権限とクレムリンに異動する人々を通じて政府をコントロールし続けるだろう、と述べた。

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20120522cabinet

 昨日21日、メドヴェージェフ新内閣の陣容が決まった。これから色々情報を収集・提供していきたいが、とりあえず現地『RBCデイリー』紙に出たこんな図を。クリックで拡大。

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 ロシアのプーチン大統領は5月18日、中央研究所「ツィクロン」を訪問し、そこで関係者を交えて国家コーポレーション「ロステフノロギー」に関する会議を主宰した。こちらのサイトに、その際にプーチンが行った演説と、コーポレーションのチェメゾフ社長とのやり取りが掲載されている。本件はロシアの産業政策、民営化政策を占う上で重要なので、プーチンの発言要旨を以下のとおり整理しておく。

 本日は、ロシア最大の企業体である「ロステフノロギー」について検討する。とりわけそれを、経済の近代化、産業および国防ポテンシャルの強化という我々の戦略的課題を考慮して検討する。我々はハイテク部門の発展という利益のために資源を集中し、資産を集積する必要があった。我々は国家化をしたのではなく、様々な場所に様々な状態で(往々にして悲惨な状態で)存在していた国有資産を単に集め、それらを結集してしかるべき状態に持っていこうとしただけである。今度もその方針で臨む。死活的に重要な分野で、ロシアの技術的独立性を保証する強力な基盤を築く必要があった。それゆえにロステフノロギーに、様々な分野の国の出資する工業企業、研究・生産企業といった戦略的な資産を結集し、ハイテク・工業資産の現状を注意深く確認する必要があったのである。完全にではないにせよ、これらの課題は総じて成し遂げられた。

 国家コーポレーション「ロステフノロギー」の枠内で25の持ち株会社が創設された(注:その一覧はこちら)。うち、19が国防産業関連で、6つが民需部門である。19の国防関係のうち、4つが航空機産業、5つが弾薬・特殊化学、4つが通常兵器、6つが無線・エレクトロニクス分野である。コーポレーションに加入する企業の職員総数は約80万人だが、職員数にしても生産高にしてもロステフノロギーは1つの産業セクターに匹敵する。また、強力な国家コーポレーションの創設は、経済危機の際にその効果を発揮し、操業の安定、雇用の維持、開発プログラムの継続が可能になった。それに関連してAvtoVAZ、KamAZといった大手自動車メーカーの近代化プログラムが特筆に値する。

 本日の報告で注目していただきたいのは、第1に、コーポレーションのイノベーション的発展プログラムの効率性と実績を高めなければならない。この目的のために多大な資源が投入されており、2011年だけで同社のイノベーション・プログラムに投下された資金は560億ルーブルに上る。その課題は、突破口となるセクターで研究基盤を形成し、それをもとに生産全体に占めるハイテク製品の比率を大幅に伸ばすことである。国内・国際市場での地歩を固める必要がある。本日訪問しているツィクロン社のセクターでは、世界市場の5%を占めることが課題である。それは20億ドルであり、従業員300人の会社にとっては悪くない数字だ。

 第2に、現在コーポレーションは優先的プロジェクトのラインナップを策定したところで、航空機、冶金、医療、器具・機械製作、その他の戦略的分野が含まれるが、この作業にロシアの研究センター、大学を参入させ、中小企業を含む民間イノベーション企業と協力してほしい。大規模な技術的プログラムを実現するにあたって、周辺部門、経済全体にとっての総合的な効果が重要である。むろん、世界の主要メーカーとの技術的提携の可能性も大いに活用すべきだ。しかもロステフノロギーはすでに有望なパートナーシップの実例を有している。ナビゲーション・システム生産のためのロシア・フランスの合弁、ロシアでイタリアのヘリコプターを組み立て生産するための企業などが挙げられる。米GEとはハイテク医療機器の生産・サービスに当たる合弁が立ち上げられた。強調したいのは、ロシア領内でエンジニアリング・センターから量産までのすべての生産サイクルが形成されるということだ。高いレベルの現地化は技術へのアクセス、質の高く現代的な雇用の創出を意味する。

 プーチン演説はまだまだ続くが、長くなるので、ブログではこのへんで。続きはHPで(処理に少々時間がかかるかもしれない)。

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20120521kholmyansky

 前の記事でお伝えしたとおり、5月14日、ウラル連邦管区大統領全権代表のYe.クイヴァシェフがスヴェルドロフスク州知事代行に任命され、それによってウラル全権代表のポストが空席となった。そして、プーチン大統領は18日、スヴェルドロフスク州ニジニタギル市に所在するウラル鉄道車両工場の労働者、I.ホルマンスキフ氏(写真右)と面談し、同氏にウラル全権代表への就任を打診、同氏もこれを受け入れた。プーチン大統領は21日、ホルマンスキフをウラル連邦管区の大統領全権代表に任命する大統領令に正式に署名した。

 ホルマンスキフの経歴は、こちらのサイトに掲載されている。1969年ニジニタギル生まれ。ウラル国立工科大学卒。卒業後、今日まで一貫して、ウラル鉄道車両工場で働いてきた。同氏が一躍有名になったのは、昨年暮れにモスクワで反政府デモが吹き荒れていた時期に、自らが「男たち」を引き連れてモスクワに出向き反政府集会を蹴散らして見せるとプーチン首相に提案したことだった。大統領選におけるプーチン候補支持委員会のウラル鉄道車両工場支部長に就任し、2012年2月には体制支持派の新団体「勤労者の擁護のために」の共同議長に就任していた。

 このように、過去数ヵ月は政治に関与しプーチン支持運動に身を投じていたとはいえ、同氏が一介の「労働者」であることは変わりなく、異例の抜擢は驚きをもって受け止められている。私自身、今回の大統領選およびプーチン新体制の確立にあたって、ニジニタギルという街、なかんずくウラル鉄道車両工場という企業の象徴的な役割に着目してはいたが、まさかここまで絵を描いたような事態になるとは思わなかった。

 前置きが長くなったが、本件に関し、本日付の『コメルサント』紙の論評振りを、以下のとおり抄訳して紹介する。

 ホルマンスキフの急激な出世は、政界においても、専門家筋でも、バラバラな評価を受けている。また、同氏の抜擢は、野党に対してだけでなく、エリートに対しても、シグナルであると指摘されている。

 政治評論家のD.オレーシキンによれば、プーチンは今回も連邦中央の地域問題に対する批判的な態度を誇示しようとしたが、エリートが今回の人事に明確に反対することはなさそうだという。モスクワ大のR.トゥロフスキー教授は、今回のプーチンの行動は地域のエリートに対する見せしめだが、ホルマンスキフ全権代表の下で代表部の陣容が強化されないうちは、地域のエリートたちはホルマンスキフを無視すればいいだけだと指摘。政治工学センターのA.マカルキン第一副所長は、もしもホルマンスキフが代表部の誰かを解任して自派の人間を後任に据えるとか、あるいは自派の知事を据えるようにプーチンに依頼したら話は別かもしれないが、現時点では彼はむしろ、革命の潮流に反対し現体制を支持している人民を象徴する存在にすぎない、との分析を披露。選挙工学研究所のYe.スチコフ所長は、プーチンは個人的忠誠心に応じて人材を要職に配置しており、教育・経験・知性なども重要ではあるが二次的である、と指摘。社会学者のO.クルィシタノフスカヤは、エリートは今回の人事を受け入れるだろう、そのポストを狙っていた2~3の人間は個人的に失望するかもしれないが、全体としてエリートはプーチンが刷新を求める人々の要求に耳を傾けなければならないことを理解している、と指摘。

 これに対し、野党は今回の人事をイメージ戦略にすぎないと受け止めている。ヤブロコのS.ミトロヒンは、プーチンは大衆の支持を模索しており、首都の住民よりも本物の労働者階級に自分は近いのだということを誇示しようとしたのだ、と述べた。共産党のV.ソロヴィヨフは、大統領は自分が生産に従事する人々に依拠しており、社会問題の解決を重視しているということを誇示しようとしたのだ、との見方。

 情報筋によれば、ホルマンスキフの全権代表への就任で、スヴェルドロフスク州知事の人選にも影響が及ぶ可能性がある。Ye.クイヴァシェフ知事代行の他、V.ヴラソフ・スヴェルドロフスク州首相代行、ウラル鉄道車両工場のO.シエンコ社長などが候補になっているという。与党「統一ロシア」は本件につき18日にV.ヴォロジン大統領府第一副長官と協議し、14日以内に党の総会幹部会が知事候補を選定することになる。

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 ややフォローが遅れてしまったが、5月14日、ロシア・ウラル地方のスヴェルドロフスク州のA.ミシャリン知事が退任した。形式的には、知事本人が自発的に退任を申し出て、14日にプーチン大統領がそれを受け入れた形である。同日、これまでウラル連邦管区大統領全権代表を務めてきたYe.クイヴァシェフ氏が、スヴェルドロフスク州知事代行に任命された。本件の背景につき、こちらのサイトの情報を以下のとおり整理しておく。

 2009年11月就任のミシャリン知事の任期は、2013年に切れることになっていたが、その退任が地元でははかなり前から予想されていた。関係者は直前まで否定はしていたが。14日になってミシャリンは、今度は全連邦レベルで、国全体のために働く、ただしこれからも直接的にスヴェルドロフスク州民の利益に貢献できるような仕事をしたいとして、退任の表明を行った。

 1990年代にウラル共和国を唱え自治権を要求したE.ロッセリ元知事とは異なり、ミシャリン氏は権威主義的なスタイルと決別するテクノクラートであると、就任当初から見なされていた。知事公選制の復活が遠い将来のことだと受け止められていた当時は、地域首長の多くはそうした基準で人選されていた。しかし、最近になって知事人事で政治よりも経済を優先したことの問題点がむしろ浮き彫りになってきた。

 しかも、本年7月1日には知事の住民による直接選挙復活を定めた法律が発効するため、クレムリンはここ数ヵ月かなりあからさまに、近いうちに任期が切れる知事、選挙での勝利が難しい知事のすげ替えを急いできた。ミシャリン本人は選挙への出馬に前向きだったわけだが、クレムリンは上述のような思惑からミシャリンの解任に踏み切った。ミシャリンを連邦政府に戻しつつ、スヴェルドロフスク州の行政にはより若く有望な人物を据えることで、クレムリンはスヴェルドロフスク州という重要地域での選挙を2013年に実施することを回避できる。スヴェルドロフスク州は多くの大資本の利害が絡み合っている地域で、具体的にはレノヴァ、UGMKホールディング、エヴラズ、鋼管冶金会社、ロステフノロギーなどの利害が絡んでおり、そうした観点からも重要だ。

 政治学者のS.モシキンは次のように指摘する。すなわち、クレムリンは知事の公選制を打ち出しつつ、一歩後退した。それゆえに、クレムリンの目から見て状況がしかるべくコントロールされていない地域の知事の交代に躍起になっている。そして、スヴェルドロフスク州も、クレムリンが必要とするほどには状況がコントロールされていない地域の一つと見なされた、と。政治評論家のF.クラシェニンニコフも、ミシャリンは明らかに弱く、当選が難しい知事であり、クレムリンがテコ入れして当選させることは不可能ではないが、それには多大な労力と資源を要し、その場合はどんな候補でも当選できるので、クレムリンはミシャリンを外した、と解説する。

 5月10日にプーチンがスヴェルドロフスク州のニジニタギルを訪問した際に、ミシャリン知事と公式の面談は行われなかったが、来訪前に飛行機の中で話をしたと伝えられており、その際に解任を伝えられた可能性がある。

 知事代行に任命されたクイヴァシェフ氏は、トボリスク市長やチュメニ市長を経て、2011年9月からウラル連邦管区大統領全権代表のポストを占めていた。2011年12月にミシャリン知事が交通事故に遭って以降は、クイヴァシェフはスヴェルドロフスク州の政治に関与するようになり、ミシャリンの後任候補として名前が挙がっていた。しかも、クイヴァシェフは大統領選でプーチン選対のスヴェルドロフスク州支部長を務めた。

 前出のクラシェニンニコフによれば、スヴェルドロフスク州では知事公選制への期待が強く、地元政界でもそれが支持されているので、地元エリートたちが2013年に選挙を実施して失地を挽回しようとし、クイヴァシェフと対立する可能性があるという。

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 もともとこのブログを開始した目的は、私のHP(http://www.hattorimichitaka.com)をiPhoneやiPadで閲覧しようとすると、iPhoneでは表示されず、iPadでは画面が崩れてしまっていたため、そうしたモバイル端末向けの簡易版を提供しようということだった。あくまでも、メインはHPで、ブログはそのモバイル簡易版という位置付けだった。しかし、更新作業はこのライブドアのブログの方がはるかに楽であり、HPの方は更新の負担がだいぶ重くなってきた。最初は、まずHPに記事を書いて、それをブログにコピーするといった感じだったのが、次第に順序が逆になって。そしてこの1ヵ月くらいは、ブログの方に載せた記事を、HPにコピーするのが億劫になって、HPは完全に放置状態になってしまった。まあ、何となく、こんなことになりような気はしていたが。この週末に、ようやく、過去1ヵ月くらいにブログに書いた記事を、HPにも転載した。Deamweaverを使ったHP編集作業が、かなり負担になっているので、ひょっとしたら近いうちに体制を見直すかもしれないけど、まあもうちょっと並行して続けてみることにする。

 それで、HPに、5月分のマンスリーエッセイ「ロシア圏の民謡CDはなぜに現代風?」というのを書いたので、よかったらご笑覧いただきたい。考えてみれば、iPhoneやiPadで私のHPを表示できないと言っても、それはトップページの話であり、個々のページを表示することは可能なんだよね。以前はマンスリーエッセイの記事をわざわざこのブログにコピーしたこともあったけど、今回はリンクを貼るのにとどめる。

 で、細かい技術的な話だけど、今回のマンスリーエッセイでは、音源をいくつか紹介している。基本的には、CDの音源をMP3化してアップしている。しかし、技術的な事情があり、私のPCの環境でMP3化するとファイルサイズが大きくなりすぎてしまう曲があった。私のHPが入居しているジオシティーズというサービスでは、5MB以上のファイルはアップできないようで、今回3曲ほどのMP3がその上限を超えてしまった。そこで、その3曲については、MP3ではなく、ウインドウズ系のWMAという形式で圧縮し、アップした。問題は、ウインドウズPCの環境ではWMAファイルを再生できるものの、どうもアップル系では無理と思われること。現に私のiPadではWMAを再生できなかった。まあ、WMAをMP3に簡単に転換できたりもするようだが、今回そこまでやる余裕がなかった。可能であれば、追って対応したい。

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20120521nisshoku

 せっかく、朝ちゃんと起きて金環日食を見ようと思ったのに、駄目だった。どうも、我が家のバルコニーからは、角度的に、この季節の朝の太陽が見えないようだ。初日の出とかは見えるので、漠然と大丈夫と思い込んでいたが、誤算だった。天気も曇り空だったが、まあ何の装備もない当方にとっては、かえって薄曇りくらいが丁度良かったんだけど。7:00頃には明るかった空が、だんだん暗くなっていく様子だけは分かった。

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 昨日、日本時間では本日未明に開催されたUEFAチャンピオンズリーグの決勝、バイエルン・ミュンヘン(独)VSチェルシー(英)を、一応テレビ観戦。まあ、個人的に思い入れのあるロシア・ウクライナ勢はとうに姿を消し、華のあるスペイン2強も準決勝で敗退し、若干微妙な顔合わせの決勝ではあるが、グループステージの段階から興味を持って眺めていた大会のファイナルなので、一応見届けておこうか、と。ただ、未明に眠い目をこすってテレビにかじりつく、というまでの熱意はないので、録画して朝起きてから観た。

 まあ、見たとおりの試合なので、特にコメントすることもないけど。CLの決勝会場というのはあらかじめ決まっているわけだけど、今回の決勝は初めて、その会場を本拠地とするバイエルンが出場するということが話題になった。個人的には、チケット配分方法とか、興味あるなあ。あと、会場運営は完全に中立というわけでなく、バイエルン側の先取点が決まった時にはスタジアムDJがかなり客を煽っていたのに対し、チェルシーの同点ゴールの時はおざなりだった。あのくらいの差別は許されているということか。

 今回の決勝は、GK対決という趣があった。なので、私も延長に入ったあたりから、このまま同点で終わってPK戦を観てみたいと思うようになった。実際にそれが実現したわけだが、普通PKは「決めて当たり前」と思われているのに対し、このクラスのGKだと「かなり良いキックでないと決まらない」という具合にだいぶニュアンスが変わってくる。そのプレッシャーでシュートミスも生まれるので、かなり見応えのあるPK戦になる。

 そんなわけで、チェルシーが初の栄冠。ここからヨーロッパ・サッカーは、一気に代表戦モード、ユーロ2012になだれ込んでいくわけだけど……。個人的に、勤続20年特別休暇を使って、ウクライナ・ポーランドにユーロ観戦に出かけようと思っていたのだけど。何だかすっかり面倒臭くなって、またサッカーに関しますますドメスティックな価値観が強まり、まったくそういう心境ではなくなってしまった。ユーロは、普通にWOWWOWで観ます。

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 世間一般から見ればモルドバという国自体がどマイナーなのに、さらにその一地域の話である。こちらのサイトに、モルドバのガガウス自治区が、モルドバ離れの動きを見せていることが報告されているので、骨子を以下のとおり整理しておく。

 ガガウス自治区の首都であるコムラタ市のN.ドゥドグロ市長は、もしもモルドバ当局が国のルーマニア化を停止しないのなら、モルドバ国旗の掲揚を取り止め、ガガウス自治区の旗だけを掲げると警告した。この発言の背景には、1812年のブカレスト和平の結果ベッサラビアが帝政ロシアに編入されてから200周年を迎えようとしていることに関連して、モルドバ政界で対立が生じていることがある。モルドバの政権当局はモルドバ国旗を半旗にして掲げ、ルーマニアとの統一派はロシアの侵略に抗議するデモを行う一方、野党・国家主義者は5月16日を祝賀すべき記念日とし、ルーマニアとの統一派のデモを妨害しようとした。ガガウス自治管区のM.フォルムザル首長も黙ってはおらず、野党・国家主義者を支持する一方、親ルーマニア派によるモルドバ国家を軽んじる姿勢を批判した。

 沿ドニエストル紛争に比べると、ガガウスの問題はもう何年も、国家上層部でもマスコミでも政党レベルでも、取り上げられることはなかった。だが、「欧州統合連合(AEI)」が政権に就いて以降、ガガウス問題は先鋭化し、ガガウス側はモルドバ中央の姿勢に不満を示すようになった。ガガウスがモルドバ指導部の言語・人文・教育・対外政策を受け入れないという事態にまでなった。モルドバ教育省が提案している「ルーマニア史」の授業を自治区内で行うことは断固拒否しているし、ガガウス議会はモルドバがロシア主導の関税同盟/共通経済空間に加わることを求めている。

 AEIの側も妥協の姿勢は示しておらず、自由党のギンプなどは「ガガウス人などというものは事実上存在しない」と発言しているし、M.シリャフチツキー教育相は「ルーマニア史」の拒絶は国益に反するとしている。かくして、近年のモルドバ国家の数少ない成果であるガガウスをモルドバ内に留めることに成功したことが、ご破算になろうとしている。

 20年前はガガウスがモルドバの独立などまったく望んでいなかったことを考えれば、ガガウス当局が示している「モルドバ愛国主義」には、驚かずにはいられない。今日、最も熱心なモルドバ愛国主義者は、ガガウス人、ロシア人、ウクライナ人という少数民族であるという逆説がある。これは一方では、モルドバには政治的なネーションになる上での素晴らしい可能性があるということを裏付けている。しかし他方では、ネーションは民族的多数派の意向なくしては形成不可能である。民族的なモルドバ人の大多数は現在、それとは対極のルーマニア化路線を支持している。

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 ロシア新内閣の組閣をめぐる動きはまだ流動的だが、最新のこちらのニュースによると、やはり新内閣の構成は来週の頭に発表されることが有力だという。このニュースによれば、現ロスアトム(ロシア原子力公社)総裁のS.キリエンコにエネルギー政策担当の副首相ポストがオファーされたが、本人は引き続き原子力分野で働きたいとして、これを断ったという。もっとも、実際のところは、これまでエネルギー担当副首相を務めてきたI.セーチンが、退任後もエネルギー産業への影響力を保持すると予想されるので、キリエンコはそれを嫌って入閣の打診を断ったと指摘されている。また、富豪のM.プロホロフ氏には、産業担当の副首相のポストがオファーされたが、理由は不明ながら同氏もこれを断ったという。このほか、プーチン・チームのメンバーと考えられている政府高官たちが、大挙して内閣から大統領府へ移る見通しだが、その具体的な顔ぶれまでは明らかになっていない。他方、E.ナビウリナ経済発展大臣は、「政府での仕事に疲れた」と言っており、やはり退任の見通しだ。

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 こちらのニュースが、ロシアの長距離旅客機開発の動きについて報じている。これによると、D.マントゥロフ産業・商業相代行は記者団に対し、同省が本年末までに、ワイドボディの長距離旅客機開発の戦略とそのパートナーを決定することになると述べた。現時点では、市場調査と、コンセプト作りの作業が行われている。ロシアは本プロジェクトを単独で実施するつもりはないので、開発のためのパートナーを見付けなければならない、と大臣代行は述べた。

 「合同航空機製造コーポレーション」のM.ポゴシャン社長は、同社は長距離旅客機開発を諦めるつもりはないとし、2013年までにプロジェクトを提案するつもりであると2011年8月に述べていた(現在、同社の製品ラインナップには長距離航空機がない)。

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 ベラルーシの経済と対ロシア関係の重要な焦点として、同国の最重要な輸出企業であるベラルーシカリー社の株式をロシア資本に売却するという案件がある。こちらの記事が、A.コビャコフ駐ロシア・ベラルーシ大使の話として、本件は思うような進展を見せていないことを伝えている。これによれば、ルカシェンコ大統領は2011年半ばに同社の時価総額を300億ドルとしたが、現在のところロシア側からこの価格で買収したいとの提案は届いていない、と大使は語った。なお、マスコミでは、ベラルーシカリー社の株式の50%を買収することに、ロシアのウラルカリー社を保有する富豪のS.ケリモフ氏が関心を示している、といったことも伝えられている。

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 こちらのサイトで、ベラルーシの政治評論家のV.カルバレヴィチ氏が、ロシアにおける新体制の発足を受け、近年のベラルーシ・ロシア関係のありようを総括する論評を示している。その末尾において、「東欧の秋」の到来(?)についても語っており、興味深いところなので、以下のとおり要旨を紹介しておく。

 メドヴェージェフ・ロシア大統領の時代は、ベラルーシ・ロシア関係の歴史において、最も急激な転換が生じた時代だった。メドヴェージェフは、モスクワが対ベラルーシ政策を大幅に変更したまさにその時に政権に就いた。ロシア指導部はベラルーシへの補助金を削減する路線を断固として打ち出し、市場経済にもとづく関係への移行を表明、両国関係は危機に陥った。それに対しベラルーシ側はEUとの対話に乗り出し、EUの新プログラム「東方パートナーシップ」にはベラルーシも含まれることになった。ベラルーシとロシアの対立は激化し、ベラルーシが南オセチアとアブハジアの独立承認を拒否したり、ルカシェンコがCIS集団安保サミット出席を拒んだりした。それへの報復としてロシア側はルカシェンコを非難するテレビのドキュメンタリー・シリーズを流すなどした。両国関係の悪化は不可逆的なもので、同盟関係は終わりかと思われた。

 しかし、2010年12月19日のベラルーシ大統領選終了直後にミンスクでデモ隊が弾圧される事件が起きてから、事態は急変する。ベラルーシとEUの関係が険悪化する中、ロシアとの関係が不意に改善されていく。ロシアはベラルーシ向け補助金政策に復帰し、S&PによればそれはベラルーシのGDPの12%に相当する規模という。ベラルーシはロシア主導の関税同盟/共通経済空間に加入した。両国共同の防空システムが構築された。ロシアはベラルーシの原発建設に100億ドルを拠出した。

 ルカシェンコ政権は、メドヴェージェフとプーチンのタンデムを分裂させ、両者の対立に付け込むことを狙っていた。プーチンとの関係は最初から上手く行かなかったため、メドヴェージェフに賭けようとしたが、それも上手く行かないと分かると、2011年からルカシェンコは風向きを読んでプーチンになびき、メドヴェージェフを批判するようになった。

 メドヴェージェフ大統領時代には、ベラルーシはロシアとの対立にもかかわらず、ロシアへの依存度を逆に深めた。ベラルーシの現在のような社会モデルでは、現状のようなベラルーシ・ロシア関係は変わりようがないということが、改めて浮き彫りとなった。ベラルーシの改革されていない経済は、ロシアからのふんだんな補助金なしでは、存続できないのである。そして、ベラルーシの政治のありようからして、西側との正常な関係はありえない。

 東欧の政治トレンドにとって、より重要な意味を持っているのが、ウクライナの政治動向である。Yu.ティモシェンコの収監、EUの批判、サッカー選手権をめぐるスキャンダル、等々である。評論家たちはこれを、「ウクライナのルカシェンコ化」、「ベラルーシ病」の周辺諸国への伝播と呼び始めている。まずロシアが発病し、次にウクライナが発病した。専門家たちは、「アラブの春」に続いて、「東欧の秋」が到来したと語っている。確かに、権威主義は感染したが、歴史的な観点から言えば無益なことである。その意味では、プーチンが反政府デモに包囲されながら就任式を行ったことは、象徴的だ。

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 だいぶ後追いの情報になってしまうが、5月8日にメドヴェージェフ氏がロシア下院で首相として承認された際に、来たる新内閣の活動指針に関する演説を下院向けに行った。そのテキストはこちらで読むことができるが、ノーヴォスチ通信のこちらのページに、その骨子が要領良くまとめられているので、以下でそれを翻訳して紹介する。

 全般的な方針としては、近代化戦略を継続する。

 行政分野においては、「電子予算」プログラムを中核として、国家行政の単一情報環境を形成する。

 教育分野においては、2012年末までに教育法を採択する。向こう8年間で教育分野に最大5兆ルーブルを投資する。

 経済分野においては、将来的に連邦予算の財政赤字をGDPの1%以内に抑制する。引き続き、資源セクターに由来する超過収入を予備基金に集中させる方針を堅持する。燃料・肥料・農機の価格上昇を抑制することを通じた農業支援を継続する。2014年までに新たな鉄道路線を1,000km以上建設する。シベリア・極東開発を優先事項の一つと位置付ける。新生産の立ち上げおよび旧生産の近代化を刺激するために税制免除を導入する。

 政治分野においては、ロシアのすべての政治勢力との対話を実施する。

 軍需分野においては、国防発注の新たなシステムを構築する。

 社会分野においては、年金制度改革に当たって過激な措置は回避する。引き続き住宅問題の解決に重点を置く。極東・シベリア・カリーニングラード州の住民向けの航空料金への補助制度を維持する。

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 やや紹介が遅れてしまったが、こちらのサイトで、T.スタノヴァヤという専門家が、大統領在任中のメドヴェージェフの功績と失政につき論じているので、その骨子を以下のとおり整理しておく。なお、末尾においてスタノヴァヤは、「政治家メドヴェージェフはむしろここから始まる」と主張している。

 実際のところ、メドヴェージェフの功績は意外に多い。それらは揺り戻しの可能性もあり、現在その価値がなきものとされつつあるにしてもである。そうした「危うい」成果の多くは、政治分野に関するものである。メドヴェージェフは政治システムに2つの質的な変化、すなわち法令の自由化と、体制外野党との対話の再開をもたらした。たとえそれが反政府デモの結果であったとしても、重要なのは今や知事が直接選挙で選ばれ、政党制も自由化されたという事実である。

 経済分野の功績は多くないが、閣僚・官僚を大企業の取締役会から追放したのは大きな成果である。無敵のセーチンを、ロスネフチの会長職から外してしまった。また、軍需部門での改革もある。共産党がどう非難しようと、メドヴェージェフは競争力の低い国内産業への資金拠出は望まず、先進的な軍備の購入を始めた。A.セルジュコフ国防相の抵抗で最初は緩慢ではあったが、きわめて非効率的な軍需産業と癒着している軍幹部にしっかりとタガをはめた。徴兵制を段階的に縮小し、契約軍人制度を拡大するという決定もなされた。軍事改革に必要な歳出増を、財政政策の主であるクドリン副首相・蔵相の抵抗にもかかわらず実現したのだから、弱い政治家にとっては大きな成果である。

 対外政策に関しては、新START、グルジア戦争(原文ママ)、WTO加盟、米国とのリセット、リビア問題での国連安保理との協調などがある。プーチンが8年間の在位で再三のガス戦争、西側との新冷戦といった結果しか残せなかったことを考えれば、それなりの成果だ。

 その一方で、大統領メドヴェージェフは失政にも事欠かなかった。その代表格は、「近代化」プロジェクトである。第1に国民に信じられていないし、第2に信じようにもその成果がない。実際に制度的に存在しているのは、「スコルコヴォ」と、財政資金を特別に活用できるわけでもない近代化委員会だけである。最近になってこれにV.スルコフ副首相が加わり、同氏が大統領府から去ったとたんに、誰も同氏に注目しなくなった。メドヴェージェフは近代化のために、経済の構造改革も、ビジネスに対する行政の圧迫の緩和も、イノベーション投資を活性化することも、実現できなかった。この他、大規模民営化、国家コーポレーションの解体にも失敗し、株式会社に改組された国家コーポレーションはロスナノだけだった。税制の抜本的改革にも失敗したが、ただ社会保険料率の引き下げなどは彼の功績である。その一方でメドヴェージェフは、時間帯の変更や飲酒運転の全面禁止(原文ママ)といった風変わりな政策を実現した。内務省改革は、上層部の入れ替えだけで、警察の悪評は改善されなかった。

 対外政策の面で大失敗だったのは、ミサイル防衛システム問題での対西側交渉の切り札と位置付けていた西側パートナーとの欧州安全保障条約案が、先方から完全に無視されてしまったことである。最近、国防相が公言したように、ミサイル防衛問題は出口なしの状況である。このほか、ウクライナとのガス対立は未解決だし、南オセチアではロシアに不利な選挙結果が出た。

 大統領としてのこのような功罪を引っ提げて、メドヴェージェフは首相に就任することになる。メドヴェージェフは大統領在任中にはプーチンの政治的影響力により自らの実権を削がれていたが、首相に就任することで、経済・財政・産業・税制に関する決定を下すテコにアクセスできるようになる。ここに、プーチンとの潜在的な対立の要因がある。メドヴェージェフは自らの政策的目標を取り下げることはなく、実際に閣内での権限を手にすることから、大統領の時よりも自分の望むような決定を下しやすくなる。一方のプーチンは首相を迂回して行動することを迫られ、二重の垂直が生じる。したがって、政治家としてメドヴェージェフは、むしろこの5月から始まるのであろう。2007年にプーチンが憲法を改正して三選出馬しなかったのは、もしかしたら誤りだったかもしれない。このことが、バランスを崩す潜在的なリスクになりかねず、首相としてのメドヴェージェフはそうした最も危険なリスクの一つとなりうる。

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 地味な話題だが、こちらのニュースによれば、ロシアのタタルスタン共和国に設けられているエラブガ工業生産経済特区でこのほど、新工場がオープンしたということである。私の研究分野の一つなので、記事の骨子を以下のとおり整理しておく。

 このほどエラブガ工業生産経済特区で、フランス系の世界的な産業ガス会社「Air Liquide」の酸素および窒素生産工場が稼働した。プロジェクトへの投資総額は3,500万ユーロ。工場は日産200tの液体酸素および窒素を生産し、特区内および周辺地域の企業の需要に応える。同工場は世界に類例がないものであり、最先端の空気分離設備を備えている。公開型株式会社「経済特区」のO.コスチン社長は、工場の稼働により、産業ガスを利用する新たな投資家が特区に入居することにもつながり、エラブガ特区内における部門内および部門間の協業にとって新たな拠点となるだろうとの見解を示した。

 Air Liquide社では今後、エラブガ特区内の需要家に直接産業ガスを供給するパイプライン網の設置を予定している。工場の第1ラインは2010年に建設が完了しており、エラブガ特区の入居企業であるロシア・ドイツ合弁「プライス・ダイムラー・タトネフチ・アラブガ・スチェクロヴォロクノ」が最初の需要家となり、両者は専用に設置されたパイプラインで結ばれた。

 2006年から稼働しているエラブガ経済特区では、これまでFord-Sollers、Saint-Gobain、Air Liquide、Rockwool、Sisecam、Hayat Groupといった企業の誘致に成功している。エラブガ特区における全プロジェクトの投資総額は、25億ドル強となっている。特区のインフラ整備のために、連邦および地域予算から155億ルーブルが拠出されている。

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 休暇中に、ロシアの新内閣発表とか、大きなニュースがあったら嫌だなあと思っていたのだが、どうやら大丈夫だったようだ。本日おっかなびっくりニュースサイトを開いてみたところ、この間、特に大ニュースというのはなかった模様。

 ロシアの組閣に関しては、本日付の『コメルサント』紙のこちらの記事が、それをめぐる動きを伝えているので、その要旨を以下のとおりまとめておく。

 首相承認から1週間後の15日、メドヴェージェフは憲法の規定どおり、新内閣の省庁体系と閣僚人事に関する提案をプーチン大統領に提出した。しかし、プーチンはその大統領令案にただちに署名することはなく、5月18~19日にメドヴェージェフ首相が米国でG8首脳会談に出席し帰国するのを待って(21日帰国予定)、その後に閣僚候補者たちと個別面談の場を設ける意向。

 これは、2004年、2008年と比べて異例の遅さである。2004年には5月12日にフラトコフが首相に承認され、19日に省庁・閣僚の案を提出し、20日には大統領令によって承認された。2008年には5月8日にプーチンが首相に承認され、12日には省庁・閣僚の案を提出し、その当日に大統領令によって承認された。2008年には3月の時点でプーチンとメドヴェージェフは省庁体系と人事を検討し始めたことを明らかにしていた。

 今回も、3月に同様のことが発表されたし、さらに遡れば2011年9月24日にプーチンがメドヴェージェフを首相に起用する意向を表明していた。この時点では政府が大幅に刷新されるとされ、D.コザク副首相を座長として新政府の構成に関する提案を作成する作業グループを設置、3月初頭にプーチンおよびメドヴェージェフに素案が示された。4月の時点では、5月8日にメドヴェージェフが首相に承認された後、当日とは言わずとも、少なくとも数日以内には省庁と閣僚に関する提案が大統領に提出されると予想されていた。5月18~19日の米国でのサミットには、すでに組閣を終えたプーチン本人が出向くと予想されていた。ところが、早期の組閣が実現しなかっただけでなく、プーチン大統領は「組閣作業に集中するため」として、米国にメドヴェージェフを名代として送ることを5月12日に決めた。

 組閣が難航している一因は、大統領と首相が入れ替わる形となったため、必然的に大統領府と内閣で動く政権幹部の数も通常よりも多くなるという点がある。また、特にメドヴェージェフの側は、政府の陣容を大幅に刷新するということにこだわっており、新たな人材をリクルートしてその80%を刷新したいとしているし、その候補者たちはメドヴェージェフ支持の委員会や公開政府形成のための作業グループに結集している。

 なぜ組閣作業が長引いているかについて、専門家の意見は分かれている。政治情勢センターのA.チェスナコフは、産業部門別省庁の人事をめぐってもめているのかもしれないという見方を示している。政治工学センターのA.マカルキンは、2008年はプーチンがすべて自分の思うとおりに決定したのに対し、今回は2人の人間が決定しようとしているので時間がかかっていると解説。現代発展研究所のYe.ゴントマヘルは、2人の合意は最終的な形ではできていなかったと思われる、2008年にはメドヴェージェフは新米でプーチンに恩義を感じていたのに対し現在はメドヴェージェフは自分も政治力を発揮したいと思っているので調整が難航している、しかし政府要職の人事につき最終的な発言権があるのはプーチンだ、と指摘した。

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20120516dokokara

 3泊4日の沖縄旅行を終え、昨日夜に帰京した。ちょっと後ろにずらしたゴールデンウィークという位置付けで、観光に出かけるつもりだったのだが。ところが、偶然にも沖縄の本土復帰40周年と日程的に重なってしまい、個人的な性分もあって、単なる観光では済まされなくなり、色々と考えさせられ、やたらと刺激を受けて帰ってきた。そのうち、HPでエッセイでも書いてみたいと思う。

 現地でもいくつか書籍を買ってきたのだけれど、一番ツボだったのは、安里進・土肥直美著『沖縄人はどこから来たか(改訂版)』という本。私はもともと日本人のルーツ論にすごく興味があるのだけれど、この本はそれを沖縄という側面から見たもので、帰りの道中で一気に読んでしまった。

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