国際情報サイトの「Foresight」に、「地政学の谷間、モルドバの苦悩――「親EU路線」は在外票依存、大統領選にロシアが介入」と題する論考を寄稿しました。全文読むのにはご購読が必要ですが、よかったらチェックしてみてください。
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国際情報サイトの「Foresight」に、「地政学の谷間、モルドバの苦悩――「親EU路線」は在外票依存、大統領選にロシアが介入」と題する論考を寄稿しました。全文読むのにはご購読が必要ですが、よかったらチェックしてみてください。
昨日決選投票が行われたモルドバ大統領選は、開票率90.90%の段階で、上図のとおり、野党のA.ストヤノグロ氏がわずかにリードする際どい状況となっている。しかし、開票が残っているのはほとんどが在外票であり(開票率17.75%)、その在外票では現時点でも現職のM.サンドゥが85%あまりを得票している。この形勢は動かないので、在外票が開くに連れサンドゥが逆転し、最終的には数%の差を付けて再選を果たすことになるだろう。
再選自体はめでたいが、前回の決選投票では、下図のようにサンドゥは国内だけでも辛うじて勝っていた。今回はどうも国内では負けたっぽいので、それだけ苦戦したという評価になりそうである。
10月20日に行われたモルドバ大統領選第1回投票とEU加盟路線を問う国民投票。改めて投票結果を地区別に整理して、上掲のとおりグラフにしてみた。特に注目されるところだけ赤で示した。以下、簡単に気付きの点を。
モルドバ国民投票および大統領選挙結果について、こちらの記事でウクライナ人の有識者I.モシーチューク氏がコメントしているので、以下発言要旨を紹介しておく。
モルドバの憲法に関する国民投票の結果は、実質的に50対50で、きわめて僅差であった。当局は、欧州統合のプロセスを一時停止し、国民に働きかけ、EUに向けて前進する必要性を国民に納得させる必要がある。このようなわずかな差でEU加盟を強行すれば、惨事を招き、国を引き裂き、分裂させることになりかねない。
国民投票の結果がこのように僅差である場合、いずれかの方向に舵を切れば国を分裂させかねないので、実質的に何もできない。論理的には、モルドバ当局が国民と対話してEU加盟を説得するか、あるいは国民がEUへの移籍を望んでいないことを当局に伝えて納得させるか、そのどちらかが理屈に適っている。
モルドバでは、EU加盟路線が憲法に盛り込まれ、それがあだになったウクライナの二の舞にならないよう、国民投票を実施した。ウクライナでも、人々がウクライナの欧州統合を支持しなかったという意味ではない。しかし、民意が世界に対して示されなかったということが問題だった。それゆえロシアは、ウクライナが政治家によってNATOとEUに引きずり込まれ、国民には何も相談しなかったと称して、ウクライナへの全面侵攻を開始したのである。
モルドバでは、国民と協議することを決めた。しかし、私がモルドバにアドバイスしたいのは、一旦立ち止まり、人々と協力し、納得させることだ。
2週間後に迫ったモルドバ大統領選の決選投票に関しては、サンドゥ現大統領にとって簡単な戦いにはならないだろうし、野党候補たちが対抗馬であるA.ストヤノグロを中心に団結すれば、サンドゥにとっては非常に難しい決選になるだろう。
10月20日に投票が実施されたモルドバ国民投票と大統領選は、開票作業が100%完了した。昨日のエントリーでは、EU加盟路線、現職のM.サンドゥ大統領とも過半数をとれず苦戦…というようなニュアンスでお伝えしてしまったが、考えてみれば、開くのが遅い在外票で親欧米派が多いわけで、開票が進むに連れ、現体制支持票が伸びていくことは必然だった。とはいえ、出揃った最終結果も、サンドゥ現政権にとって厳しいものであることに変わりはない。
まず確認しておくべきは、今回の投票は投票率が51.68%だった。前回2020年の大統領選第1回投票の45.68%よりは伸びたが、国民投票と大統領選を同日にやって動員を図った割には、盛り上がりを欠いたと言わざるをえない。
そして、EU国民投票では、昨日、当ブログでお伝えした時よりもEU路線賛成票が盛り返し、結局賛成が50.39%、反対が49.61%となった。サンドゥ大統領は、国民の意思は示された、予定どおり憲法へのEU路線明記を実行するという趣旨のことを述べているが、確認されたのは(むろんロシアの介入はあるにせよ)世論の分断であり、憲法改正の強行には危うさも覚える。
そして、大統領選の最終結果は以下のとおり。サンドゥ現大統領が42.45%、社会党のA.ストヤノグロが25.98%であり、この両名の決選投票にもつれ込んだ。
昨日お伝えしたモルドバ現地専門家の解説では、大統領選ではM.サンドゥが優勢、焦点は第1回投票で過半数をとり当選を決められるかどうか、国民投票ではEU路線賛成多数が濃厚、というような見方だったかと思う。
ところが、蓋を開けてみると、こちらのページに見るとおり、開票率82.83%の時点で、サンドゥの得票は37.08%に留まり、2位の社会党A.ストヤノグロが29.04%とかなり健闘、決選投票にもつれ込むことが確定的となった。
さらに衝撃的なのは、こちらのページに見るとおり、国民投票ではEU路線が否決となった模様である。開票率84.54%の時点で、賛成45.36%、反対54.64%になっている。う~む。(注:その後、在外票の開票が進み、在外票は圧倒的にEU支持なので、賛成・反対が拮抗し、際どい情勢になっている)
引き続き、やはりこちらの記事に出ている有識者コメントで、今度は歴史学者・政治評論家のS.ムスチャツァ氏によるコメントを、以下のとおり紹介する。
「ロシアの利益を考慮した」投票をするよう、当地の有権者を買収しようとするモスクワの試みは、目に余るものがある。I.ショール氏の側近や聖職者までがモスクワに招かれ研修を受け、現金を抱えて帰国した。モルドバの特務機関と警察はこの件について提起し始め、1億ドル以上が投資されたと指摘した。彼らは一方ではサンドゥに反対する候補者を宣伝し、他方では国民投票のボイコットを呼びかけている。
現時点では、サンドゥに最もチャンスがあることは明らかだ。モルドバの最新の世論調査によると、有権者の36%以上がサンドゥ支持、22%はまだ未定である。勝利する可能性が最も高いのは、サンドゥである。問題は、未定の22%がどう出るか。彼らが棄権したり、他の候補者に投票したりする可能性もある。しかし、現時点では、少なくとも決選投票では、サンドゥに最大のチャンスがあることは明らかだ。
モルドバの欧州選択支持派が国民投票で勝利すると、将来的にルーマニアとの国家統一に向かう可能性を意味するのだろうか? これは積年の懸案であり、かなり微妙なものである。統一支持率は15%から20%へとわずかに上昇しているが、依然モルドバ国民の5分の1しか統一を支持していない。だから短期的には非現実的だ。しかし、将来的には重要な問題であることに変わりはない。
国民投票が成功したとして、モルドバの国情が好転するかと言えば、難しい。それでも、国民投票は非常に重要であり、その成功は社会を安定化に向かわせるだろう。欧州のベクトルは、安定、経済の長期的発展の見通し、インフラ、EU基準の貿易を意味する。これは、モルドバの外交政策の観点、政府と社会、政府とEUの対話にとって重要な議論である。モルドバとEUの双方にとって、新たな一歩となろう。
本日10月20日はモルドバ大統領選およびEU加盟路線を問う国民投票の日である。それに向け、もっと入念に情報収集をしたかったが、時間がないまま、投票の当日を迎えてしまった。遅れ馳せながら、差し当たりこちらの記事に出ていたモルドバ国立大学法律・政治・社会研究所のV.ジューク所長のコメント要旨を、以下のとおり紹介する。
ロシアはモルドバの欧州統合を阻止するためにあらゆる努力を傾ける必要があることを理解している。現在、国民投票と大統領選挙が行われ、2025年には議会選挙が行われるため、ロシアはモルドバに対して大規模なハイブリッド戦争を行う必要があると考えている。登録された11人の大統領候補者のうち、4人は親ロシア派の政治家である。
まず、V.ターレフ、V.フルトゥネ、I.ヴラである。さらに、A.ストイアノグロは個人的にはモルドバの欧州路線に賛成しているが、I.ドドンの社会党が推薦している。かくして、ロシアは外からは様々なフェイクニュースでモルドバの国民意識を攪乱でき、内からは情勢を不安定にしモルドバのEU加盟に反対する一連の政党を有している。
M.サンドゥ現大統領が選挙戦をリードしていることは誰もが認めるところであり、焦点は彼女が第1回投票で勝利するか、決選投票で勝利するかである。興味深いのは、第1回投票までに、どの候補者が辞退するか、あるいはどの候補者が様々な問題のために選管から候補者資格を剥奪されるかである。モスクワにいると言われる黒幕のI.ショールは、最後の1週間で、どの候補者にチャンスがあるかを見極め、他の候補者は選挙戦から撤退させると言っているからだ。また、中道右派のA.ナスタゼやO.ツィクが選挙戦から撤退し、サンドゥに票が流れる可能性もある。
サンドゥは当初から、ロシアのウクライナ侵略を決然と非難していた。有権者の大半はこの戦争にも沿ドニエストル紛争にもすでに慣れている。ただ、ウクライナが敗北すれば、ロシアのモルドバ侵攻が現実的に迫ると常に考えている。また、親露政党は、モルドバがウクライナでの戦争に巻き込まれると、有権者を脅している。
だが、それは事実に反する。モルドバは、紛争が平和的に、公正に、ウクライナの領土保全の原則に基づいて解決されることを望んでいるのだから。ウクライナの戦争がモルドバ国民の考え方に影響を与えないとは言わないが、戦争に関連して定期的に現れるフェイクに対してはより慎重になっている。加えて、ウクライナはモルドバがヨーロッパへの道を歩み続けることも望んでいる。モルドバに、ベラルーシのようなクレムリンべったりの政権が誕生してほしくないからだ。両国のEU加盟交渉は難航が予想されるだけに、ウクライナはその仲間としてのモルドバのEU加盟路線を望んでいる。
モルドバはEUに傾斜し、将来的な加盟を目指している。そして、同国名産のワインは、20年くらい前まではロシア市場への輸出が4分の3程度にも及んでいだが、近年脱ロシア依存を進め、EUをはじめとする他市場へのシフトを推進してきた。モルドバ当局は、実際にその成果が挙がっていると強調している。
実際、そのことはモルドバの貿易統計からも裏付けられる。ここでは簡易的に「第22類:飲料・アルコール」の輸出データを見るが、モルドバの場合その大部分がワインだと理解していい。私が全体像を整理したのが上図であり、確かに今日ではロシア市場の存在感は見る影もない。
ところが、これに関し、今般気になる発言が出たので、それを記しておく。こちらの記事に見るとおり、2001~2008年にモルドバ首相を務めたV.タルレフ氏が、モルドバ産ワインはベラルーシやジョージアを通じてロシア市場に再輸出されていると指摘したのである。
タルレフ氏いわく。2023年のワイン総輸出量1,044万デカリトルのうち、340万デカリトルがベラルーシへ、170万デカリトルがジョージアへ輸出された。 両国は、モルドバ現政権とは異なり、西側諸国による制裁に加わることを拒否し、国民の利益のためにロシアと積極的に貿易を行っている。モルドバ当局は、ご主人様を喜ばせたいがために、国民の利益をないがしろにしている。ジョージアやベラルーシに供給されたモルドバ産ワインの一部は、ロシアに再輸出されている可能性が否定できない。この状況は、現政権が表向きはロシアからのガス輸入を拒否していながら、現実には輸入し続けていることに似通っている。制裁に参加するというモルドバ当局の決定は逆効果だ。ロシアにとっては痛くも痒くもない一方、モルドバの農民はロシアで数十億ドルの市場を失い、破産し、抗議している。ガスや電気、その他の商品の価格が高騰し、人々は凍えている。ロシアで働いている何十万人ものモルドバ人移民は、親族に送金したり、親族を訪ねたりすることができないでいる。
タルレフ氏は以上のように語った。まあ、よくある親露派のレトリックであり、目新しいものではないが、ワインがロシアに迂回輸出されているとの話は初めて聞いたので、真偽は不明ながら、一応書き留めておく次第。
きわめてマニアックな話題で恐縮だが、モルドバのマイノリティ地域、ガガウズ自治区とタラクリア地区についての情報を収集していたところ、興味深い資料に出くわした。こちらのページに見るように、モルドバの公共政策研究所というシンクタンクがくだんの2地区で2021年に実施した社会調査結果が出ていたのである。その調査結果を、英語・ルーマニア語・ロシア語版のPDFで読めるようになっており、至れり尽くせりだ。
個人的には、上掲のグラフなどが特に貴重なデータであった。これは、「家庭で一番多く話す言語は何か?」という設問の回答結果である。ガガウズ人は、トルコ語によく似たガガウズ語を話しながら宗教的にはロシア正教に属すというユニークな民族なのだが、その家庭使用言語はガガウズ語が56.1%、ロシア語が42.6%となっている。さらに、タラクリア地区のブルガリア系住民の間では、ブルガリア語が52.5%、ロシア語が46.5%と、さらに拮抗している。そして、流暢に話したり読んだりできる言語を問うと、ロシア語が民族語以上に深く浸透しているのに対し、モルドバ語/ルーマニア語の能力となるとガクンと落ちるというのが特徴である。
これはしばらく前の動きになるが、見落としていたので、遅れ馳せながら取り上げる。モルドバの親露派の野党勢力がしばらく前に「パベーダ(勝利)」という政党連合を結成していたが、こちらなどが伝えるところによると、10月20日投票の大統領選に向け、8月2日にV.ボリャ氏が大統領候補として擁立されたということである。
上掲記事によれば、ボリャ氏は記者会見で、ロシア語を公用語に戻すこと、CISおよびユーラシア経済連合との関係を立て直すこと、後者に関してはいずれ加盟を目指すことを公約に挙げた。
ロシア語版ウィキペディアによれば、ボリャ氏は1982年10月27日モスクワ生まれの41歳。元ラグビー・モルドバ代表という異色の経歴を持つ。職業上の専門は法律で、様々な企業・組織で働いた後、2014年にモルドバ議会議員に当選して政治家に転身。2014~2023年は社会主義者党に、2023年以降は再生党に属した。
正直言うと、ボリャ氏は個人的に聞いたことのない人物だった。モルドバ大統領選は40歳以上でないと出馬できないので、ぎりぎりそれを満たす年齢のボリャ氏に白羽の矢が立ったのかという感もなきにしもあらず。
先日行った講演「モルドバが『次の標的』にならないために」の模様をYouTubeにアップし、アーカイブ視聴できるようにしましたので、ぜひご利用ください。
Wedge ONLINEに、「【現地ルポ】ウクライナの次はモルドバ? 平和に見えても、所々に潜む亀裂、現地から見た小国モルドバの“今”」を寄稿しました。無料でお読みになれますので、ぜひどうぞ。
私が以前編集長を務め、今も寄稿を続ける『ロシアNIS調査月報』の2024年6月号のご案内。毎年5月号がロシア総論特集となっているのに対し、6月号はロシア以外のNISの特集。今回は、「脱・ロシア依存に向かうNIS経済」と題する特集号となっております。詳しい内容とお問い合わせ・お申し込みはこちらまで。
服部は、特集の枠内で「経済の脱ロシア依存を進めるモルドバ」という調査レポートを書き、「ウクライナのレミッタンス受入に生じている変調」という連載記事も。特集の枠外では、「ロシア農業の現場からの声」を執筆。
今号は、表紙の写真も服部によるもので、4月のモルドバ出張で撮影してきた製菓会社ブクレアの直営店の風景です。
私ども北大スラブ・ユーラシア研究センターが立ち上げたウクライナ研究ユニットによる講演シリーズ「危機を生きるウクライナと世界」の第4回として、5月31日(金)15:00~16:30に私が「モルドバが『次の標的』にならないために」という講演をお届けします。先日の現地調査の成果も盛り込みながら、モルドバの基本問題と最新事情を解説します。リモートかつ無料でどなたでも視聴できますので、ぜひこちらからお申込みください。
モルドバ出張中も、毎日のブログの更新が途絶えないよう、書き溜めたモルドバ紋章についての記事をお届けするシリーズは、昨日のコムラトで大団円を迎えたつもりだったが、やっぱりもう1個加えたくなった。実はモルドバ南部には、ブルガリア系少数民族の住むタラクリア地区というのがあり、その中心都市のタラクリアの市章がそれである。今回のモルドバ出張で、実際に立ち寄ることもできた街なので、どうしてもこれも追加したくなったというわけである。
ウクライナのオデーサ州南西部にはボルフラードという街があって、名前から推察されるとおり、そこもブルガリア系が多いところなのだけど(ウクライナ系ながらポロシェンコ前大統領はその街出身)、要するにウクライナ・オデーサ州南西部とモルドバ南部は隣接しており、国境をまたいでブルガリア系の人々が住んでいるということである。
紋章の下部に記されている言葉を「モットー」というのだけれど、このタラクレアの紋章には、「ブルガリア精神は不屈」という言葉が、ブルガリア語で記されている。
シリーズ・モルドバ紋章は、これで本当におしまい。
モルドバ出張から帰国しても、同国の紋章シリーズを続けていたのは、このコムラトを取り上げるまでは止めるわけにはいかなかったからだ。モルドバで(トランスニストリア=沿ドニエストルを含め)11番目に人口の多い街が、人口2.6万、このコムラトという街になる。トルコ系ながらロシア正教を信奉するというユニークな少数民族のガガウズ自治区の中心地で、今後のモルドバの国民統合にとり試金石となり、さらに言えば、新たな地政学的危機の震源地にもなりかねないので、ぜひこのコムラトまでは取り上げたかったという次第。というわけで、シリーズ・モルドバ紋章はこれにて完結。
こっちに来てからチョコバーとカップ麺ばかり食べているような気がしたので、昨日の昼は訪問先のバルツィ市でちょっと良さそうなレストランに入ってみた(と言っても会計は10ドルくらいだったが)。
モルドバでは「ゼアマ(Zeama)」というスープが味噌汁的な伝統料理になっているらしく、それを食してみた。鳥肉のほか野菜、ジャガイモ、ヌードルが入っており、サワークリームを加えて食べる。ロシア圏にもよくあるブイヨン風のチキンスープと一見似ているが、若干酸味があるのが特徴のようだった(サワークリームを入れる前から酸味がある)。
後は、これは伝統料理なのかどうかは分からなかったが、盛り合わせのメイン皿。
4月23日、面談の帰りにモルドバ政府庁舎の前を通りかかったところ、面白い光景に出くわした。どうも国旗を称えるセレモニーのようである。ただ、指導者のような人が子供に指示を出したりしていたので、これは本番ではなく、リハーサルではないかと思われた。
ホテルに帰って調べてみたところ、こちらのページに見るように、モルドバでは1990年4月27日に現在の国旗が制定され、それにちなんで2010年に4月27日が「国旗の日」として制定されたということだった。というわけで、おそらく私の勘は正しく、私が目撃したのは、4日後に行われる「国旗の日」式典のリハーサルだったのだろう。リハーサルでも、見ていて充分に面白かったので、上掲のとおりYouTubeにアップした次第。