ロシア・ウクライナ・ベラルーシ探訪 服部倫卓ブログ

ロシア・ウクライナ・ベラルーシを中心とした旧ソ連諸国の経済・政治情報をお届け。

カテゴリ: ベラルーシ

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 GLOBE+に、「ロシア依存を軽減するはずが逆効果だったベラルーシ原発」を寄稿しました。

 今回のコラムでは、ベラルーシ情勢を読み解く上での一つのヒントとなる原子力発電所の問題について語ってみました。ベラルーシは、1986年のチェルノブイリ原発事故の被害国であり、これまで国内には原発が立地していませんでしたが、ルカシェンコ大統領(当時)の強い意向により、同国初となる「ベラルーシ原子力発電所」の建設が決まりました。そして、建設作業はすでに完了しており、その稼働開始が、まるでルカシェンコの新たな任期を祝うかのように設定されているのです。


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 ナゴルノカラバフでガチの戦争が起きて、ベラルーシはあっという間にオワコンか。8月から9月にかけて、日本における数少ないベラルーシ専門家として重宝されたけど、もうバブルも終わりだな。うだつの上がらない平民出に巡ってきたビジネスチャンスだったけど、短ぇ夢だったな。

 それはそうと、こちらのページに、興味深い図解資料が出ていた。旧ソ連の各国に、「ポーランドカード」がどれだけ発行されているかを比べたものである。それに加え、2段目にポーランド永住権の供与数、3段目にポーランドに留学している学生の数が出ている。

 ポーランドカードというのは、芸がないようだがウィキペディアによれば、ポーランドで2008年に発効した制度であり、旧ソ連のポーランド系住民に対し「ポーランド民族」に属すというお墨付きを与える制度で、2019年からは旧ソ連域外の人々にも適用されるようになった。制度の実質的な狙いとしては、旧ソ連の同胞を労働移民として迎え入れる点にあるということである。

 2019年の国勢調査によれば、ベラルーシには29万人のポーランド系住民が存在することになっている。一方、今回の資料によれば、ポーランドカードを取得したベラルーシ国民は14万人あまりなので、約半分がそれを取得したということになろうか。今般のベラルーシ民主化運動に至る底流として、ポーランドとの関係拡大という要因もあったという仮説が成り立つだろう。


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 むかし、「カワイイはつくれる!!」というCMがあったが、ベラルーシを見ていると、世論も作れるのかなと感じる。ベラルーシ科学アカデミー社会学研究所のこちらのページに、対ロシア関係をはじめとして、ベラルーシのあるべき対外戦略についての世論調査結果が出ていた。ただ、そもそもがルカシェンコ体制の御用調査機関であり、調査方式などについての具体的な情報が記されておらず、疑いの目を向けざるをえない。このコンテンツが発表されたのが、大統領選直後の8月14日であることから見ても、政治的意図があって発表したものではないかと、つい見てしまう。

 上に掲載したグラフは、どのようなロシアとの関係を望むかという問いに対する回答状況である。最新の2020年6月の状況で、「ベラルーシは独立国でありロシアとは国際条約にもとづいた関係を構築すべきだ」(青)が61.6%、「ベラルーシとロシアは超国家機関を創設し同権の連合関係を築くべきだ」(緑)が24.5%、「ベラルーシは連邦構成体(単数または複数)としてロシア連邦に加入すべきだ」(赤)が6.7%だったと発表されている。要するに、ロシアと国家統合を行うことを希望しているベラルーシ国民は趨勢的に減少しているという、ルカシェンコ体制にとって何とも都合の良い数字になっている。ベラルーシで対ロ統合の支持者が減っているのは事実だと思うが、ちょっとこのグラフの示すパターンは露骨すぎるのではないかという気がする。

 一応、他の設問の回答状況も見ておくと、ベラルーシの対外関係の方向性はどのようなものであるべきかという設問では、ロシア寄り23.9%、欧州寄り20.2%、中国寄り4.8%、特にどこにも依拠せず自主路線を進める28.6%、などとなった。


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 こちらのサイトで、ベラルーシの政治評論家V.カルバレヴィチ氏(写真)が、9月14日のソチ会談後のベラルーシ情勢について論評しているので、以下のとおり抄訳しておく。


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 今年の大統領選前までは、ルカシェンコは国民の支持に依拠していたが、今ではロシアに依拠するようになり、ロシアはベラルーシへの影響力を強めた。しかし、ロシアによるバックアップは、ルカシェンコにとって心許ないものであることが、徐々に明らかになっている。

 9月17日にロシアのS.ラヴロフ外相はロシアのRTVI局のインタビューに応じ、次のように発言した。「ルカシェンコ大統領自身、自分は長く政権に留まりすぎたのかもしれないと発言している。大統領が言っているように、憲法改革を経て、彼は前倒しの議会選・大統領選を宣言するかもしれない。これは、国民対話が完全な形で実施される枠組みを示している。重要なのは、ベラルーシ社会のすべての国民層が憲法改革のプロセスに参加し、この改革が完全に合法ですべての国民にとって分かりやすい形になることに尽きる。さらに、いつ、どこで、どんな形でこのプロセスが始まるかという具体的な提案が必要である。」

 かくしてラヴロフは、プーチンがソチで示したクレムリンの立場を、明らかにしたわけである。それはすなわち、ルカシェンコは5年の任期を待たずして早期に退陣すべきだというものである。

 しかし、ルカシェンコはこうしたシナリオに同意はしていない。もしかしたら、ソチでは反論はしなかったのかもしれない。しかし、帰国後は、ソチでの話を実質的に反故にしている。

 ソチ会談直後、ルカシェンコは全政権幹部を招集した。ソチでの会談で、ルカシェンコがプーチンにあまりにへりくだった態度を示したことが、ベラルーシのエリートたちに好ましくない印象を残していたので、ルカシェンコとしては早急にそれを打ち消す必要があったのだろう。

 ルカシェンコはこの席で、次回大統領選挙は憲法に沿って実施されると発言した。現行憲法に従うならば、それは2025年となり、前倒し大統領選などはなくなることになる。

 ラヴロフは国民対話について述べたわけだが、ルカシェンコが実際にやっていることは対立を煽ることだけである。くだんの政権幹部会合でルカシェンコは、大規模な抗議運動はベラルーシに対する世界的な陰謀によるものであると主張した。なぜ過去26年作動しなかったカラー革命のテクノロジーが突如として稼働したのかということにつき、ルカシェンコは説明しなかったが、いずれにせよルカシェンコの語り口は、すべての敵対者に対する敵意、内戦のレトリックであった。

 ラヴロフの要求に反し、ルカシェンコはフィクションにすぎない「全ベラルーシ大会」で憲法を討議するとしている。また、ルカシェンコは、まずは政権幹部を、次に女性大会を招集したが、憲法改革の具体的な日取りは明らかにしていない。彼は時間稼ぎをしており、状況に応じて次の手を打とうとしている。今の時点で憲法採択の、増してや前倒し選挙の日程を発表したら、レームダック化してしまう。もしもベラルーシのエリートやシラビキたちが、ルカシェンコが退陣する時期を知ったら、彼らの忠誠心が低下することになる。

 他方、ルカシェンコは、プーチンがルカシェンコを守る以外にどうしようもないということを、確信している。クレムリンにとっては、ベラルーシでカラー革命が起きるという恐怖の方が、強いからだ。

 その間、ベラルーシの西側ベクトルは、状況が悪化する一方である、ベラルーシ外交が長年にわたり目指してきた欧米との関係正常化の試みは、水泡に帰しつつある。9月17日の女性大会でルカシェンコは、西側との関係は壊滅の一歩手前だと述べ、戦争の危険について指摘し、ポーランド、リトアニア、ウクライナの首脳のことを「愚かな政治家たち」と呼んだ。

 その上でルカシェンコは、リトアニアおよびポーランドの国境を閉鎖し、ウクライナとの国境は警備を厳重にした。その結果、バルト三国から貨物を運んでくるトラックが厳重にチェックされるようになり、通過ポイントで数時間の遅れが発生している。ロシアはリトアニアからの貨物到着が最大で5日遅れるようになったとクレームをつけ始めている。ベラルーシ当局はまた、国籍に関係なく、自国民も含め、これらの国境を通過する人々を厳重にチェックするようになった。

 これらの問題は、ベラルーシの外交と経済にとって長期的なダメージとなる。ベラルーシはトランジット立国であり、そのことが外交および経済面で多大な恩恵をもたらしている。トランジットを実際に止めるのはもちろん、制限すると表明しただけで、国にとってはマイナスである。輸送会社は迂回路を探すことになる。ベラルーシは欧州地図における「ブラックホール」になりかねない。

 9月18日にはV.マケイ・ベラルーシ外相が、もしもEUがベラルーシ指導部に対する制裁を導入したら、ベラルーシはEU加盟諸国との外交関係を断絶するかもしれないと述べた。マケイはさらに、ベラルーシに対する何らかの制裁が採択されたら、ベラルーシ国家は国内政治に関連したしかるべき措置をとるかもしれず、これは政治システムおよびベラルーシに駐在している外国のマスコミにかかわる可能性があると述べた。これを普通の言葉に翻訳したら、もしもEUが制裁を発動したら、ベラルーシの支配体制は国民に対する政治的抑圧をさらに強めるということになる。


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 昨日、「ロシア語とベラルーシ語 反ルカシェンコ派の興味深い立ち位置」というコラムを発表した。ちょっとその続きの話である。

 昨日のコラムでは、ベラルーシ国民のうちベラルーシ語を母語とする者の割合、普段家庭でベラルーシ語を話している者の割合というグラフをお目にかけた。実は、コラム執筆に向け、上に見るような、都市・農村別、地域別、民族別のベラルーシ語比率という表も用意していたのだが、話が複雑になりすぎるので、割愛した次第だ。せっかく作ったので、当ブログでお目にかけることにする。

 なお、できることなら年齢層別のデータも載せたいところだったが、残念ながら原典の統計集にそのデータが掲載されていなかった。

 分かりやすいのは、都市・農村別の状況であり、ベラルーシ語の母語比率も、家庭使用比率も、農村の方が高くなっている。地域別の状況はなかなか複雑怪奇で、ブレスト州などは母語比率は高いのに家庭使用比率が非常に低いという、不可解なことになっている。

 これは以前から目立っていた現象だったが(拙著『不思議の国ベラルーシ』で詳しく論じた)、民族的なポーランド人の間では、ベラルーシ語を母語と見なす人々が非常に多く、家庭使用比率に至っては民族的なベラルーシ人すらも上回っている。ちなみに、自称ポーランド人たちの間では、ポーランド語を母語とする人も、家庭でポーランド語を話す人もごくわずかしかおらず、だいたいがロシア語かベラルーシ語かのどちらかである。貴方たちは本当にポーランド人ですか、単にカトリックなだけではないのですかと、ツッコミたくなる。


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 GLOBE+に、「ロシア語とベラルーシ語 反ルカシェンコ派の興味深い立ち位置」を寄稿しました。

 ベラルーシでは、暴力を駆使して権力の座に居座るルカシェンコと、圧政への抗議を粘り強く続ける民主派の市民が対峙し合い、混乱長期化の様相を呈してきました。9月14日にルカシェンコがロシアを訪問し、プーチン大統領との会談を行いましたが、それによって情勢が急激に変化するということもありませんでした。

 ですので、今回も短期的な情勢分析ではなく、ベラルーシを読み解くための基礎的なところを解説してみました。この連載ではベラルーシ問題を、デジタル社会、ウクライナとの比較、農村・農業、国内の地域構造など、様々な観点から検討してきました。今回は、言語事情からベラルーシを読み解きます。


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 HP更新しました。マンスリーエッセイ「ベラルーシ通りの名前ランキング」です。よかったらご笑覧ください。


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 9月14日にルカシェンコが訪ロしてプーチンとの間で行った会談については当ブログで既報のとおりだが、ルカシェンコは9月16日に政権関係者らを前にして、会談の具体的な内容につき明かしたということである。ベラルーシ国営ベルタ通信がこちらの記事で伝えている。私の研究分野に近い事柄としては、ベラルーシの貨物を現状利用しているバルト三国の港からロシアのサンクトペテルブルグの港にシフトさせるという話が新味があった。以下、ルカシェンコが述べた要旨を箇条書きしておく。

  • 約5時間にわたって、あらゆる問題を話し合った。プーチンと一緒に、今後の交渉の計画を作った。外務省、政府、大統領から成る枠組みは、選挙前に形成されていたものだ。
  • 何よりエネルギー問題を協議した。具体的な数字などは出なかったが、駐ロシア大使で対ロシア交渉担当の副首相でもあるセマシコがロシアのエネルギー関係者と交渉している。
  • 市場アクセスの問題も協議した。プーチンが、両国の持ち株会社、産業大企業の関係を活発化させ、その接触や取引を促そうと提案してきたので、私はOK、自分も賛成だと答えた。
  • (15億ドルの融資については)これは私からの依頼だった。ベラルーシは今年、ロシアに対する旧債務の返済で10億ドルを支払う必要があり、首相と蔵相は支払うことを提案しており、我が国はどんなに困難でも支払うつもりだった。ただ、私はロシア指導部に、今年の支払は見送り、来年に繰り延べてほしいと依頼した。金利は許容範囲である。したがって、これは繰り延べである。
  • 9月の末に両国の地域間フォーラムがあるので、知事たちの間の交流を活発化させる。セマシコがソチからの帰路に報告してきたところによれば、彼はロシアの産業相とロシアを行脚し、BelAZやMAZの供給など、2.9億ドルの契約をまとめてきた。
  • ベラルーシの貨物をバルト三国の港からペテルブルグの港にシフトさせる問題も、真剣に協議した。私はプーチンに、ロシアがバルト三国と同等の条件を提示できるなら、我が国はバルトの港にこだわるものではないと伝えた。まだ私がソチにいる間に、プーチンは事務方に検討と提案を指示した。
  • 交渉では、軍需産業および軍事分野の協力を特に重視した。当方からは演習を提案した。他国が何と言おうと、気にする必要はない。戦えない軍隊は軍隊ではなく、少なくとも演習は必要である。

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 昨日は、夕方から研究会で2時間発表、夜にラジオ出演で1時間解説と、ずっとしゃべりっぱなしだった。無理してしゃべりすぎたのか、そのあと、顎がつるという、初めての体験をした。そんなわけで、だいぶグロッキー気味なので、ブログは簡単なネタでご容赦いただく。

 悪名高きベラルーシ国営ベルタ通信のこちらのページに、ベラルーシとロシアの貿易関係に関する図解資料が出ていたので、それを見てみることにする。まあ、数字が羅列してるだけで、図解効果はそれほどないが。

 この資料は、ルカシェンコが訪ロした9月14日に発信されたものである。ベラルーシ当局は普段、ロシアへの経済依存度が高いことをことさらに強調しようとしたりはせず、むしろベラルーシは多角的な通商関係を目指して取り組んでいるという立場を示す傾向がある。なので、ベラルーシの貿易は輸出も輸入も半分前後がロシア相手ですということをあえてこういう目立つ資料に仕立てたということ自体、ある種のメッセージ性がある。

 2019年の場合、輸出の41.5%がロシア向け、輸入の55.8%がロシアからだった。注目されるのは、ロシア向けの主要輸出品目であり、多い順に以下のとおりとなっている。以前のコラムで論じたように、ベラルーシは実は畜産品輸出大国であり、そのほとんどをロシアに向けているわけだが、乳製品や食肉がここまで重きをなしているとは、認識を新たにした。

  1. 牛乳・乳製品:20億3,940万ドル
  2. 貨物自動車:7億5,060万ドル
  3. 食肉・同製品:5億9,650万ドル
  4. 農業機械:3億2,000万ドル

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 コメルサントのこちらの記事が、昨日9月14日にロシア南部ソチで行われたプーチン・ロシア大統領とルカシェンコ・ベラルーシ大統領の会談の主な結果につき箇条書きで整理しているので、以下のとおり要旨を整理しておく。

  • ロシアはベラルーシに15億ドルの融資を提供し、その一部は旧債務の借り換えに充てられる。
  • ロシアは対ベラルーシ国境付近に集結させていた予備兵力を解除し、元の勤務地に戻す。
  • プーチンは、憲法改革を実施するというルカシェンコの意向を支持する。ただし、ロシアも、その他の欧州勢力も、内政干渉してはならないという立場。
  • ロシアはルカシェンコをベラルーシの合法的な大統領と認める。ペスコフ・ロシア大統領報道官によれば、ロシアは、ルカシェンコを支持していてもいなくても、ベラルーシ国民のことを兄弟国民と見なす。
  • 両大統領は、両国間の交通の往来を再開するよう事務方に指示、近く担当大臣が会うことになった。
  • プーチンは、コロナウイルスのワクチンをベラルーシにも提供するよう指示。
  • 両大統領はエネルギー供給の問題を協議し、ペスコフ報道官によれば結果は建設的だった。
  • 両国は、それぞれの諸地域が参加するフォーラムの準備を継続する。
  • 両大統領は、様々な政府間委員会、各部門の企業の協業を活発化させることで合意。
  • ベラルーシ領にロシア軍基地を置く問題は話し合われなかった。

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 ベラルーシ情勢が混沌とする中でも、ベラルーシ・サッカーの国内リーグ戦は通常どおり開催されている。上の動画に見るように、首都ミンスク市でも然りのようだ。

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 そうした中、9月12日に、ベラルーシのサッカー選手93人が、当局により国民に暴力が振るわれていることを非難し、直ちに停止することを訴える動画を発表した。ベラルーシ国内リーグ、外国リーグでプレーするベラルーシ人プレーヤーたちであり、代表選手も含まれている。彼らは次のように訴えている。

 私たちはもっぱら、良心、我が国で起きていることすべてに耐えられないという思いから、行動している。私たちは、犠牲になった人々の肉親にお悔やみを申し上げ、被害を受け、屈辱を受け、酷く殴打され、障害を負うこととなった人々すべてへの支援を申し上げる。そして、暴力を停止するよう、訴える。私たちは、そして全国民は、憲法に明記された権利と自由を持つ。何人も、拷問、残酷、非人道的、または品位を傷つけるような扱いや罰を受けてはならない。人権に勝る権利はない。私たちは真実、正義、自由を支持する。私たちは暴力に反対する。


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 今後のベラルーシの命運を左右するであろうルカシェンコのロシア訪問だが、こちらなどが伝えているとおり、一昨日9月11日、日取りが発表された。9月14日にプーチンとの会談が行われるということである。

 ただし、交渉が1日で終わるのかというのは、良く分からないところである。ちょっと前には、両者が数日間にわたるマラソン交渉をしたこともあった。ルカシェンコはさておき、プーチンは多忙なので、どのくらい時間を割けるのかは不明だが、1日で終わらない可能性もなきにしもあらずだ。

 場所は、モスクワではなく、ロシア南部のソチに決まった。ソチは、米外交でしばしば重要な舞台となる大統領別荘があるキャンプデービッドのようなものであり、プーチンの公式別荘があって、プーチン自身モスクワよりはソチで来賓をもてなすことを好む。

 会談において、プーチンとルカシェンコは、「『連合国家』の枠組みでの統合推進の展望について協議する」とされている。私は、連合国家条約が起草されていた1999年当時から、この条約について研究してきたわけだが、まさか今頃になってこんな条約がゾンビのように復活し、国際政治の焦点になるとは、思いもしなかった。

 ルカシェンコが国を離れることをきっかけに、ベラルーシでもっと大規模な民衆蜂起が起きるとか、あるいはロシアでルカシェンコの身に何かが起きるとか、ドラマチックな出来事が起きるかもしれないが、それは私の想像力の範疇を超えている。


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 こちらの記事によると、ベラルーシはIMFに9.4億ドルの緊急融資を断られた由である。9月10日に定例の会見でIMFの公式代表が明らかにした。

 記事によると、新型コロナウイルスの感染拡大と世界的な経済状況の悪化を受け、ベラルーシ中央銀行は本年3月、9.4億ドルの緊急融資につきIMFと協議した。しかし、今日の困難に対応するための措置につき、両者間で合意を見なかった。IMF側によれば、この緊急融資メカニズムは厳しい条件を付けるものではないが、その利用に当たっては資金がウイルス対策と経済安定化にしかるべく向けられるよう、透明性が確保され必要な政治的措置がとられる必要があり、具体的にはWHOの勧告に沿った標準的な措置をとることが求められるという。


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 ちょっと自分のためのメモであり、込み入った話になる。

 私は、「ベラルーシは、ソ連の末期に、他の共和国とは異なり、独立宣言をしないまま、ソ連崩壊に伴い独立国となってしまった」と認識している。

 事実関係を整理すると、ベラルーシ共和国最高会議は1990年7月27日に「国家主権宣言」を採択した。主権宣言というのは、どちらかと言えば、自分たちのことを自分たちで決める権利があるのだという意思表示であり、独立を宣言するものではない。

 そして、翌年の1991年8月25日、ベラルーシ共和国最高会議は、前年の国家主権宣言に「憲法的法令」という位置付けを与えることを宣言した。後年、これが独立宣言だったと解釈されるようになった。なお、独立からしばらくは、主権宣言の7月27日が独立記念日となっていた。

 しかし、8月25日の決定を独立宣言とするのは、明らかに強引な後付けであろう。ベラルーシは、他の共和国とは違って、ずばり「独立宣言」と称するものは、ついぞ採択しなかったのである。ただ、独立宣言もせずに独立しちゃったというのはちょっと体裁が悪いので、後付けでそう称しているだけである。

 それで、ベラルーシの人々が、1991年8月25日に独立宣言をしたと解釈している根拠に、上述の宣言に加え、同日に採択された最高会議決議がある。その決議は、なぜか一般にはあまり流布していないのだが、こちらのWord文書の中にテキストがある。

ПОСТАНОВЛЕНИЕ ВЕРХОВНОГО СОВЕТА БЕЛОРУССКОЙ ССР

Об обеспечении политической и экономической самостоятельности Белорусской ССР

Руководствуясь Декларацией Верховного Совета Белорусской Советской Социалистической Республики о государственном суверенитете Белорусской Советской Социалистической Республики, Верховный Совет Белорусской Советской Социалистической Республики постановляет:

Объявить политическую и экономическую независимость Белорусской ССР.

Передать в собственность Белорусской ССР все предприятия, организации и учреждения союзного подчинения, расположенные на территории республики, за исключением тех, руководство которыми передано согласно законодательству Белорусской ССР соответствующим органам Союза ССР.

Совету Министров Белорусской ССР срочно принять нормативные акты о порядке передачи до 1 января 1992 года указанной собственности в ведение республики. В ходе реализации данного Постановления осуществить взаимодействие с союзными республиками по вопросам, затрагивающим их интересы, обеспечить нормальное функционирование экономики и социальной сферы Белорусской ССР.

Настоящее Постановление ввести в действие с момента принятия.

Первый заместитель
Председателя Верховного Совета Белорусской ССР С. ШУШКЕВИЧ.
25 августа 1991 года, гор. Минск.

 確かに、この中に独立を意味するнезависимостьという単語が出てくることは事実である。しかし、決議のタイトルは独立ではなく「自立」である。ここで述べられているのは、あくまでも、ゴルバチョフが目指したような刷新された連邦の一員としての自立的なベラルーシであり、ソ連から独立するというような決然とした姿勢は見られない。現に、共和国にある企業・組織は共和国の管轄に基本的に移管するとしながらも、ある種の企業・組織についてはソ連邦の管轄とすることもありうるとしており、連邦の存在を前提としていることは明らかである。したがって、ここで言っているнезависимостьは、いわゆる独立国になるという意味ではなく、政治的・経済的独立性といったニュアンスで捉えておくのが妥当だろう。

 むろん、「ソ連からの独立意欲が旺盛であればあるほど偉い」などというのはナンセンスであり、独立に慎重だったベラルーシは単にそういう個性の持ち主だったというだけの話である。別にベラルーシを見下そうということではない。私は単に、歴史を正確に把握したいだけである。


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 ロシアは2014年から欧米産の主要食品の輸入を禁止しているが、これはユーラシア経済連合としてではなく、ロシア単独の措置である。そこで、禁輸品目がベラルーシなどのユーラシア経済連合諸国に輸入され、それがロシア市場に違法に持ち込まれるという現象が、以前から知られていた。この問題に関し、こちらの記事が近況を伝えているので、要旨を以下のとおり整理しておく。

 なお、このような問題があるので、ベラルーシがロシアの保護国になったら、ロシアはベラルーシとの税関業務を統合する、言い換えればベラルーシの税関業務が実質的にロシアの管理下に置かれることになると、私は見ている。

 ロシアに非合法に再輸出される制裁対象食品の量は、縮小していない。ロシア市場における食品の供給量は、過去3年間、正式に登録された量(訳注:国内で生産された量+正式な輸入量という意味だろう)を少なくとも20%上回っている。少なくともその半分は、制裁対象品目である。さらにその半分強は、その他のユーラシア経済連合加盟国を経由してもたらされたものである。

 ロシア農産物監督局のS.ダンクヴェルト長官は先日、制裁対象食品の密輸はますます巧妙になっているとして、対策を厳格化することを提案した。特に、輸送業者および運転手を処罰することが必要であり、トラックおよび商品を押収し、業務を5年間禁止すべきである、という。

 もう何年も、ユーラシア経済委員会、ロシア税関局、その他のロシアの関係省庁は、ユーラシア経済連合加盟国を通じた再輸出を問題視している。しかし、その防止を難しくしている一連の要因が残っている。

 これに対し、ベラルーシ税関委員会のYu.セニコ委員長は、ベラルーシからロシアにもたらされる禁輸品目はほとんど、他ならぬロシアの業者によって販売されていると指摘した上で、我が国はその防止に全力を挙げていると弁明している。2019年には600のケースが摘発されたが、多くはロシアの業者による違反だったという。ロシアの業者は、輸入品をベラルーシで調達し、その後ベラルーシ産品であるなどという偽造文書を用いて、ロシアに持ち込むということである。

 このこと自体は、ロシア側も否定していないが、かといって、すべてがロシアの密輸業者の仕業だとは考えにくい。2018年の数字だが、輸出によって国庫にもたらされる歳入のうち、合法および非合法の再輸出に由来する歳入の比率は、ベラルーシでは約4分の1、カザフスタンでは20%強、キルギスでは3分の1にも上っているのである。


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 本日発売の雑誌『世界』の2020年10月号に、「『ルカシェンコ94 』をアンインストールせよ ―ベラルーシ民主派の悲壮な戦い」を寄稿しました。

 月刊誌なので、リアルタイム分析というわけにはなかなか行かないですが、今日の事態に至る背景、その焦点などについて、全体像を論じました。


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 GLOBE+に、「ベラルーシの民主化を牽引する地域は? ウクライナとの比較考察」を寄稿しました。

 本連載でこのところずっと取り上げているベラルーシ情勢は、どうも憂慮すべき方向に進んでいるようです。ロシアの全面バックアップを受け、ルカシェンコの恐怖政治が当面延命されるという見通しが強まってきました。

 依然として事態は流動的であり、目先の情勢分析などはすぐに陳腐化してしまいそうです。そこで今回も、ベラルーシ情勢を理解するための基本的なところについて解説した次第です。この連載では8月25日に「2020年のベラルーシと2014年のウクライナはこんなにも異なる」というコラムをお届けしました。その時には割愛した「地域」という観点から、改めてベラルーシとウクライナを比較してみました。


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 私は個人的に、ルカシェンコの圧政の犠牲となり外国に逃れた人々のことを脱北者ならぬ「脱白者」と呼んでいるのだが、こちらのサイトにベラルーシの10大政治難民という情報が出ていたので、以下のとおり整理しておくことにする。ただし、2012年とだいぶ古い情報である点は悪しからず。いったん脱白してその後ベラルーシに戻った人も含まれている。

  1. Z.ポズニャク:ベラルーシ人民戦線のリーダーで、1994年の大統領選に出馬。1996年8月に米国に亡命。現在はポーランドのワルシャワに住んでいる。
  2. S.ナウムチク:同じくベラルーシ人民戦線のリーダーだった。2012年に米国籍を取得。
  3. S.シャレツキー:最後の最高会議議長だった。最高会議がルカシェンコによって解体された後、その残党は1999年7月にシャレツキーを大統領代行に任命したが、その直後リトアニアへの脱出を余儀なくされ、現在は政治難民として米国で暮らしている。
  4. A.ロマシェフスキー:ベラルーシ・ビール愛好家党の党首だったが、政治的弾圧を受け、1996年にチェコに亡命、現在もチェコで暮らす。
  5. S.アダモヴィチ:詩人だが、1996年に大統領を揶揄する詩を発表して逮捕。2000年に米国に出国し、2002年にはノルウェーに移ったが、2009年にベラルーシに帰国した(その後も弾圧を受けている)。
  6. V.カバンチューク:「若者戦線」の活動家だったが1996年に逮捕、その後も政治団体「クライ」のリーダーを務めたり、大統領選での民主派候補の陣営で働いたりした。2001年にベルギーに逃れ政治難民申請したが、数か月後にベラルーシに戻った。
  7. O.ミニチ:アニメ作家。2005年に大統領を揶揄する作品を発表したかどで訴追され、2006年にドイツに逃れた。
  8. A.ミハレヴィチ:政治団体「近代化のために」のリーダーで、大統領選にも出馬したが、2010年12月に逮捕。2011年3月にチェコに逃れ政治難民認定を受けた。
  9. N.ラジナ:反体制サイト「憲章97」の編集を手掛けていたが、2010年12月に逮捕。2011年3月に国外に逃れ、9月に政治難民認定を受けた。現在も「憲章97」のサイトの仕事をしている。
  10. A.サンニコフ:1995~96年には外務次官だったが、「欧州ベラルーシ」を率いて大統領選に立候補し、2010年12月に逮捕された。2012年に治療のために出国し、その後英国で政治難民認定を受けたことが明らかになった。

 残念ながら、脱白者のリストは、この記事の後の8年間でさらに増えただろうし、ルカシェンコが居座る限り、今後大幅に増えていくだろう。


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 考えたくないが、ベラルーシで、このままルカシェンコが権力の座に居座り、民主化に挫折した若者たちがこの国に絶望した場合、外国に出ていく学生などは増えていくだろう。その形態の一つに、外国の高等教育機関(以下では単に大学と呼ぶ)への留学があるだろう。そこで、現状どうなっているかという情報収集をしたところ、こちらの記事が目に留まった。

 ベラルーシ人学生の留学先としては、ロシアとポーランドが主流のようである。上の図に見るように、2018年の新規入学者を見ると、ベラルーシ国立大は2,122人だったが、ロシアの大学では4,328人、ポーランドの大学では3,686人のベラルーシ人学生が新規入学した。

 ただし、ロシアの大学に在籍しているベラルーシ人学生は、下図に見るとおり、継続的に低下しているということである。2018/19年度は13,216人であった。

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 それとは逆に、ポーランドに留学するベラルーシ人学生は、下図のように増え続けており、2018年現在で7,485人であった。

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 このように、ロシアとポーランドだけで、約2万人のベラルーシ人学生が在学している。一方、2018/19年度に国内の大学で学んでいたベラルーシ人学生は25万2,600人だった。したがって、少なくとも8%程度の学生が外国に留学しているという計算になるということである。

 思ったよりも多くはないという印象だが。

 なお、ポーランドにベラルーシ人が多く押し寄せている事情に関しては、こちらの記事の中で、「ワルシャワにおけるベラルーシの家」という財団のA.ザレムビューク理事長が、解説している。いわく、ベラルーシ社会は26年間のルカシェンコの支配、変化がないことにうんざりしている。その結果、過去3年間、知識層が大挙して国を離れている。ワルシャワにはすでに数万人のベラルーシ人が住んでおり、ウクライナ人に次ぐ勢力となっている。ベラルーシ人留学生の数は2012年から4倍となり、1.2万人に増えた(訳注:上掲の数字とは整合しないが)。ベラルーシの役人たちまでが、子弟をポーランドで学ばせている。ベラルーシの卒業証はあまり役に立たないが、ポーランドのそれは欧州全域で通用する。ベラルーシ人はポーランド語を理解でき、ポーランドは隣接しており、共通の歴史がある。これらのことすべてが、ベラルーシ人を引き付けるのである。


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 むかしあるところに書いた原稿の一部をリサイクルし、私とベラルーシの出会いについて語ってみたいと思います。

 やや私事にわたるが、私とベラルーシという国の出会いについて述べさせていただきたい。私がこの国を初めて訪れたのは、1994年7月のことであった。所属する団体の仕事で、当国の経済事情を調査するのが目的である。ベラルーシ入りする直前、私はモスクワであるロシア人から、最新のニュースを聞かされた。「昨日行われたベラルーシ大統領選挙で、ジリノフスキーのような人が勝ちました。」

 ジリノフスキー氏とは、ロシア自由民主党という極右政党の党首で、そのスキャンダラスな言動はたびたび内外のマスコミを騒がせている。日本で言えばさしづめ……。まあ、言わぬが華だろうか。ただ、ロシア政界でジリノフスキー氏はあくまでも個性派の名脇役といったところであり、現実に政権の座に近付いたことは一度もない。「ジリノフスキーのような人」が本当に大統領になってしまうとは、一体どんな国なのだろうか。私は、まだ見ぬベラルーシに思いを馳せた。

 ところが、実際に行ってみると、季節が良かったこともあって、ベラルーシは平和そのものであった。とても、怖い大統領を選出したばかりの国とは思えない。ちなみに、その怖い大統領はルカシェンコ氏といって、のちに「欧州最後の独裁者」と呼び称されるようになるのだが、その時はまだ国際社会も、私自身も、彼のことをよく知らずにいたのだ。

 初めてのベラルーシで一番驚いたのは、その紙幣である。一応、独自通貨らしきものがすでに導入されていたのだが、子供銀行のお札のようで、デザインには偉人ではなく、何と動物の絵が用いられていた。それに、実際に支払をしようとしたところ、計算がまるで合わない。よく話を聞いてみると、インフレが激しいので、「各紙幣にゼロをひとつ足して読むことにしている」と言うではないか。日本の生真面目な経済専門家3名は、どうすればそんな荒っぽい通貨政策が可能なのかと、ひたすら首をかしげていたのである。

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 「それにしても、何だかよく分からない国だなあ」。夕食前のひととき、私はホテル・プラネータの窓から、首都ミンスクのどこか間延びしたような風景を眺めていた。緯度の高い当国のこと、外はまだ昼間のような明るさである。いくら勤務先の事業対象国の一つであるとはいえ、そんなに何度も来るような国ではない。この風景を目に焼き付けておこうと思った。

 旧ソ連のホテルではだいたい、部屋の壁に昔風のラジオが据え付けられている。それが目に止まったので、何の気なしにスイッチを入れてみた。すると、不意に力強い合唱が耳に飛び込んできた。どうやら、ベラルーシの民謡のようだ。それは、今まで聴いたこともない旋律であり、響きであった。私の知っているロシア民謡とは明らかに異質のものだ。まるで大地から湧き上がってくるようなその歌声を聴いたとたん、窓外の景色すら違って見えてきたから不思議である。

 それから4年後の1998年春、私は在ベラルーシ日本大使館の専門調査員として働くことになった。大使館とホテル・プラネータは隣り合っているので、「目に焼き付けた」はずの風景を、それから3年間も毎日見て暮らすはめになったのである。2001年に日本に帰国して以降も、何度かベラルーシを訪れ、今や同国についての著作なども発表する身になった。


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 ロシアにしても、ベラルーシにしても、長期政権の弊害は大きいと痛感するわけである。個人的に、日本の政治にもうんざりした思いしかないが、まだしも、安倍氏には潮時を悟る理性は残っていたし、トップが去れば、何人かの人間は早速、後継に名乗りを上げたりもする。国民は置いてきぼりながら、政治の上層部では一応は競争的な関係も機能している。

 それに対し、たとえばベラルーシ。独立して30年近く経つのに、いまだに本物の政治家はルカシェンコ一人といった様相である。ベラルーシを研究している私ですら、首相の名前がとっさに出てこなかったりする。もちろんこれは、ルカシェンコが自分を脅かすような存在が台頭しないよう、周到に人事をローテーションし、また野党リーダーはことごとく潰してきたからなわけだが。逆に言えば、今日のベラルーシの民主化運動は、カリスマ的なリーダーもいないのに、市民が自発的に立ち上がっている側面が強く、感心させられる。

 さて、ロシアのレヴァダ・センターが、こちらに見るとおり、もしも近々大統領選挙があったら誰に入れようと思うかという全国調査を実施したので、今回はそれを見てみたい。結果の表を日本語にしたのが上掲の表である。

 やはり、プーチンの他には、これといった名前が挙がってこないのだ。ジリノフスキー、ジュガノフなどは、プーチン登場のはるか前の1990年代からずっとロシア政治の名脇役を務めており(前回大統領選ではジュガノフに代わりグルジニンが共産党を代表して出馬したが)、それ自体は大したものだと思うが、いかんせん新味は乏しい。

 明確な反プーチン派としては、ナヴァリヌィ氏が3位に食い込んでいるものの、その支持率は最新の2020年8月の時点でわずか2%。なお、8月の調査は20~26日に実施された由であり、20日に発生した毒殺未遂事件が結果に影響しているかどうかは微妙なところである。


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 最近のベラルーシ研究で困るのは、過去4年ほど、まともな世論調査が実施できなくなり、ベラルーシの人々の心持ちが実際のところどうなのかというのを、客観的に知る手立てがなくなってしまったことだ。

 そうした中、昨年、ロシアのモスクワ国際関係大学の研究者らが、ベラルーシ国民の対ロシア統合に関する意識を調査しており、これなどはかなり貴重な調査結果ということになる(ただ、7,000以上の電話をかけてようやく500の回答を得たということであり、いくら何でも回収率が悪すぎはしないだろうか?)。ざっと検索した限り、調査結果の全貌を記したレポートなどは見当たらなかったが、こちらの論考などは比較的まとまっている。

 この調査で、回答者たちがどのようなロシアとの関係を望んでいるかを問うたところ、57.6%が「連合関係」、31.8%が「パートナー関係」、10.2%が「中立的関係」、0.2%が「敵対的関係」を望んでいるという結果となった(0.2%が回答困難)。

 それで、興味深いのは、この設問の地域別回答状況である。調査結果が全面的に開示されていないのが惜しいが、最も緊密な「連合関係」を望んでいるという回答者は、地域別に以下のとおりであった。多い順に並べる。

  • ゴメリ州:69.0%
  • ブレスト州:66.7%
  • グロドノ州:62.0%
  • モギリョフ州:56.4%
  • ヴィテプスク州:56.3%
  • ミンスク州:54.2%
  • ミンスク市:38.9%

 これはなかなか衝撃的なデータである。EUに隣接している西のブレスト州やグロドノ州で、対ロシア統合へのかなり高い支持があるという結果となっている。逆に、ロシアと隣接したヴィテプスク州、モギリョフ州の数字は、全国平均より低い。結局のところ、ベラルーシにおいてはウクライナのような東西による地政学的選好の違いは見られず、首都ミンスクVS地方という差しかないのだというのが、この調査の結論となっている。

 もちろん、回収率が異常に低かった調査であり、ロシア側の研究者グループが実施したものなので、バイアスが発生した可能性については留意すべきだろう。ちなみに、こちらに見るとおり、本件調査に関し、ベラルーシ科学アカデミー社会学研究所は、「モスクワ国際関係大学は、対ロシア統合に関するベラルーシ国民の意識を調査する権利はない」と批判した(いや、あるだろ)。


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 ロシア国民のプーチンに対する支持率の動向を見るために、個人的によく使うのが、レヴァダ・センターの調査データである。「貴方はプーチンの仕事振りをどう評価しているか」という設問への回答状況であり、いわゆる支持率というのとはちょっと違うとは思うが、レヴァダ・センターという信頼性の高い機関の数字であり、長期継続的な数字が月ベースで得られるので、重宝している。ここでは単純に「支持率」と呼ぶことにする。

 それで、最新の8月の調査結果までが出ているのだが、上のグラフに見るとおり、8月の支持率が随分と回復していたことが判明した。コロナ危機やプーチンの任期初期化で、だいぶ民心が離れていた様子だったが、4月59%、5月59%、6月60%、7月60%と推移したあと、8月には66%まで回復したのである。誤差というには、大きい変化だ。

 8月の出来事で、思い当たる点としては、ベラルーシ情勢が挙げられるだろう。個人的には、ハバロフスクの反政府デモから、ベラルーシの反ルカシェンコ運動へと続き、ロシア国民のプーチン体制への造反的なムードがより一層強まることがあるのかなと、注目していた。

 しかし、もしかしたら、ベラルーシ情勢はロシア社会に、別の作用を及ぼす可能性もあるのかもしれない。ロシア国民の多数派は、2014年にウクライナで親欧米的な方向性の政変が起きたことことに危機感を抱き、プーチンがクリミア併合という形でリベンジすると、それに拍手喝采を送った。愛国主義を背景に、プーチン支持率はかつてなく高まった。それと同じように、ロシア国民が今般のベラルーシ国民の反ルカシェンコ運動を、親欧米/反ロシア的なものだというステレオタイプで見ているとしたら(実際には反ロシア的なものではないわけだが)、またぞろロシアの愛国主義が高まり、結果的にプーチン支持率が上がるという、そんな作用もあるのかもしれない。


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 GLOBE+に、「ベラルーシの農村にルカシェンコ独裁のルーツを見た」を寄稿しました。

 ベラルーシでは、ルカシェンコ「自称」大統領が権力の座に居座っており、情勢は膠着したままです。ですので、今回も、目先の情勢分析というよりは、そもそもルカシェンコ体制はどのような存在なのかということを解説してみました。今回のキーワードは、「農村」です。ルカシェンコという人物が、どのように形成されたかを理解するためにも、農村という視点が欠かせません。問題は、ルカシェンコの世界観が、ベラルーシの国営農場でワンマン支配人をしていたソ連時代から、何ら進歩していないという点です。


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 ベラルーシが、EUとの政治関係は疎遠ながら、同国の重要輸出品である石油製品、肥料を輸出する上で、実はEU圏のバルト三国の港を活用しているということについては、当ブログのこちらこちらのエントリーで触れたことがあった。また、今年出た『リトアニアを知るための60章』に私が寄稿したベラルーシ・リトアニア関係の章の中でも、ベラルーシがリトアニアのクライペーダ港を活用している点に言及していた。

 それで、今般のベラルーシ情勢から派生して、案の定と言うべき事態となった。EUが対ベラルーシ制裁を準備していることに対抗し、ルカシェンコが「リトアニアの港を使わないぞ」と脅し始めたのである。こちらこちらの記事が伝えている。

 記事によると、ルカシェンコは8月28日の企業訪問の折に、次のように発言した。私は貿易の流れをリトアニアの港から他の港にシフトすることを立案するよう、政府に指示をした。そうなったら、連中の生活がどうなるか、見ものだ。リトアニアの予算の30%は、リトアニアを経由する我が国の貨物の収入から成っている。制裁というのがどんなものか、彼らに見せてやろう。ポーランドやリトアニアが、中国やロシアとやり取りをするのに、これまでは我が国を経由していたが、今後は飛行機で飛ぶか、バルト海、黒海経由でやる必要がある。ベラルーシはこれまでも制裁に直面してきたが、それでも生き残り、今も生きている。ルカシェンコはこのように発言した。

 なお、ルカシェンコが言っている、リトアニアの予算の30%は、リトアニアを経由する我が国の貨物の収入から成っているというのは、いくら何でも事実に反すると思われ、クライペーダ港(そしておそらくリトアニア鉄道も)の貨物の30%がベラルーシの貨物という話にすぎないはずである。

 上掲記事によれば、ルカシェンコ発言につきリトアニアのスクヴェルネリス首相は、リトアニアの港を使うのをやめれば、まず何よりベラルーシ自身にとっての打撃となるだろうとコメントした。また、リトアニアの運輸・通信相も、ベラルーシには輸出貨物のルートを変更できる可能性はない、ラトビア経由もサンクトペテルブルグ経由も不可能だと指摘した。


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 本日8月30日は、ベラルーシの「自称」大統領、アレクサンドル・ルカシェンコ氏の誕生日である。1954年8月30日生まれだから、66歳ということになる。ちなみに、溺愛する末っ子のニコライは、明日8月31日が16歳の誕生日だ。ルカ氏が50歳になった次の日にニコライが生まれ、最高のプレゼントなどと言われたが、欧州最後の独裁者の権力をもってしても、誕生日を完全に合わせることはできなかったか。

 大昔の話だが、ロシア『セヴォードニャ』紙の1998年7月27日号に、「アレクサンドル・ルカシェンコ:行間から読むその経歴」と題する同氏に関する評伝が掲載されたことがある(S.アニシコ記者署名)。私はこれを抄訳して自分のHPで紹介していたのだが、ベラルーシ情勢が緊迫する中でルカシェンコが誕生日を迎えたということで、これを復刻して以下のとおりお目にかけることにしたい。

 文明社会では、国家指導者の私生活に関する情報がマスコミにしばしば登場するのが、当たり前のようになっている。指導者の私生活が骨抜きの形で紹介されたり、美化されたり、あるいはこのテーマがタブーとされるのは、権威主義国家においてだけである。

 この点において、ベラルーシの1,000万国民は、明らかに恵まれていなかった。ルカシェンコ大統領の私生活は、ある種「空白地点」となってきたからである。最近刊行され、件のスイスにおける経済フォーラムでプレゼンテーションが行われるはずだった大統領の著書『ベラルーシの明日』も、この点に関し十分な説明を与えていない。同著では、ショーロホフ賞受賞者であるルカシェンコの大統領選出に至る足跡について、「生まれ、学び、働いた」といった、きわめて簡略な調子でしか語られていない。

 ルカシェンコ自身認めているように、彼の生い立ちは恵まれたものではなかった。モギリョフ州にある、現在はすっかり荒廃した農村に1954年に生まれ、すぐにヴィテプスク州オルシャ地区に母とともに移り住んだ。この地で母は、亜麻加工工場の職に就き、わずかな現物支給しか得られなかったコルホーズ時代とは異なり、なんとかやりくりすることができるようになった。最近ルカシェンコは、「今日の主人公 -ネクタイなしで―」(訳注:ロシアNTVのインタビュー番組)で、「私は動物と植物に囲まれて育った」と語っている。ルカシェンコの父親については、ジプシー系であるとの噂がたびたび蒸し返される以外は、何も知られていない。

 それでも母親は、ルカシェンコが教育を受けられるよう、最善を尽くした。中等教育を終えたルカシェンコは、モギリョフ教育大学・歴史学部に入学した。ルカシェンコのことを憶えている教師たちは、ルカシェンコは勉強がうまくいかなかったため、彼特有のがむしゃらさをみせたと証言している。とはいえ、当時からルカシェンコは、立身出世は学校の成績だけで決まるわけではないことを理解していたようだ。その証拠に、コムソモール(共産主義青年同盟)のリーダーを務め、当時の若者に蔓延していた「否定的現象」と断固として戦い、また学生新聞を編集するなど、学園の社会活動に熱心に参加した。アマチュア演奏会があれば、ルカシェンコは必ずバヤン(訳注:ロシアの大型手風琴)で独奏を披露した。今日ルカシェンコは、自由時間の大半をスポーツに費やしているが、彼がスポーツに熱中するようになったのも、まさに母校のキャンパスにおいてであった。

 奇妙なことに、モギリョフ教育大を卒業してから軍隊に徴兵されるまでの期間が、ルカシェンコのバイオグラフィーからはぽっかりと抜け落ちている。ルカシェンコは、ブレストの国境警備隊駐屯地の模擬部隊(訳注:実戦には携わらないデモンストレーション用の部隊)における兵役を、忠実に果たし終えた。この時代の国境警備兵としてのルカシェンコのことを憶えている者が一人もいないにもかかわらず、現在の国境警備隊司令部は、ブレストの駐屯地にルカシェンコの名前を冠することを提案した。もっとも、これにはルカシェンコの側から強いクレームがついた。

 軍服を脱いだルカシェンコは、モギリョフ州シクロフ地区に転じ、そこで「知識普及協会」(訳注:冷戦期に公式イデオロギーを庶民に叩き込むためにつくられた組織)の講師の職に就いた。まさにこの時期、搾乳婦や農機工を前に演説し、国内の食料不足は他ならぬ帝国主義者がもたらしたものであると詭弁をふるうことにより、ルカシェンコは弁舌家としての実地訓練を積んだのであろう。「シクヴァルカがあれば酒はつきもの」、「私はベラルーシを文明社会には導かない」、「夏は肉をあまり食べないようにしよう」といったルカシェンコの有名な決まり文句も、この時身につけた可能性が高い。

 しばらく後にルカシェンコは再徴集され、シャバでの生活は短いものに終わった。今度は実戦部隊の仕事で、ミンスクに分宿する第120近衛自動車化狙撃師団の政治部長代理がその職務だった。もっとも、一説によれば、知識普及協会の講師を辞めてから政治部長代理になるまでの間に、ルカシェンコはモギリョフ州の矯正労働施設のひとつで、物資供給係として働いていたとも言われている。別の説によれば、ルカシェンコが矯正労働施設にいたのは、政治部長代理を務めた後のことであるという。しかしながら、当然のことではあるが、ルカシェンコの経歴におけるこの1ページは、闇に葬られている。

 ソ連共産党に所属していたこと、軍での考課表が良かったこと、知識普及協会の職員として地区党委員会の書記の目に常にとまっていたこと、講師の仕事では裕福になれそうもないと本人が悟ったことにより、その後のルカシェンコの歩みが決定付けられた。ルカシェンコはゴリキ農業アカデミーの通信科で勉強し、それを修了すると、モギリョフ州シクロフ地区のソフホーズ(訳注:ソ連式の大型国営農場)「ゴロデツ」の支配人に就任したのである。

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 この農場は、ソ連時代においてさえも先進的なものとは言い難かったが、同地区のランキングにおいては「しっかりとした中農」に数えられていた。支配人ルカシェンコは、訪れる客人に対してはもてなし上手として知られる一方、農民に対しては「頑固オヤジ」として振る舞った。まさにこの時ルカシェンコは、地方レベルで、腐敗との闘争を開始したのである。こそ泥を働いたり、飲みすぎたり、その他の悪さをした農民たちは、容赦なく処罰された。若き支配人自らが鉄拳制裁を加えることもあった。この点は、後の大統領選挙の際に敵陣営が突こうとしたが、うまくいかなかった。

 ルカシェンコは、1989年の共和国最高会議選挙(訳注:ソ連史上初めての実質的な自由選挙)の時にはすでに、共産党が破綻すること、このままでは自分が出世できる見込みがないことを悟っていたに違いない。その証拠に、ルカシェンコは議員への転身を決め、選挙戦では共産党候補に汚名を着せて激しい攻撃を加えた。共産党候補の側も、ソフホーズ支配人を中傷するためにあらゆる手段を使ったが、例によって不器用なやり方だったため、地区有権者の目には、かえってルカシェンコが正義のための闘士であり、人民に成り代わる受難者であるように映った。結局、ルカシェンコはやすやすと勝利を収め、ソフホーズの支配人室から居心地の良い議員宿舎へと移った。

 議員時代のルカシェンコの活躍は、ベラルーシ社会に広く知られている。ルカシェンコは何よりも、私腹を肥やした政権関係者に対する追及で名をあげた。それゆえにルカシェンコは、ベラルーシ初の大統領選挙(1994年)の直前に、議会に設けられた汚職追放特別委員会の議長の座に収まったのである。ルカシェンコの汚職追及は大抵の場合、どうでもいいような事実に対してであったり、具体的な証拠のない嫌疑についてであったりしたのだが、当時そのようなことを深く考える者はほとんどいなかった。

 しかし、「正義のために闘う闘士」というルカシェンコのイメージは、もはやシクロフ地区だけのものではなく全国に広がり、そのことが大統領選において大きな役割を果たした。しかもルカシェンコは、「止まっている工場を半年で動かしてみせる」(実際、「動かした」)、「1年で汚職を成敗する」、「全国民にちゃんとした生活を保証する」(現在ベラルーシにおける平均月給は20ドル)と、公約を乱発した。ルカシェンコ自身は、自分が大統領選で勝てたのは「教師たちと、医者たちと、軍人たち」のおかげだとうそぶいていたが、実際には同氏の勝利にはKGBが少なからぬ貢献をしたと噂されている。KGBの組織内で、ケーズ将軍を指導者とするルカシェンコ支援グループが結成されたと言われている。武器輸出関連のスキャンダルをはじめ、ライバル候補の否定的な過去に関する資料や、彼らが次に何をするという情報をルカシェンコに提供したのは、まさに彼らだったということである。ちなみに、その後ケーズ氏は安全保障会議国家副書記のポストを与えられたが、すぐに首を切られた。

 かつてルカシェンコ大統領の忠実な側近だった者のうち何人かは、ゴンチャル副首相やフェドゥータ社会・政治情報局長のように、自らの意思でルカシェンコと袂を分かった。それよりもっと多いのは、かつての側近がルカシェンコの政策路線の無謀さを悟り、ルカシェンコに公に異議を唱えて遠ざけられるというパターンである。チギリ元首相は、最高会議の解体に反対した結果、経済破綻の責任をとらされる形で解任された。ザハレンコ元内相は勇敢にも、大統領の政敵に対する汚い弾圧のやり方に反対したため、更迭された。カピタン検事総長、チヒニャ憲法裁長官といった人たちも、同様の末路を辿った。冒険主義的な財政・金融政策に反対して解任されたヴィンニコワ元中央銀行総裁は、1年半にもわたって訴追を受けている。

 ルカシェンコの個人生活は、社会から厳重に隠されている。ルカシェンコ自身も、外国のマスコミにこのことを聞かれると、黙って何も答えないか、「政治と家族は別だ」と答えることにしている。

 分かっているのは、ルカシェンコの妻ガリーナ・ロジオノヴナ・ルカシェンコは、夫が大統領の座にあった過去4年間、「ドロズドィ」の大統領公邸に定住するに至っていないという点である。ガリーナは随分長い間、シクロフ地区のルィシコヴィチ村に住み続け、幼稚園の園長として働くかたわら、豚1匹、鶏少々、雌牛1頭(名前は「ミルカ」)のいる自家農園を営んでいた。最初のうちこそ彼女は、自分のところに押しかけるマスコミの質問に答えていたが、ある時「夫はひとところに2年以上とどまったことはありません」と口をすべらせてしまってから、マスコミがベラルーシのファーストレディーに接触するのは不可能になった。

 1997年にガリーナはシクロフ地区執行委員会に移り、そこで保養施設における療養のための優待券を配分する仕事をしている。ミンスクには時々、子供に会いにくるだけである。ガリーナは、チギリ元首相の妻を除いて、政権高官の妻たちとは一切交際していなかったが、チギリ氏がモスクワに飛ばされてからは、その唯一の交際も途絶えた。注目すべきことに、ガリーナは夫の外遊に一切同行しないだけでなく、外国の元首が妻を伴ってベラルーシに到着する際にも、一度も出迎えに加わったことがない。

 ルカシェンコの家族の肖像には、2人の息子、長男ヴィクトルと次男ドミトリーが加わる。ルカシェンコは、2人の息子を厳しく育ててきた。学業に励ませ、経験豊かな家庭教師をあてがい、海外の経験も積ませた。長男ヴィクトルは今年ベラルーシ国立大学の国際関係学部を卒業し、外交官としてのキャリアを開始することになっている(訳注:ヴィクトルについては、近々在スイス・ベラルーシ大使館に配属されるのではという観測があったが、8月7日にルカシェンコは、息子を特別扱いするようなことはせず、2年間の兵役に就かせる旨発言している)。もっともヴィクトルは最近、その無鉄砲な素行により、ミンスクの上流社会において注目される存在となった。というのも、先日ミンスクのナイトクラブ「マックス・ショー」において発砲事件があり、ベラルーシのホッケー・チームのコーチであるザハロフ氏と警備係1名が負傷したが、撃ったのはヴィクトルその人であるとささやかれているのである。一方、次男のドミトリーもやはりベラルーシ国立大・国際関係学部の2年生に上がったところだが、次男坊については取り立てて目立ったところはない。唯一話題になったのは、ベラルーシ国立大の入学試験で誰もその姿を見かけなかったという点と、進級試験の際にベラルーシ語のテストでかなり苦労をしたという話ぐらいである。もっとも、最後の点は驚くには値しない。なぜなら、父親のルカシェンコ自身、いわゆる「トラシャンカ」、すなわちベラルーシ語、ロシア語、ウクライナ語、ポーランド語がチャンポンになった言葉を話しているからである。


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20200829ru

 HP更新しました。マンスリーエッセイ「スヴェトラーナ先生はいま何を思う」です。


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 2020年ベラルーシ大統領選とちょうど重なるような、奇妙なタイミングで試験運転を開始しようとしているベラルーシ原発(同国初の原発)。こちらのサイトに、それに関する図解資料が出ていた。フェイクニュースの巣窟であるベラルーシ国営ベルタ通信のコンテンツではあるが、原発についての公式情報としては一応使えるはずなので、チェックしておくことにする。以下、主要な点を箇条書きしておく。

  • 建設は2011年7月に始まった。
  • 発電能力は最大2,400MW。国内の電力需要の30%以上を賄える。
  • 年間45億立米の天然ガス消費に取って代わることができる。
  • 温室効果ガスの排出を年間700万t以上削減できる。
  • 2,500人分の新たな雇用を生む。

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 GLOBE+に、「2020年のベラルーシと2014年のウクライナはこんなにも異なる」を寄稿しました。

 実を言うと、ベラルーシとウクライナのそれぞれで、東西のコントラストがどう違うかというところまで書きたかったんですけど、長くなりすぎるので、割愛しました。そのテーマについては、また他日を期したいと思います。


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 ベラルーシでルカシェンコの権力居座りに反対する動きが労働者層にも広がり、各企業でスト発生の動きが伝えられていることは、周知のとおりである。情報を整理するために、こんなグラフを作ってみた。ベラルーシで雇用者数が大きい30企業を取り上げ(グラフ中の数字が雇用者数を示す)、抗議行動やストライキの発生が確認できたところを赤、そうでないところを青く示したものである。

 なお、抗議行動やスト発生と言っても、労働者全員が職場放棄しているようなところもあるだろうし、逆に小規模な抗議行動が起きても経営側や当局の封じ込めにあっているところなど、状況や程度は様々だと思うが、その確認は難しいので、とりあえず何らかの情報が出たところはすべて赤にした。

 ちなみに、雇用者数の数字は、財務省が発表している株式会社の財務情報からとっているのだが、このデータが得られるのは2015年が最後である。私は、2016年以降、ベラルーシ企業の財務が軒並み悪化し、あまりの惨状に財務省が数字を発表できなくなったと解釈しているのだが、どうだろうか。

 それにしても、ほぼ真っ赤なグラフが出来上がった。今回の労働者の反乱では、これまでベラルーシ経済の代名詞となり、どちらかと言えばルカシェンコ経済体制の恩恵を受けていたような名門企業ほど、職員たちが決然と立ち上がっている点が特徴だと思う。最大の雇用を誇るMAZなど、ルカシェンコの保護がなければ、とっくの昔に廃墟になるか、大リストラが生じていたかもしれないのだが……。それだけ、今のベラルーシでは、個別の利害を超越して、ルカシェンコの暴政はもう許せないという空気が広がったということだろう。散々企業を守ってきたつもりのルカシェンコとしては「裏切られた」という思いであろう。


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