上掲の動画は、ウクライナの公共放送「ススピーリネ(Суспільне)」ドニプロ支局による報道番組で、2023年6月のカホフカ水力発電所ダム破壊によって消滅したカホフカ貯水池を、戦後に再建すべきか、それとも自然環境の回復が進む「大ルーフ(Великий Луг)」を保全すべきかという論争を取り上げている。主な内容を以下のとおり整理しておく。
2023年6月6日、ロシア軍によるものと疑われるカホフカ水力発電所のダム破壊で、巨大なカホフカ貯水池が消滅した。それから3年以上が経過した2026年現在、かつての貯水池の底には若い森林や草地が広がり、歴史的な湿地帯「大ルーフ」の自然環境が急速に回復しつつある。こうした中、9月19日、ドニプロペトロウシク州議会議長のミコラ・ルカシュークが、戦後の貯水池再建を支持する意見をSNSに投稿し、論争が再燃した。ルカシュークは、大ルーフが歴史やコサックの伝承、環境保護プロジェクトの中では魅力的な存在であっても、現代の地域経済を支えているのは都市、工場、農業であると指摘する。ニコポリ地区とクリヴィーリフ地区だけでも100万人以上が暮らしており、安定した水源がなければ農業生産、雇用、地方財政が脅かされるとして、戦後復興計画に貯水池の再建を盛り込むよう求めた。
ダム破壊当時、ニコポリ地区の行政責任者を務めていたイェウヘン・イェウトゥシェンコも再建を支持する。同氏によると、かつてニコポリ地区では約2万7,000haの農地が貯水池の水を利用して灌漑されていた。しかし、ダム破壊後は灌漑ができなくなり、収穫量が減少した。その結果、農家の収入や納税額が減少し、雇用削減にもつながっている。また、地域の多くの住民は家庭菜園、果樹栽培、ベリー類の生産などによって収入を得ていたが、これらの活動も水不足によって打撃を受けた。 工業部門でも、水不足が企業活動を制約している。ロシア軍による砲撃が続く中、水の確保が困難になったことで、企業が他地域に移転する危険性も高まっている。さらに、貯水池は重要な水上輸送路でもあった。現在もドニプロ川の本来の河道は残っているものの、幅が狭く、従来のような貨物輸送には適していない。道路や鉄道への負担が増しているが、これらの輸送手段だけでは従来の水運貨物量を代替できない。イェウトゥシェンコは、現在の河道では地域の発展に必要な水量を確保できないと主張する。
ニコポリ地区で30年以上農業に従事するヴォロディミル・イェウトゥシェンコは、ダム破壊後、干ばつによって収穫量が数分の一に減少したと訴える。同地区はもともと気候が不安定な地域であるが、貯水池が消滅してから水不足が一層深刻になったという。同氏は、巨大な貯水池が存在していた頃には周辺の水分環境にも影響を与えていたと考えている。現在は周辺地域に雨が降っても、ニコポリ地区だけ降水が極端に少ないことがある。作物の生育に必要な月20~30mmの降水量が確保できず、3~55mm程度しか降らないこともあるという。節水技術としての点滴灌漑についても、水の使用効率を改善することはできても、水そのものを生み出すことはできないと指摘する。地域の地下水は灌漑に適しておらず、淡水を安定的に確保する必要がある。
これに対し、環境学者のヴァディム・マニュークは、貯水池の再建に強く反対する。大ルーフは、カホフカ貯水池の建設以前に存在していたドニプロ川流域の広大な湿地帯であり、春の増水によって水が流入し、夏にも湿地に水が残るという自然の循環を持っていた。この仕組みが地域の気候を調整し、豊かな生物多様性を支えていた。現在、かつての貯水池の底では、草地、ヤナギを中心とする若い森林、水域などが急速に回復している。野生動物の回復も顕著である。さまざまな小鳥類に加え、ペリカンが2025年から確認されるようになり、2026年にはニコポリからバゾウルクにかけて定期的に観察されるようになった。チョウザメの生息を示す情報もあり、キツネやノウサギなどの哺乳類も増加している。軍用ドローンによる映像も、野生動物の回復を裏付けているという。マニュークによれば、貯水池が消滅したことで、ドニプロ川は本来の流れを取り戻した。流速が速くなった結果、河川の自然浄化能力も回復している。同氏は、こうした湿地帯がもたらす生態系サービスは、経済的な価値を含めて、ダムの再建による利益を上回ると主張する。
ドニプロ・オリシリ自然保護区の研究員、オレクサンドル・ポノマレンコも、かつての貯水池を自然保護区として活用するよう提案する。ドニプロペトロウシク州では、土地の78%が耕地として利用されている。残る22%にも都市、道路、送電線などのインフラが含まれるため、自然のまま残されている土地は極めて少ない。こうした地域で、約20万haもの土地を自然保護の対象とすることができれば、非常に大きな意義がある。ウクライナには、これほど広大な自然保護区域はほとんど存在しないという。ポノマレンコは、これほど農業開発が進んだ地域で、自然保護区を設ける機会を逃すべきではないと主張する。
マニュークは、貯水池を再建しなくても、地域の雇用や経済を維持・発展させることは可能だと考えている。具体的には、大ルーフの自然環境を利用した観光、湿地帯を巡るツアー、水上交通関連サービス、土産品の販売などが考えられる。こうした観光・レクリエーション産業は、適切に計画すれば、ダム再建よりも多くの雇用を生み出し、数十年にわたって持続的な収入源となり得るという。 また、科学者たちは、水供給の問題と貯水池再建の問題を切り離して考える必要があると主張する。 地域の水需要には、近代的な取水設備、節水型灌漑、小規模な貯水施設などを組み合わせることで対応できるとする。
ドニプロペトロウシク州の復興・インフラ開発局長、オレクサンドル・コロミイツェウは、ダム破壊後に建設された新しい水道管について説明する。ダム破壊によってニコポリ地区の住民は集中水道を失ったが、政府は特例措置を講じ、新たな水道管の建設を迅速に進めた。新しい水道システムは、ザポリージャ市付近から取水し、ニコポリ、マルハネツ、ポクロウ、ミロヴェ、トマキウカなどに水を供給するものである。長期使用を前提とする近代的な設備であり、都市住民だけでなく、工業用水の需要も考慮して設計された。コロミイツェウによれば、この水道システムによって、現在の対象地域の水需要は十分に満たされている。
ダム破壊直後、地域住民は深刻な水不足に直面した。ある住民は、川まで容器を持って水をくみに行かなければならず、汚れた水しか手に入らなかったと振り返る。水道が復旧するまで半年ほどかかった地域もあった。しかし、現在は生活用水の供給が改善している。住民の一人は、井戸にポンプを設置したことで、家畜の世話や家庭菜園などに必要な水は確保できるようになったと話す。飲料水は別途運搬されてくるものの、日常生活に必要な水は足りているという。
カホフカダムの破壊によって、ウクライナは2つの異なる将来像の選択を迫られている。一つは、貯水池と水力発電所を再建し、従来の灌漑農業、工業、水上輸送を基盤とする地域経済を復活させる道である。もう一つは、自然に回復しつつある大ルーフの生態系を保全し、新たな自然保護区や観光資源として活用する道である。マニュークは、この選択は単に一つの水力発電施設を再建するかどうかという問題にとどまらないと強調する。戦後のウクライナが、破壊されたものを従来どおりに復旧するのか、それとも新たな価値観に基づいて地域の将来像を描くのかを示す重要な事例となる。
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