ロシア・ウクライナ・ベラルーシ探訪 服部倫卓ブログ

ロシア・ウクライナ・ベラルーシを中心とした旧ソ連諸国の経済・政治情報をお届け

カテゴリ: 音楽・映画・番組鑑賞

 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、だいぶチャートの下の方になるが、今週77位にモロに自分好みの1曲が入っていたので、これを取り上げる。Mitty Collier - I Had A Talk With My Manがそれである。サザンソウルは良いねえ。

その頃ソ連では
1964年10月8日:ハンガリー出身でソ連で活躍した著名なエコノミスト、Ye.ヴァルガ氏が死去。

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 さて、Four Tops - Baby I Need Your Lovingは、この週の11位が最高位だったようだ。個人的に思い出深いのは、映画「ブロンクス物語」で、それまではドゥーワップとかR&Bの世界だったのに、Baby I Need Your Lovingが流れて急にソウルっぽい世界となり、ああ時代が変わったんだなと実感させられたことだった。

その頃ソ連では
1964年9月30日:VVER-210型原子炉を備えたノヴォヴォロネジ原子力発電所の1号機が発電を開始し、これ以降VVER型原子炉を備えた原子力発電所の大量建設が始まる。

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 さて、今週チャートのトップに立ったのが、言わずと知れたRoy Orbison - Oh, Pretty Womanである。ジュリア・ロバーツの映画でも有名になった。ただ、ロカビリー曲を朗々と歌い上げるのが持ち味のロイ・オービソンにとり、モータウンを模したとも思えるこのアップテンポ曲は、やや異色であった。

その頃ソ連では
1964年9月17日:ユーゴスラビアがコメコンの活動に参加する協定が結ばれる。

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 さて、もう3週間もチャートの1位に君臨しているのが、The Animals - House Of The Rising Sunである。アメリカの有名なトラッドソングを、イギリスのブルースロックグループのアニマルズが独自のアレンジで仕立て大ヒットさせたもの。

その頃ソ連では
1964年9月20日:ソ連とマルタの外交関係が樹立される。

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 さて、もしかしたらマニアには有名なのかもしれないが、個人的に初めて知ったのが、今週95位のRag Dolls - Society Girlである。この年のNo.1ソング、4 Seasons - Rag Dollのアンサーソングであり、しかも4 Seasonsの制作チームが自らこのアンサーソングを作ったというのだから、セルフアンサーソングといったところだろうか。まあ、あまり売れなかったようだが。

その頃ソ連では
1964年9月1日:ウクライナ共和国初のワイドスクリーン映画館「ウクライナ」がキーウにオープン。

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 さて、今週4位と赤丸急上昇中で、最終的には3位まで上がる大ヒットとなるのが、Dave Clark Five - Becauseである。当時勢いのあった英国勢の中でも、ワイルドな作風で知られた彼らだが、皮肉にもこのバラード曲が代表曲のようになっている。

その頃ソ連では
1964年8月28日:ソ連最高会議議長令により、1941年に行われたヴォルガ地方のドイツ系住民に対する訴追を撤回。

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20240825b

 HP更新しました。マンスリーエッセイ「1983年から2024年へ ナベサダとのランデブー」です。仕事とは何の関係もない道楽話で恐縮ですが、よかったらご笑覧ください。


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 さて、前にも書いたと思うが、1960年代半ばのモータウン黄金時代にあっても、私はとりわけエディー・ホーランドの作品が好きで、とりわけ今週88位にランク入りしてきたEddie Holland - Candy to Meが大のお気に入りなのである。大ヒット曲というわけではないが、個人的なフェイバリットだ。

その頃ソ連では
1964年8月28日:ロシア共和国クイブィシェフ州のスタヴロポリ市が、トリヤッチ市に改名される。物故したイタリア共産党の指導者の名にちなんだもの。

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 この週、モータウンの女性トリオ、シュープリームスがチャートのトップに上り詰めた。Supremes - Where Did Our Love Goが、1位に輝いたものである。1964年のHot 100では、ビートルズが1位から5位を独占する伝説的な週もあったが、シュープリームスがこの曲を皮切りに5曲連続で1位を獲得するというのも、良く知られた伝説である。

その頃ソ連では
1964年8月21日:ソ連とかかわりが深かったイタリア共産党の指導者、パルミーロ・トリアッティ氏が死去。

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 さて、今週1位にDean Martin - Everybody Loves Somebodyとあるが、個人的にはすぐメロディーが浮かばなかった。YouTubeで再生してみたら、あああの曲かと思い出したが。元々はフランク・シナトラのあまり売れなかった持ち歌らしいが、シナトラ所有のリプリーズ・レコード所属のディーン・マーチンに歌わせて、上手くリサイクルできた形か。

その頃ソ連では
1964年8月9日:ソ連国際連合代表部、7月25日に米州機構加盟国外相会議で採択された反キューバの諸決定に関するソ連政府の声明を国連安全保障理事会議長に送付。

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19640815a
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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 今週は、夏らしく、ラテン風味溢れる Drifters - Under The Boardwalk を聴いてみようか。メンバー交代を繰り返しながら長く活躍してきたグループだが、ベスト10ヒットはこれが最後だったようだ。ちなみに、個人的には2000年頃にロンドンに遊びに行った時に、ウィンブルドン劇場というところで「ドリフターズ・コンサート」という催しがあるのを知り、半信半疑で出かけた思い出がある。若いあんちゃんたちが、「ハ~イ、僕たちドリフターズです」と元気よく出てきて、確かにドリフターズの持ち歌を歌ってはいたのだが、「お前ら偽物ちゃうんか」という疑念は最後まで晴れなかった。

その頃ソ連では
1964年8月2日:ソ連の同盟国、北ベトナムが米駆逐艦に魚雷を発射したとされるいわゆるトンキン湾事件発生。実は米側の偽旗作戦だったが、これがベトナム戦争へと繋がっていく。

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19640808a
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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、順当に行けばこの週1位になったビートルズのA Hard Day's Nightを取り上げるべきなのだろうけど、そんな誰もが知る曲をシェアしても面白みはない。むしろ40位にThe Beatles - Ain't She Sweetという見慣れない曲が入っているのが気になった。調べてみたところ、ドラムがまだピート・ベストだった時代の1961年に録音されたカバー曲で、それがこの年のビートルズ・ブームにあやかって便乗的に発売されたらしい。ビートルズのオリジナルアルバムには収録されていないので、個人的には音源を持っていなかった。後にアンソロジーに収録されたとのことだが、自分はアンソロジーは持っておらず、これは盲点だった。

その頃ソ連では
1964年8月19日:中央研究所「エレクトロニカ」の創設に関するソ連電子機器委員会指令。

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 さて、今週の48位には、Ventures - Walk--Don’t Run ’64がチャートインしている。1960年のヒット曲を、ヴェンチャーズ自らがリメイクしたもの。先走って言うと、この64年版は最終的に8位まで上がるのだけど、何でも同じバンドが同一曲をリメイクして、両方ともベスト10に入れたのは、これが史上初めてだったらしい。

その頃ソ連では
1964年7月19日:ソ連・東ドイツ友好条約(1964年6月12日締結)に関する米・英・仏の声明に対し、ソ連が反論声明。

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 さて、この週には 4 Seasons - Rag Doll が、チャートのトップに駆け上がった。四季の1位は前年のWalk Like a Man 以来であり、結果的にはこの曲が60年代最後の1位になるのであった。

その頃ソ連では
1964年7月15日:ソ連最高会議幹部会議長に、ソ連閣僚会議第一副議長だったA.ミコヤンを選出。ソ連共産党第二書記だったL.ブレジネフが、ソ連閣僚会議第一副議長に。

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 さて、この週9位には、アメリカン・ヒットパレードとしては異色の曲がランクインしていた。Stan Getz & Astrud Gilberto - The Girl From Ipanema、邦題「イパネマの娘」がそれである。ボサノバのイメージを決定付けた一曲であり、スタンダードと化している。

その頃ソ連では
1964年7月7日:ソ連国連常駐代表、国際の平和と安全の確保における国連の実効性を強化するための一定の措置に関するソ連政府の覚書を米国国連代表に手交。

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19640711t
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 今週、チャートのトップに躍り出たのが、Beach Boys - I Get Aroundである。ビートルズが上陸する前から米チャートの常連となっていたビーチ・ボーイズだったが、考えてみれば全米1位はこの曲が初だったか。以前取り上げたBeach Boys - Don’t Worry Babyは、この曲のB面曲だった。何とも強力すぎるカップリングだ。

その頃ソ連では
1964年7月6日:ソ連の国連常任代表が国連事務総長にコンゴ情勢に関する声明を提出。

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 さて、1964年に入りアメリカで爆発したビートルズ・ブームが、この週には別の形で開花した。レノン&マッカートニー(具体的にはポール・マッカートニー)がプレゼントした曲、Peter and Gordon - A World Without Loveが、見事全米1位に輝いたものである。当時、ポールはピーター・アッシャーの妹と付き合っており、その縁で提供した曲というのは、有名な話。

その頃ソ連では
1964年6月20日:ソ連とイランが支払協定に調印。

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 さて、今週8位には、Barbra Streisand - Peopleが入っている。女優・歌手バーブラ・ストライザンドにとり、初のヒット曲。ミュージカル「ファニー・ガール」で歌われた曲だった。

その頃ソ連では
1964年6月12日:ソ連と東ドイツが友好・相互援助・協力条約を締結。

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 さて、上位ではないのだが、あまりにも好きすぎて、どうしても取り上げたい曲がある。今週80位のEddie Holland - Just Ain't Enough Loveがそれである。当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったモータウンのソングライターチーム、HDHの一員であるエディー・ホーランドが、自らパフォーマーとして放ったシングル曲。大ヒットはしなかったものの、この時期のエディー・ホーランドは本当に格好良い。

その頃ソ連では
1964年6月10日:ウクライナの国民詩人、タラス・シェフチェンコの像がモスクワに設置される。

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 さて、アメリカンオールディーズを彩る名曲がまた一つNo.1ソングに輝いたので、これを取り上げねばなるまい。Dixie Cups - Chapel Of Loveがそれである。ニューオリンズの黒人女性グループが、レッドバード・レーベルから放った一曲。

その頃ソ連では
ベラルーシ共和国のT.ニジニコヴァ、N.トカチェンコにソ連国民アーティストの称号が授与される。

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19640606t
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 さて、今週チャート入りし、93位に着けているのが、Beach Boys - Don’t Worry Babyである。ビーチボーイズでも一二を争う超名曲だが、実はそんなに特大ヒットではなく、最高22位までしか上がらないので、もう取り上げてしまうことにする。後年出たCDでは、フェイドアウトが早すぎて不満が残るが、上で見るYouTubeの音源は(たぶん)オリジナル45から板おこししたたものなので、最後の「ウウウウ」までちゃんと聞こえて大変よろしい。

その頃ソ連では
1964年8月19日:ソ連電子機器国家委員会の指令により、モスクワにエレクトロニカ中央研究所が開設される。現在も存在し、ロステフ傘下。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、この週の43位を見ると、Henry Mancini & His Orchestra - The Pink Panther Themeがチャートインしている。冒頭部分だけあまりに良く耳にするメロディーだが、意外と全部通して聴くことは少ないかもしれないし、何の主題歌だったかも忘れがちかもしれない。

その頃ソ連では
1964年5月6日:ソ連とブルガリアが社会主義諸国を代表し、国連貿易開発会議に「発展途上国の経済成長を加速させるため、発展途上国の経済および対外貿易における植民地主義の兆候を除去するための若干の措置に関する決議案」を提出。

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 とにかくビートルズ旋風に沸き返った1964年だったが、自国勢、米デトロイトのモータウンも負けてはいなかった。ハスキー声の女性歌手、Mary Wells - My Guyが見事1位を獲得。作詞作曲はいわずもがなのスモーキー・ロビンソン。

その頃ソ連では
1964年5月13日:エジプトのナセル大統領にソ連邦英雄の称号を授与される。

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 さて、長らくビートルズの天下が続いてきたが、実に15週振りに、ビートルズ以外の曲がチャートの1位に立った。Louis Armstrong - Hello Dolly!がそれである。私は知らないが、有名なミュージカルのタイトルソングらしい。ノベルティ調の呑気な曲のように思えるが、こういう曲がビートルズに待ったをかけるのだから、分からないものである。

その頃ソ連では
1964年5月9日:この日は対独戦勝記念日だが、この年までは公式の祝日ではなく、軍事パレードも実施されなかった。正式に祝日になって軍事パレードが行われるようになるのは翌1965年から。

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 ビートルズのど派手なアメリカ上陸にやや遅れ、ついにストーンズもビルボードのTop 100入りを果たした。今週98位のThe Rolling Stones - Not Fade Awayがそれである。言うまでもなくオリジナルはバディー・ホリーで、デビュー間もない時期のストーンズは米R&R、R&Bのカバー主体だった。

その頃ソ連では
1964年4月30日:アルジェリアのベン・ベラ大統領にソ連邦英雄の称号が授与される。

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 さて、今週52位のMartha & The Vandellas - In My Lonely Roomは、特大ヒットというわけではないが、個人的に非常に好きな曲である。もし自分がオールディーズ番組のDJをやることがあったら、この曲をオープニングテーマにしたいと妄想している曲である。エンディングテーマはこちら。完璧だ。

その頃ソ連では
1964年4月26日:ベラルーシ共和国のマラジェーチノ市にミンスク州郷土博物館が開設される。

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 今週30位と47位に、「シャングリラ」という同じタイトルの曲が入っている。良く知らなかったので調べてみたら、前者がインスト、後者がボーカル入りで、同じ曲だった。ボーカルバージョンのVic Dana - Shangri-Laの方を聴いてみよう。

その頃ソ連では
1964年4月17日:N.フルシチョフ第一書記が70歳を迎えたのを機に、ソ連邦英雄の称号が授与される。

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19640418t
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 前週には、ビートルズが1位から5位までを独占するという衝撃の出来事があったが、その牙城は割と早く崩れ、今週3位にはTerry Stafford - Suspicionが食い込んだ。エルヴィス・プレスリーが1962年に吹き込んだアルバム収録曲のカバーである。

その頃ソ連では
1964年1月24日:ソ連国家計画委員会付属石油精製・石油化学国家委員会の議長にV.フョードロフ氏就任。

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 さて、ついにこの時が来てしまった。ビートルズがビルボードの1位から5位までを独占するという、伝説の週である。その事件自体は当然知っていたが、具体的にいつなのか、どの曲がくだんの5曲なのかは明確に把握しておらず、今年に入ってから、いつかいつかと、そわそわしていたわけである。それにしても、同一アーティストでありながら、その5曲が、キャピトル、トリー、スワン、ヴィージェイと、4つの異なるレーベルから出ていたというのも、今日からすると信じられない。さらに言えば、上位5曲以外にも、この週には31位、41位、46位、58位、65位、68位、79位にビートルズの曲がチャートインしていた。恐ろしや。言い忘れたが、今週の推し曲は1位のCan't Buy Me Loveで。

その頃ソ連では
1964年4月3日:ベラルーシ共和国のミンスク自動車工場の生産台数が累計20万台を達成。

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 ついにビートルズが1位から4位までを独占。そんな中、ビートルズやストーンズのルーツになったアメリカ本家R&R、R&Bも、まだ粘ってはいた。今週11位の Tommy Tucker - Hi-Heel Sneakers も、そんな一曲ではないだろうか。シカゴの老舗黒人インディーレーベル「チェス」のサブレーベルであるチェッカーからの一曲。チェスレーベルの創始者はご存じベラルーシ・モトリ出身のユダヤ人、チェス兄弟。

その頃ソ連では
1964年:中央アジアでムバレク~タシケント~シムケント~ビシケク~アルマトィのガスパイプライン建設始まる。

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