ロシア・ウクライナ・ベラルーシ探訪 服部倫卓ブログ

ロシア・ウクライナ・ベラルーシを中心とした旧ソ連諸国の経済・政治情報をお届け。

カテゴリ: ベラルーシ

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 こちらの記事が、ベラルーシが主力のカリ肥料輸出を思うようにできなくなり、財政が窮地に陥っているということを論じているので、以下要旨をまとめておく。

 EUは2021年にベラルーシのカリ肥料を輸入禁止としたが、それは一部品目だけだった。ノルウェーのYara社は、ベラルーシカリ社の製品10~15%を買い上げて世界市場に転売していたが、同社が世論に押されてようやくその取引を停止したのは今年の初めだった。

 しかし、ここに来てようやく、ベラルーシのカリ輸出は大きな障害に直面している。従来、リトアニアのクライペーダ港がベラルーシ産カリの大部分を積み出していたが、リトアニアはその業務を拒絶した。ルカシェンコ体制は、難民騒動などで近隣諸国との敵対政策を採ってきたわけだが、プランBはないことが判明した。他方、ウクライナ当局はオデーサ港での積出を拒否し、ロシアの港にはキャパシティに余裕がなかった。

 戦争が始まると、EUはベラルーシからのカリのトランジット輸送を禁止し、米財務省は販社であるベラルーシカリ会社を制裁リストに加えるなど、その姿勢を鮮明にした。

 ベラルーシのゴロフチェンコ首相は6月3日、ベラルーシ産のカリはアフリカ、南米、中国などのアジアにシフトしており、自然発生的な輸出多角化が生じていると発言。ルカシェンコは6月17日、今年カリの輸出量は減るかもしれないが価格が上昇しているので金額面での喪失はないと強調した。だが、実際はどうだろうか?

 EUと米国の新たな制裁を受け、3月にルカシェンコはカリ輸出に関する大統領令に署名したが、うち2項目は機密扱いとなった。その後、ルカシェンコは武器輸出公団ベルスペツヴネシテフニカのA.スクラガ総裁をベラルーシカリ会社の新社長に任命、どうにかして制裁を回避したいとの思いをのぞかせた。

 それ以降、輸出実績は機密扱いとなっている。しかし、断片的な情報から、激減したことは間違いない。ベラルーシ産のカリはブラジル、インド、中国などが主な販路だが、その輸出はどうなっているだろうか。

 5月にベラルーシの駐ブラジル大使は地元紙に、双方が供給再開に向けて努力していると述べた。

 2月に報じられたところによると、インドは、ベラルーシが具体的な輸出ルートを明示するまで、輸入契約にサインしようとしなかったという。その後、本件の合意は伝えられていない。

 7月になりベラルーシの駐中国大使が、ベラルーシの対中国輸出に占める資源の比率が減り、カリ肥料が35%、食料品およびその他の商品が65%になっていると発言したが、それがどの期間のデータ化は明らかにせず、2月以降も中国向け肥料輸出が続けられているかは不明のままである。以前は中国向け輸出のかなりの部分がカリ肥料であった。

 リトアニアにトランジットを阻まれたベラルーシ当局は、あわててロシア指導部に輸出の支援を要請した。サンクトペテルブルグの近くにベラルーシの港を作る構想が浮上したが、完成には少なくとも数年、数億ドルを要し、資金源は不明である。

 ベラルーシカリは、輸出激減を受け、鉱山の改修作業に着手した。これがベラルーシの財政にどう影響するだろうか。

 1ヵ月ほど前、ベラルーシのテレビは、ベラルーシがロシアの港を通じたカリ積出を開始したと報じた。ただ、2023年末までに200万tを積み出す契約とされたものの、制裁前にベラルーシは年間1,100万~1,200万tを輸出していたのである。また、コメルサント紙によると、ベラルーシはロシアの港からカリを輸出する際に、国際価格から30~50%値引きして輸出しているという。

 その間に、ライバルたちはベラルーシのシェアを奪っており、それにはロシアも含まれる。EUはロシア産品の輸送への制裁で肥料を例外とし、米国もロシア産肥料のオペレーションについては制限を撤廃するライセンスを発給している。プーチンもブラジル大統領との電話会談で、「ブラジルの農家にロシアの肥料を途切れることなく供給する義務を果たすことを約束する」と確約した。

 2018~2020年の好調時には、ベラルーシカリは財政に年10億ドル以上を納入していた。最大の項目は輸出関税の7億ドルで、それは共和国予算に納入された。利潤税の支払いも約1億ドルに上り、これは主にミンスク州の地方財政に納入された。

 好調時のこの納税額はGDPの1.7%に相当する。統合財政はGDPの30%程度である。つまり、ベラルーシカリの直接的な納税が、統合財政歳入の5.7%ほどを占めていた。職員の所得税、取引相手との関係なども考慮すると、ベラルーシカリはがもたらす納税は少なくともGDPの2.5%、統合財政の8.3%に上った。また、ベラルーシカリ職員の賃金は平均よりも高く、「国民社会保護基金」への貢献も見逃せない。

 今日、唯一確かなことは、ベラルーシカリの財政への貢献が大幅に低下していることだ。しかし、規模はどの程度なのか、すでに深刻な予算上の問題が生じているのか、統計の隠蔽により、それらを知ることはできない。


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 最近ロシアやウクライナのことが忙しくてベラルーシのことを追えていなかったが、同国が直面している難局が解決したわけではない。とりわけ、「連合国家」という枠組みを通じてベラルーシ支配を強化しようとしているプーチン・ロシアとの関係はどうなるのか? こちらの記事に出ている、ベラルーシの政治評論家P.ウソフ氏の見解を以下のとおりまとめておく。

 「連合国家」を通じたロシアの目的は最初から、完全な政治支配の確立、ロシアが主導権を握る超国家機関の創設、より深く構造化された政治組織を形成することである。つまり、ソ連時代の統治方式の要素への回帰である。経済統合に主眼はなく、支配の結果にすぎない。

 ロシアの優先課題は、旧ソ連諸国への戦略的影響力を確立することであり、この目標を達成する上で、経済はそれほど重要な意味を持たない。モスクワが主導権を握るので、ベラルーシは非常に不利な立場に立たされている。

 ロシアの全地政学的パワーはウクライナ戦争に集中しているが、それが終われば、クレムリンは次にベラルーシをどうするか決めるだろう。ベラルーシはロシアが戦争を始めるための踏み台として機能しているのだから、統合プロセスや対等性を語るのは馬鹿げている。

 2月24日の開戦後も、ベラルーシ・ロシア関係に本質的な変化はない。形式的にも、新しい文書への署名などがないので、同様である。クレムリンの目的は、ベラルーシを戦略的資源として利用することである。この点では、連合国家の本質と内容は変化している。一方では、ベラルーシはロシアの文化的、情報的課題に支配された植民地として認識されるようになった。他方では、ベラルーシは戦略的資源と認識されるようになり、ベラルーシの主権・国益を損なう形で利用されている。

 ベラルーシは、以前のルカシェンコ体制では政治主体だったが、それが、ロシアの政治的意思を推進するための単なる客体へと変質している。ベラルーシの主体性はなく、ロシアの利益がベラルーシに押し付けられるのみである。

 「国民投票を実施してベラルーシをロシア連邦に組み入れよう」という、馬鹿げた、しかし至極もっともな発言が頻繁に聞かれるようになった。ロシア下院のトルストイ議員はすでにそう明言しており、今後そうした提案はどんどん増えていくだろう。乗っ取りと領土奪取のプロセスが始まる。

 ロシアがとりうるアプローチは、2つ考えられる。第1に、ソ連をモデルとして「連合国家」を創設し、そこに他の非承認国家を加えることである。しかし、このプロセスには抵抗が伴う。カザフスタンのトカエフ大統領も、自称ドネツクおよびルガンスク人民共和国の承認を拒否した。

 そして、第2の帝国的シナリオも考えられる。住民投票などの正式な手続きを踏まずとも、押さえるべきものはすべて吸収し、ロシアに併合するというものである。今ウクライナで進んでいるように、領土を奪い、拡大し、国家を破壊することである。ロシアは「ウクライナ問題」を解決しており、「カザフ問題」が焦点になってくる。

 ベラルーシにとっては、どちらのシナリオも、ベラルーシという国家が破壊され、ロシアの植民地状態に陥ることを意味し、悲劇的である。このような脅威は、ロシアが地政学的な存在として滅びでもしない限り、存在し続けるだろう。

 そして、ルカシェンコはクレムリンに対抗する術を持たない。このような状況で、モスクワと距離を置こうとすれば、ルカシェンコは引きずり降ろされる。


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 ロシアが自分で貿易統計を発表しなくなったので、困ったものだが、かくなる上は、貿易相手国側の数字から埋めていくしかない。

 こちらの記事で、主要国による4月までの月別対ロシア輸出額という数字が出ていたので、それを表に整理してみた。中国の圧倒的トップは変わらないが、その中国にしてもさすがにロシアへの輸出を急減させている。そうした中、ベラルーシだけが対ロシア輸出で「健闘」しているという構図である。

 なお、上の表を見ると、日本がロシアにとって第5位の輸入相手国のように思えてしまうが、この資料では米国、イタリア、フランスといった主要国が省略されているので、日本が何位なのかは分からない。

 ロシアの輸入相手国では、1位中国、2位ドイツというのがもう10年以上続いてきたが、下図に見るとおり、直近ではベラルーシがドイツを追い抜いている。

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 最近で一番ビックリした話を披露させていただく。

 ロシアの『エクスペルト』誌を読んでいたら、ウクライナ・ゼレンスキー政権の主要幹部を紹介したくだりがあり、その中でミハイル・ポドリャクという人物が挙げられていた。記事によると、大統領府長官顧問として政権の中核に位置するポドリャク氏は、政治コンサルタントで元ジャーナリストであり、かつてはベラルーシで反体制メディアで働いたこともあって、それゆえにウクライナに追放された。ゼレンスキーの下で頭角を現し、現在では対ロシア和平交渉で枢要な役割を果たしている、とある。

 待てよ、ミハイル・ポドリャク……どこかで聞いたことがあるような。そうか、あの男ではないか。私がベラルーシ駐在時代に、インタビューをし、非常に印象深かったので、そのくだりをエッセイにしたこともある、あの男だ。まさか、あいつが、現在、ウクライナ・ロシア関係の、もっと言えば人類の命運も握っていたとは。なお、当然のことながら先方は私との面談のことなど忘れていると思うが、便宜的に「旧知の人物」というタイトルを付けさせていただいた。

 確かに、和平交渉の一連の写真を改めて見てみたら、そこには確かにポドリャク氏の姿があった。下の写真で握手をしている左側の人間が、ポドリャク氏である。この写真は、ベラルーシを舞台に行われた初期の交渉のはずだが、まさか本人もこんな形でルカシェンコの国に舞い戻ることになるとは、思ってもみなかっただろう。

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 というわけで、2004年に書いたエッセイを以下で再録するので、よかったらご笑覧ください。


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 なんだかんだで、現在までのところルカシェンコのベラルーシは、ロシアの対ウクライナ戦争への参戦を回避し続けている(領土を進撃拠点としてロシア軍に提供したことは看過できないが)。ベラルーシ軍はそれほど規模は大きくないとはいえ、もしベラルーシ軍が合流してロシア軍が厚みを増していたら、キーウ攻防戦の状況も多少変わったかもしれない。

 はっきり言って、「この戦争に加わりたくない」というのは、独裁者ルカシェンコと、ベラルーシの一般国民との、唯一と言っていい共通項だろう。それだけ、「戦争だけは勘弁」という意識が、ベラルーシ国民には染み付いている。

 そのあたりの事情につき、こちらの記事の中で、ロシアとベラルーシの有識者たちがコメントしている。ここではそのうちベラルーシ側の2名のコメントを以下のとおり抄訳しておく。

 G.コルシュノフ(「新思考センター」分析家、ベラルーシ科学アカデミー社会学研究所元所長):ロシアとベラルーシで、大祖国戦争の歴史・記憶が共通だというのは、大きな間違い。「200年の共通の歴史」というのはイデオロギー的には都合が良いが、両国民の歴史観は異なる。ベラルーシ側では、ロシア化の歴史、ベラルーシの土地の征服の歴史として受け取られる。大祖国戦争についての認識も同様である。ロシアの場合は、国土のヨーロッパ部しか戦場にならず、ロシア国民にとっては戦争とは前線+銃後である。一方、ベラルーシ国民にとって戦争とは占領で、死は多くの人にとって現実の脅威であった。ベラルーシ国民にとって戦争とは黒と白ではなく、すべてが黒。それが浮き彫りとなるのが戦勝記念日で、過去5~7年ロシアではそれが勝利の日で、今後も再現可能とイメージされるのに対し、ベラルーシでは「もう二度と繰り返さない」という思いになる。

 A.カザケヴィチ(ベラルーシの政治評論家):ロシア国民にとっての戦争のイメージは、何よりまず精神的高揚、武器、国家の勝利であるのに対し、ベラルーシ国民にとっては、多数の犠牲者、占領、災厄を伴う悲劇である。また、ロシア国民は自国を帝国とイメージし、周辺国に影響力を行使し世界の運命を決める存在だと思っている。ゆえに、ロシア国民は自国が対外的、軍事的な積極策をとることを好感する。過去十数年、国民はジョージア、ウクライナ、シリアでの戦争に反対しておらず、むしろ戦争への反対は屈服と受け止められてきた。また、ロシアでは多くの問題にもかかわらず何だかんだで政権は過半数の有権者をコントロールしており、ゆえに政権の政策への支持が得やすいのに対し、ベラルーシでは政治危機が収束しておらず、政権を支持しているのは3分の1以下である。ロシアでは体制が情報空間をコントロール下に置いているのに対し、ベラルーシでは国営マスコミは25~35%の人にしか見られていない。ベラルーシでも、ロシアのナラティブが浸透はしているが、それでも独立系メディアが力を保っている。


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 何が困ると言って、ベラルーシで世論調査の類がほとんど行われず、民意がどこにあるのかが掴めないのは非常に困る。そうした中、2020年8月の大統領選後、英チャタムハウスが不自由な中でも時々ベラルーシで世論調査らしきものをやってくれているのは、助かる。

 それで、こちらのサイトに見るとおり、ロシアによるウクライナ侵略を受け、チャタムハウスでは3月5~14日にベラルーシ国民896人を対象に本件に関する意識調査を行い、それをベラルーシの社会構造に応じて補正、その結果を発表した。

 色んな設問があるが、やはり一番注目されるのは、ベラルーシ自身がこの紛争に関しどのようなスタンスをとるべきかという問いだろう。その結果を示したのが、上図となる。日本語にすれば、以下のとおりとなっている。対ウクライナ戦争にロシア側に付いて参戦することを支持するのは3%だけとなっている。

  • ロシアの行動を支持するが、ベラルーシ自身は紛争には関与しない:28%
  • 完全な中立を表明し、外国の軍隊はすべてベラルーシから撤収させる:25%
  • ロシアの行動を非難するが、ベラルーシ自身は紛争には関与しない:15%
  • ウクライナを支持するが、ベラルーシ自身は紛争には関与しない:4%
  • ロシア側に付いて紛争に関与する:3%
  • ウクライナを非難するが、ベラルーシ自身は紛争には関与しない:2%
  • ウクライナ側に付いて紛争に関与する:1%
  • 分からない:21%

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 よく予想を外すこの私だけど、「ベラルーシのルカシェンコはロシアからの参戦要求に抵抗を示すだろう」という予想だけは、今のところ当たっている。ただ、クレムリンのこちらのページに見るように(超久し振りにクレムリンのページに接続できた)、昨日ルカシェンコがモスクワを訪問しプーチンと会談した。ここに出ているやりとりによれば、ルカシェンコはロシアのウクライナでの行動を支持し、また集団安保およびユーラシア経済連合の首脳会合を1ヵ月後くらいにモスクワで開いて結束を図ろうと提案した、といったことが話されているが、ベラルーシ軍の参戦については具体的なことが話されたのだろうか?

 そうした中、こちらの日本語記事のコピーで恐縮だが、

 ウクライナ空軍は、ロシアの軍用機が11日、ベラルーシの飛行場から離陸し、ウクライナ領空を通過した後、ベラルーシのコパニを襲撃したとの情報を、国境警備当局が現地時間午後2時30分(日本時間午後9時30分)に入手したと発表した。

 ウクライナ空軍はオンライン声明で「これは挑発行為であり、ベラルーシ共和国軍をウクライナとの紛争に巻き込むことが目的だ」と強く批判。同じ作戦でベラルーシの他の2地域も標的にされたという。

 国境警備当局は声明で「ウクライナ軍はベラルーシ共和国に対する攻撃行為を計画していないし、する予定もないと正式に宣言する」とした。

 要するに、ウクライナ軍機がベラルーシを攻撃したと見せかけて、それへの反撃としてベラルーシを対ウクライナ戦争に参加させよという工作だったわけか。

 深読みすれば、ロシア軍の仕業であることはすぐに分かるはずであり、これはむしろ、関ケ原で徳川家康が小早川秀秋の陣地に大筒を放って参戦を促したように(史実かどうかは知らないが)、ルカシェンコに腹をくくらせるためにベラルーシの村を襲った、なんてことも考えてしまう。

 なお、ベラルーシの地名マニアのこの私だが、コパニ村というのは聞いたことがなかったので、地図で位置を確認してみた。それが上掲画像であり、ゴメリ州レチツァ市の郊外にある。力点は後ろにあって、正確な読み方はコパーニであり、ゆえにベラルーシ語読みではカパーニ。


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 エネルギー自給率がきわめて低いベラルーシだが、実は一定量の石油を産出する(年産170万t程度)。南東部のゴメリ州レチツァあたりに旅行すると、油井の風景が見られ、私も見たことがある。

 それで、従来ベラルーシは、国内で採れた石油を、ほぼ全量ドイツに輸出してきた。国内に製油所があるのに、精製に回さず、原油のまま輸出していたのは、その方が経済的に得だからである。ベラルーシの製油所はロシアのウラルブレンドという重質・重硫黄の原油の精製に特化している。ベラルーシ産はより軽い良質の原油で、国内の製油所にはオーバースペックであり、ドイツに輸出した方が儲かるわけである。なお、ドイツと言っても、具体的にはドイツにあるロシア・ロスネフチ系の会社が買い上げているのであるが。

 ところが、ルカシェンコ体制にとって困ったことに、昨年12月2日に追加されたEUによる経済制裁により、ベラルーシの石油事業を担う国営ベラルーシネフチ社がEU制裁の対象になった。これにより、ベラルーシはドイツに石油が輸出できなくなった。こちらの記事などが、これを受けドイツ社はただちにベラルーシからの石油輸入を停止し、2022年の契約もキャンセルされたと伝えている。

 これによるベラルーシへの打撃については、こちらの記事が詳しい。これによると、ドイツに輸出していた石油を国内の製油所に回すことは技術的には可能である。しかし、それにより7,140万ドルの輸出収入と、1億ドル近い輸出関税収入が失われる。その分、ロシアからの石油輸入を減らすことは可能だ。だが、2020年には、ベラルーシは自国産の高品質石油を1t当たり282ドルで輸出し、ロシアからウラルブレンドを240ドルで輸入、1t当たり42ドル分の利得を得てきたわけだが、今後はそれが失われる。


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 私はしばらく前から、ロシアのプーチン政権がベラルーシのルカシェンコ体制を支える見返りとして、色々な譲歩を引き出そうとするはずであり、その一環として、ロシアが実施している欧米に対する対抗制裁に参加することを求めるのではないかとの予想を示していた。欧米の制裁に対抗して、ロシアは2014年夏以来、欧米からの主要な農産物・食料品の輸入を禁止しているわけだが、ベラルーシがその「抜け穴」となって、欧米産食品がベラルーシ経由でロシアに流入している現実もあり、ロシア側が問題視していた。ただ、ルカシェンコが欧米との関係拡大の夢を捨てきれなかった時期には、ベラルーシ側はロシアの禁輸への同調に抵抗を示していたはずである。

 今般、思わぬ形で、ベラルーシとロシアの足並みが揃うことになった。ベラルーシ自身が、欧米から厳しい制裁を受けるに至り、ベラルーシもそれへの対抗手段をとることとなった。くしくも、ベラルーシが選択したのは、ロシアと同じ食品禁輸だったというわけである。

 くだんの決定は、2021年12月6日付のベラルーシ閣僚会議決定によりなされ、2022年1月1日から施行された。なお、2022年1月27日付のベラルーシ閣僚会議決定により、対象国が2ヵ国(リヒテンシュタイン、セルビア)追加になった。

 そこで、私はロシアの禁輸品目とベラルーシの禁輸品目を整理・比較してみた。その結果、両国の禁輸品目は、細部の差はあれ、ほぼほぼ同じリストということが確認できた。ただ、ベラルーシはロシアと違い魚の輸入は禁止しておらず、これはベラルーシは内陸国の割には魚加工産業が盛んなので(ブレストのサンタブレモール社が代表格)、その利益を守ろうとしたからだろう。逆に、ロシアが禁止していない砂糖菓子、チョコレートをベラルーシが禁止したのは、ついでにコムナルカ、スパルタクといった国内製菓大手の利益を図ろうとしたからだろう。

 というわけで、ベラルーシの食品禁輸には、欧米の制裁に対抗するというのと、プーチン組長に右へ倣えをしたという2つの側面があるのではないか。

 ロシアとベラルーシによる食品禁輸の対象国も比べてみた。それが下表で、まあだいたい同じであり、末尾の色付きで示したところだけが違う。これは、ロシアもベラルーシも、自国に制裁を導入した国への対抗措置として発動しているので、それによって対象国が違ってくるのだろう。セルビアは、ロシアもベラルーシも加盟するユーラシア経済連合とFTAを結んだりしているのだが、ベラルーシ側の禁輸では対象になった。

 肝心な点は、ベラルーシはウクライナを対象に加えなかったことだろう。ベラルーシ・ウクライナは、過去1年ほどで政治的には取り返しがつかないほど敵対してしまったが、経済的にはお互いに依存している部分があり、まだその紐帯が持ちこたえている形である。

 ベラルーシの政府決定によれば、禁輸品目に関しても、特段の事情がある場合には、関税割当制により、欧米からの輸入が限定的に認められるケースもあるようである。

 こちらの記事によれば、2021年1~10月にベラルーシは欧米から5.3億ドルの農産物・食品を輸入し、今後はその大部分が禁止の対象となる。輸入代替生産を奨励し、また友好国からの輸入を図ることで、ベラルーシ国内市場の需給が崩れないよう努めると、ベラルーシ政府は説明している。

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 昨日、ウクライナのブランド別乗用車販売台数の表をお目にかけた。ついでに、こちらに出ていたベラルーシの販売動向のデータも取り上げることにする。ベラルーシもウクライナと同じように欧州からの輸入中古車が幅を利かせる市場なのだが、今回はあくまでも新車の販売動向。

 今回の資料によると、2021年のベラルーシでの乗用車(新車)販売は4万6,837台で、前年比11%減少した。政治危機と経済低迷が影響した形だろう。

 ブランド別の動向は上図のとおりで、トップのロシア・ラーダ車だけが13%増と伸びを見せ、その他の主要ブランドは軒並み落ち込む形である。ちなみに、この資料に明記されているわけではないが、ラーダ車がロシア製なのは当然として、フォルクスワーゲン、ルノー、キアといった他の外国ブランド車も、おそらく大半がロシア工場の製品だろう。

 問題は、ルカシェンコによる国民車構想の産物であるGeelyが、2021年に19%も国内販売を減らし、7,442台に留まったことだろう。ただ、2021年にロシア市場でGeelyが2万4,587台売れており(前年比58.9%増)、そのうちどれだけがベラルーシ製かを検証してみる必要がある。


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 こちらに見るとおり、ベラルーシの最高権力者A.ルカシェンコは1月28日、年次教書演説を行った(私はルカシェンコを「大統領」と呼ぶことは避けているので悪しからず)。

 今回の教書演説では、2,500人の前で、ルカシェンコは2時間半にわたり演説を行い、そのあとさらに、質疑応答を1時間行ったそうである。

 2021年2月に開催された「第6回全ベラルーシ人民大会」につき、私はこちらのコラムで、「ルカシェンコは、4時間の基調演説をはじめとして、3度にわたり演説を行い、大会全体の半分以上でルカシェンコが演壇に立っていたそうです。お笑いに例えれば、とっくの昔に旬を過ぎた師匠の単独ライブを、2日間にわたってぶっ通しで見せられたようなものであり、支持者にとってもキツかったのではないでしょうか」と論評した。

 今回は、それよりは短かったとはいえ、旬を過ぎた師匠の独演会を延々と聞かされるという本質には、変わりあるまい。

 長くても内容があれば聞いたり読んだりするモチベも上がるのだが、何しろほぼ全編にわたってデマであり、商売柄、一応ざっと目を通したが、とにかく苦痛だ。

 自称大統領の教書演説なので、普通は、昨年のこの分野はこんな結果に終わりましたとか、我が国はこんな目標を掲げますとか、新たにこんな政策を導入しますとか、具体的な施政方針が示されるものだろう。仮にそれが粉飾であったり非現実的な目標であったとしても、一応は参照する価値はある。

 しかし、今回の教書演説には、そのような要素がほぼ皆無である。一番具体性のある話は、「(2020年の大統領選に際して、欧米により)ベラルーシ破壊のために60億ドルが投じられたことが、すでに正確に判明している」というくだりか。

 私の認識によれば、ルカシェンコは2021年には教書演説を行わなかったため、前回の教書演説となると、こちらに見る大統領選直前の2020年8月4日ということになるはずである。この中でルカシェンコは、ロシアのことを「我が国の最も近い同盟国であったし、今もそうだし、これからもそうである」とする一方で、ロシアとの関係は「嘆かわしいことに兄弟関係からパートナー関係へと変わった」と述べ、関係冷却化の事実を認めた。石油をめぐる関係については、「ロシアとの石油紛争で財政が15億ベラルーシ・ルーブル(約7億ドル)をとりはぐれた」と訴えた。その上で、ルカシェンコは、「今期(ルカシェンコ大統領の2005~2020年の任期という意味)の結果が物語っているのは、1ヵ国、2ヵ国への過度な依存は、控えめに言っても、我が国を脆弱な状況に陥れるということである」として、多元外交を強く志向する姿勢を見せた。当時は、ベラルーシでお縄となったロシアの民間軍事会社ワグネルの兵隊をウクライナに差し出すとか、そんな動きすら見せていたものである。

 それが、今回の年次教書では、だいぶ趣きが変わっている。2020年大統領選を前に、欧米の連中が足繁く我が国を訪問し、「ベラルーシ独立を維持するためです」などと甘言を弄してベラルーシに支援を申し出、NATOに引っ張り込もうとし、米国に至っては我々が全面的に石油を供給しようなどと働きかけていたが、それらはすべてベラルーシとロシアという兄弟国同士を仲違いさせるための策謀であることがその後明らかになっており、それに失敗した欧米はベラルーシで暴力的な政権転覆を企図したが失敗に終わり、ベラルーシ・ロシアの兄弟関係は雨降って地固まるとなった、などという都合の良いことを、今回ルカシェンコは臆面もなく主張している。


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 こちらのページに、ベラルーシと中国の30年の協力の歴史という図解(というほどでもないが)資料が出た。

 それによると、両国は1992年1月20日に外交関係を樹立した。現時点で両国の基幹的な条約となっているのが、2015年の友好・協力条約である。ベラルーシは中国と全面的な戦略的パートナーシップを発展させており、同国の一帯一路構想に積極的に参加している。

 2020年の二国間貿易(商品・サービス)は往復54億ドルだった。1992年からの30年で貿易取引は130倍に、2011年からの10年間だけでも1.6倍になった。

 1992年からの累計で、中国からベラルーシの投資は26億ドルで、うち11億ドルが直接投資である(2021年9月現在)。

 中国・ベラルーシ共同でミンスク郊外に設けられた工業団地「グレートストーン」が、最大の投資プロジェクトである。その面積は11,761ha。入居企業は85社(2021年の新規入居が20社)で、その投資総額は12億ドル。6,900人分の新規雇用創出が見込まれている。


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 今般、世界銀行から最新版のGlobal Economic Prospectsが発行され、世界各国の経済成長率の実績および当面の予測が示されたので、私の守備範囲であるロシア・ユーラシア諸国のデータを拝見してみよう(上の表は中東欧諸国も含んでいるが)。

 2021年はコロナ危機からの回復の年であり、2020年に落ち込みが大きかった国ほど、2021年に大きく盛り返すというのが基本パターンである。

 ロシアは、2021年こそ4.3%という悪くない数字だが、その後の見通しは、2022年2.4%、2023年1.8%と煮え切らないパフォーマンスが続くという予測になっている。

 この地域で、2021年に最も成長率が低かったのは、1.9%のベラルーシだったようだ。


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 ベラルーシの改憲案に関し、昨日は第一報をお伝えしたが、こちらにベラルーシ随一の政治評論家V.カルバレヴィチ氏による論評が出ていたので、主要点を以下のとおりまとめておく。

 憲法改革は、当初は、権力を移行しルカシェンコが大統領職から退くプロジェクトの不可分の一部として発案された。ルカシェンコは再三、新しい憲法は新しい大統領のためのものだと明言していた。

 ところが、ルカシェンコは退陣を思い直し、現在では前倒しの大統領選は想定されていない。改憲案の第143条によれば、国家機関および公職者は、当初の任期どおりに、または所定の方法により権限が解消されない限り、職務を全うするとされている。つまり、ルカシェンコが現任期が満了する2025年まで権力の座に留まることを意味する。

 しかも、やはり第143条によれば、一人の人物が大統領職に就く回数を2回に制限する修正は、新大統領が就任した日に発効するとされている。平たく言えば、ルカシェンコはあと2回大統領に選出される権利があるということである。

 ルカシェンコとしては、すでに国民投票は公約しており、これから中止すれば大きなスキャンダルとなるし、プーチンに課せられた宿題もある。そうなれば、ルカシェンコは2025年まで形式的には制限された権限で君臨することを余儀なくされ、これは彼にとってはありえない状況である。そこで3つの仕組みを考え出した。

 第1に、憲法修正は採択された時点ではなく、公布された時点で発効するとされている。それが国民投票から1年後になる可能性もある。

 第2に、全ベラルーシ国民大会の活動に関する法律の策定に1年が割り当てられており、さらにその代議員選出等に時間がかかる。その間は、大統領の権限は従来通りである。

 第3に、さらに奮っているのが第144条であり、全ベラルーシ国民大会の円滑な開催のために、憲法修正が発効する時点での大統領が、大会の議長に選出されうるとされている。

 というわけで、ルカシェンコはこれまでのすべての権力を保持するが、それが大統領職と全ベラルーシ国民大会という、2つの権力中心に分散されたわけである。権力の継承という課題を解決するはずだった改憲案が、いつの間にか、ルカシェンコが権力の座に留まり続けるという別の目的にすり替わってしまったのだ。


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 ベラルーシでは、来年2月末に憲法改革を問う国民投票が実施されることになっている。ところが、肝心の改憲の中身が発表されず、新憲法を制定するのか、既存の憲法を修正するのかすらも明らかでなかった。

 おや、まさか、中身を発表しないまま国民投票にかけるのか?などと疑い始めたところ、こちらの記事が伝えるとおり、昨日になり、ようやく改憲案が発表された。さすがのルカシェンコ体制も、最低限のアリバイだけは取り繕おうとしているといったところか。

 結論から言えば、まったくの新憲法を制定するのではなく、既存憲法に修正と追加を加えるという形になっている。そのテキストがこちらであり、緑の部分が修正・追加されるところである。

 まだ熟読できていないが、最大の注目は、「全ベラルーシ人民大会」を制度化する点だろう。

 「全ベラルーシ人民大会」と聞くと、何となく名前から中国の全国人民代表大会(全人代)のようなものかと想像したくなる。しかし、中国の全人代は一応は常設の国会であり、ベラルーシには別途国会があるので、位置付けが異なる。

 これまでの全ベラルーシ人民大会は、むしろ中国やかつてのソ連の、5年に一度の共産党大会に近いものだった。ルカシェンコの5年間の任期に合わせて、大統領選挙の前後の時期に開催され、これまでの5年間の成果をうたいあげるとともに、今後5年間の方向性や課題を示すセレモニーとなっていた。ルカシェンコ政権下で、1996年10月に第1回が開催され、2021年2月の最新の大会まで、全6回を数えた。

 ちなみに、かつてのソ連では、1990年3月まで、共産党の指導的役割が憲法に明記されていた。その意味では、共産党大会で国家方針を決めることは、一応は法的に辻褄の合う話ではあった。それに対し、従来、全ベラルーシ人民大会は、憲法や法律に何の規定もなく、ルカシェンコが大統領令という号令一つで招集していた。

 それが、今回の改憲で、全ベラルーシ人民大会は法的にも然るべき位置付けをなされようとしているわけである。ルカシェンコとしては、権力の軸足を大統領職から同大会にシフトすることによって、最高権力者として生き残ろうとしているというシナリオが浮かび上がる。

 とはいえ、いかんせん改憲案を熟読できていないので、詳しくはまた後日。


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 12月1日付と少々古いが、こちらのインタビュー記事の中で、ウクライナのシンクタンクである「軍・軍民転換・軍縮・国際問題研究センター」のM.サムシ副所長が、ロシア軍がベラルーシ領をウクライナ攻略に使うのかという問題についてコメントしているので、発言要旨を以下のとおり整理しておく。

 1999年にロシア・ベラルーシ連合軍の連合軍集団が創設されて以来、ベラルーシ軍は実質的にロシア軍の指揮下に置かれている。そして、ウクライナ軍は1999年以降、ベラルーシはロシアの軍事同盟国であり、様々な問題がそこから発生することを認識してきた。

 ロシアがウクライナに侵攻する場合については、ルカシェンコは自国に関係のある部分に関してのみ、その作戦についての情報を得ることになる。そして、ロシアの航空部隊のために飛行場のネットワークを提供し、ロシアの特殊作戦部隊、偵察部隊の配置を認め、そしてもちろんミサイル部隊も配備されるだろう。もちろん地上軍も投入可能。

 ロシアとベラルーシの合同軍事演習「ザーパド2021」、さらにその前の「ザーパド2017」をよく見てみると、最初の戦車軍はシナリオ上4日間でベラルーシの領土を通過してポーランドとの国境にたどり着き、ワルシャワ、スヴァルキ回廊、バルト諸国に向けて移動できる状態になっている。したがって、ここではベラルーシにそれほど依存しない。

 ベラルーシはすでに事実上ロシアの併合地であり、完全にロシアの地政学的空間であると同時に、軍事的政治的空間でもある。ルカシェンコの権力は、プーチンがベラルーシ情勢を自分の支配下に置くために都合の良いものに限定されている。

 2014年以降、ウクライナは全方位で防衛を強化している。特に「ザーパド2017」の後、ロシアがベラルーシの領土を使って空軍やミサイル部隊、特殊作戦部隊を展開することが明らかになったのを受け、それへの備えをした。

 ウクライナとベラルーシの国境地帯には、攻勢を仕掛けるための進出拠点があまりなく、地上作戦を行うにはあまり適していない。森、沼地などで、戦車の進出にはあまり向いていない。他方、ロシアにはウクライナに対して戦車砲撃を行うことが可能な場所が十分にある。ブリャンスク州のクリンツィをはじめ、それ以外にもある。第20軍は現在、必要な部隊がすべてウクライナ国境から10kmのところにあるような形で布陣している。

 そのため、ベラルーシの領土がロシアにとって重要になってくるのは、それ以外の、航空部隊、ミサイル部隊、特殊作戦部隊などを配置することである。そこを拠点に、空爆もミサイル攻撃も行え、特殊作戦部隊や偵察部隊もウクライナ全土に展開することができる。

 ウクライナにとっては周知のシナリオであり、それに備え防空部隊、破壊工作部隊、敵の破壊工作集団と戦うための領土防衛部隊を増強している。戦車が進む進路についても研究されている。

 ただ、8,000人のシラビキが派遣されたのは、これらとは関係なく、中東難民対策である。


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 先日、対EU国境難民問題にかんがみ、米国がベラルーシに対する追加制裁を導入した。人物が20人、会社・組織が12対象となり、ベラルーシカリ会社、トランスアヴィアエクスポルト、スラヴカリ、ベルテフエクスポルト、ベルアヴィアなどがリストに入った。

 しかし、こちらの記事が伝えるところによると、ベラルーシのエコノミストYa.ロマンチューク氏が、一見厳しい制裁も、ルカシェンコ政権への打撃にはほとんどなっていないと論じているということなので、以下ロマンチューク氏の論旨をまとめておく。

 ベラルーシとロシアの有力な組織間で、関係の構築が進んでおり、制裁下にある石油製品、肥料、化学品などの取引連関が整備されつつある。欧米の制裁リストに入った企業の再編が進行中だ。オフショア企業を利用したスキームが考案されている。ロシアの銀行がベラルーシに積極的に進出している。彼らは決済や金融手段を提供するだけでなく、秘密裏にベラルーシの資産の査定を進めている。

 ロシアは、ベラルーシ体制の脆弱性が急激に高まっていることを見抜いている。ベラルーシは場合によっては、ロシアのパートナーに、資源獲得の好条件を提示せざるをえなくなるだろう。その時期は、2022年と目前に迫っている。かくして、2021年に発動された制裁が即効性を発揮するという期待は裏切られた。

 確かに、ベラルーシ経済への圧力は実感されている。制裁下にあるベラルーシ企業と直接取引することを断念する欧州企業も少なくない。このような迂回策に目をつぶってくれる第三国を通じて供給を組織できるということではない。2014年以降、ロシアのノーメンクラトゥーラ・シラビキ系の商業組織は、ベラルーシのパートナーの力を借りて、制裁を回避することを学んだ。さらに、彼らは国が支援する輸入代替策で儲けている。

 2021年、蓄積された経験、確立された商品・金融チェーンを活用して、このスキームを積極的にベラルーシに適用することが始まった。このような状況では、要路にある人々が、新しい商品と金融のネットワークを担当することになる。ウラルカリ、インターロス、ノリリスクニッケル、ルクオイル、バゾヴィエレメントといった企業は、形式的には民間企業だが、いったん命令が下れば、ベラルーシとロシアの新しいスキームに参加することになる。誰もクレムリンとその高官に逆らうことはない。

 EUの多くの国に強力なロシアのロビーがあることは間違いない。オーストリア、ドイツ、フランス、イタリア、キプロス、これらは一部にすぎない。採択された制裁の適用は、増してや貿易の流れを実際に遮断する厳しい措置の採択は、コンセンサスを旨とするEUにとって難しい課題である。ベラルーシに対する制裁を議論するとき、ヨーロッパの実利派は次のように語る。「我が方のビジネスの利益を侵害することは許されない」「ベラルーシの人々の苦しみを悪化させたくない」「ベラルーシを完全にロシアに手渡してしまうのはいかがなものか」「ルカシェンコにも行動の余地を残さなければならない」「指導部が何をしでかすか分からない核保有国ロシアとの衝突は望まない」。

 ルカシェンコは、クレムリンが自分を地政学的な大きなゲームに引き込んだことを見て取っている。このゲームで、ベラルーシは明らかに焦点ではなく、脇役の一人にすぎない。ルカシェンコには、リソースも、国民の支持もない。それゆえ、彼はクレムリンのゲームに飛び込んで、もう一度そこから個人的利益を引き出そうとしている。彼が「売り物」にしているのは、西側に対する攻撃的なレトリック、EUへの難民攻撃、西側・NATOに対する横柄さ。その見返りに、ロシアから融資、債務リスケ、ロシアの国家発注への参加を取り付け、そして最も重要なことだが、ベラルーシの政治システム変更につきクレムリンが中立的な立場をとってくれることを期待しているのだ。

 ルカシェンコは、クレムリンに近い実業家を自分のプロジェクトに招き、ベラルーシにはロシアしかないことをモスクワに納得させ、ウクライナに対して統一戦線を提供する用意があることを表明して、時間稼ぎをしているのだ。そして、今のところうまく行っている。

 ベラルーシの国家予算、貿易・国際収支、為替、債務残高、賃金と預金などの最新統計から言えることは、ルカシェンカが欧米による制裁の抜け穴を最大限に利用したということである。彼は、ベラルーシ国民とクレムリンの両方に、自分は社会経済的危機と対欧米対立に対処できるということを示してみせた。2022年初めに発動される制裁が、ベラルーシ経済とルカシェンコの政治体制にさらなる問題を引き起こすことは間違いないが、ルカシェンコは2021年には短期的、戦術的な課題を解決てみせたのだ。


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m202201

 編集作業が終わったばかりの『ロシアNIS調査月報』2022年1月号の中身を、どこよりも早くご紹介。

  今号では「特集◆ソ連解体から30年の経済建設の軌跡」をお届けしています。ソ連崩壊30周年ものというのは、あちこちで色んな企画をやっているので、小誌では各国による経済建設の歩みという一点に絞りました。すべての国を個別の調査レポートとして取り上げ、しかも国ごとに違う執筆者が担当することにこだわったため、いつもの号の4倍くらいの労力がかかった感じですが、渾身の総力特集ですので、ぜひご堪能いただければ幸いです。なお、国をどういう順番で並べるか迷いましたが、結局、小誌でいつも同諸国を列挙する際の順(ロシア~西NIS~中央アジア~コーカサス)としました。紙幅の都合で、いつも掲載している連載記事や「業界トピックス」はお休みとさせていただきましたので、何卒ご了承ください。

 掲載レポートのタイトルと執筆者は以下のとおりです。

  • ソ連崩壊から今日までのロシア経済(酒井明司)
  • 人的背景から見たウクライナの政治経済の30年(岡部芳彦)
  • パラサイト国家ベラルーシの興亡(服部倫卓)
  • 転換期を迎えているモルドバ経済(吉井昌彦)
  • カザフスタンの石油・ガス牽引成長と多角化(坂口泉)
  • キルギス経済30年の歩みとクムトル金鉱の功罪(大内悠)
  • 新たなスタートを切ったウズベキスタン(中馬瑞貴)
  • トルクメニスタンの上流開発の現状とガス輸出戦略(原田大輔・四津啓)
  • タジキスタン:変わらぬ経済と南南連結への期待(堀江典生)
  • アゼルバイジャン:SOCARの歩みと資源開発(長谷直哉)
  • アルメニアのIT産業とスタートアップエコシステム(牧野寛)
  • ワインと観光の国ジョージアの次なる成長産業(谷口麻由子)
  • ソ連崩壊の瞬間に立ち会ったカメラマン(服部倫卓)
  • 沿ドニエストルの光と影(小熊宏尚)

 12月20日発行予定。


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 当ブログでは既報のとおり、ロシアとベラルーシは連合国家という統合の枠組みを作っていることになっており、それを深化させるための28項目にわたる「連合プロジェクト」というものを、先頃制定した。最終的には11月4日に連合国家の最高国家評議会という会合が開催され、そこで正式採択された。

 だが、困ったことに、現在までのところ、連合国家最高国家評議会指令「2021~2023年の連合国家創設条約の諸規定実現の基本的方向性について」が布告され、そこで28項目が正式決定したと発表されているだけであり、肝心のその指令のテキストは、まだどこにも出ていないのである。

 しかし、色々検索してみると、指令のテキストを写したニュース映像の画像は、ネット上でちらほらと見かけた。特に、ベラルーシ大統領機関紙サイトのこちらのページに出ている画像は、まあまあ読める程度の画像である。自分にとっては重要な研究分野なので、この画像から無理やりテキストを判読し、以下翻訳してみることにした。

連合国家最高国家評議会指令「2021~2023年の連合国家創設条約の諸規定実現の基本的方向性について」

 1999年12月8日付の連合国家創設条約を実現し、また連合国家構成国の法令を統一・調和化・接近させる目的で、連合国家最高国家評議会は以下のとおり決定する。

 1.付属文書にある「2021~2023年の連合国家創設条約の諸規定実現の基本的方向性」と、基本的方向性の不可分の一部である「連合プログラム」を承認する。

 2.ベラルーシ共和国政府とロシア連邦政府、またベラルーシ共和国国民銀行およびロシア連邦中央銀行は、「基本的方向性」の実現と、「連合プログラム」でうたわれている措置の実行を保証する。

 3.ベラルーシ共和国政府とロシア連邦政府、またベラルーシ共和国国民銀行およびロシア連邦中央銀行は、所定の方式で毎年第2四半期と第4四半期に、それらの実施状況に関する情報を、連合国家閣僚会議に提出する。

 4.ベラルーシ共和国政府とロシア連邦政府、またベラルーシ共和国国民銀行およびロシア連邦中央銀行は、「基本的方向性」には盛り込まれていない連合国家創設条約のその他の条項の実現のための合意された提案を、2022年12月31日までに、連合国家閣僚会議に提出する。

 5.本指令は、署名の日から発効する。

 連合国家最高国家評議会議長 A.ルカシェンコ

 以上が、ニュース映像から判読した指令の本文である。しかし、肝心の付属文書までは読めないので、やはりその具体的中身はうかがい知れない。


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 ちょっと用事があってこんなグラフを作成したので、お目にかける。ロシア・ガスプロム社による天然ガス輸出価格を、CIS域外向け、ウクライナ向け、そしてベラルーシ向けに分けて見たものである。

 なお、従来ガスプロムによるパイプラインガスのCIS域外向けは、欧州(トルコも含む)向けと同義だった。しかし、2019年暮れに中国向けパイプライン「シベリアの力」が開通したことにより、ガスプロムは欧州とアジアの両方にパイプラインガスを供給する世界で唯一の企業となった。したがって、私が理解する限り、上図における2020年のCIS域外輸出価格143ドルは、欧州向けと中国向けの合計であるはずである。

 11月4日にプーチン・ロシア大統領は、ベラルーシ側との会合の席で、現在のベラルーシ向けガス価格は、欧州のスポット価格の7分の1から10分の1の水準であり、また欧州向け長期契約価格と比べても3分の1から4分の1の水準であるとして、ベラルーシ側の恩恵を強調した。確かに、目下激しく高騰している欧州と比べれば、そうなのであろう。

 通関統計にもとづく上図によれば、2020年のベラルーシ向けの価格は131ドルということになっているが、契約上は128.5ドルである。そして、ロシアは2022年についても同じ128.5ドルを適用することを申し出ており、確かに現状の欧州の価格水準を考えれば相当に低い水準である。ただ、ベラルーシ側は完全にロシア国内と同じ価格(具体的には隣接したスモレンスク州と同等の価格)を長年求めており、スモレンスク価格はベラルーシ向けの半分ほどとされ、ベラルーシ側の切なる要求は依然として聞き入れられていない形である。


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 「ベラルーシへの核配備:プラスとマイナス」という記事(S.ニコルキン署名)が気になったので、以下のとおり抄訳しておく。

 11月30日、ベラルーシの最高権力者ルカシェンコは、「ロシヤ・セヴォードニャ」のインタビューで、ロシアの核兵器をベラルーシに配備する可能性を表明し、プーチン大統領に提案すると述べた。ただし、これはポーランドにも同様のNATOシステムが配備され場合であるとされた。なぜポーランドなのか? 11月19日(欧州におけるNATOの主要な核兵器が置かれているドイツの首相が交代するタイミングで)、NATOのストルテンベルグ事務総長が、ベルリンが米国の新型核兵器の受け取りを拒否した場合、同盟はその核兵器を「東側」に配備すると述べたことがあった。つまり、ポーランドということになる。

 タス通信の軍事専門家V.リトフキンは、次のように指摘する。「ポーランドへの核兵器配備は、ベラルーシへの直接的な脅威である。それは、ベラルーシ領内への核攻撃のリスクであり、それに要する時間はわずか数分である。ベラルーシとベラルーシ人を消滅させ、その地域に放射能汚染という形であらゆる破壊をもたらす脅威がある。ルカシェンコの発言は、欧州がNATOを支持し、米国がヨーロッパや対ロシア国境に核兵器を配備するのを阻止しないと、ロシアやベラルーシによる核攻撃の標的になりかねないという、ヨーロッパへの警告である。」

 他方、ロシアがベラルーシで戦術核兵器を配備する際の選択肢が、NATOがヨーロッパで配備しているものよりも格段に多いことは明らかである。公開情報によれば、欧州にはB61核爆弾しか配備されていないが、ロシアには核爆弾、核搭載の戦術ミサイルシステム、さらには火砲の核弾薬や核地雷の選択肢がある。したがって、ベラルーシの専門家によれば、ロシアはこの戦域で核兵器を迅速に使用する可能性がNATOよりも格段に多いという。

 リトフキンによれば、ベラルーシに配備される可能性があるイスカンダルMは、最大500kmの射程で射撃し、核弾頭を搭載することができる。米国がヨーロッパに中距離ミサイルを配備し、ルーマニアやポーランドに核弾頭を搭載したトマホークを搭載するならば、ベラルーシでは「カリブ」の地上複合施設もあり得る。「3K95 キンジャール」を搭載したミグ31などの爆撃機を配備することも可能。それらも核弾頭を搭載できる。ポーランドに核兵器が配備された場合、ベラルーシにとって現実的な軍事的脅威となるため、この措置は正当化されると、リトフキンは考えている。

 現在のところ、ロシアがベラルーシに核兵器を供与するということではない。なぜなら、それは1968年に締結された「核兵器の不拡散に関する条約」に違反し、両国の国際的な威信に好ましくない結果をもたらすかもしれないからである。また、ベラルーシには核爆弾の製造・保守のための独自のインフラや、戦略核戦力の戦闘統制システムがない。したがって、仮にベラルーシに核兵器が配備されるとしても、それはロシアの管理下に置かれることになり、ベラルーシ当局が核兵器の使用に影響を与えることはないのである。

 ソ連崩壊時、ベラルーシ共和国は世界で8番目に多くの核兵器を保有していた。しかし、当時も(今も)、核兵器に伴う共和国のリスクを十分に認識していた。例えば、1991年11月15日の最高会議で、ベラルーシにおける核兵器使用の妥当性について議論した際の、A.コステンコ・ベラルーシ軍管区司令官の発言からも伺える。

 一方で、ポーランドに対抗するという意味においては、ロシアがベラルーシに核兵器を配備する特別な必要性はない。ロシアの軍事専門家M.ホダリョーノクは、「ベラルーシは東西約650kmであり、核兵器の戦闘使用のための現代技術、特に戦略ミサイル部隊と長距離航空(DA)の観点からは、この距離が状況に深刻な影響を与えるとは認められない」と指摘する。つまり、仮にベラルーシの領土に核兵器が配備されたとしても、ロシアに作戦上・戦略上の優位性を与えることはないが、モスクワにとっての政治的影響は非常にネガティブなものになる可能性があるということだ。

 中には、ロシア下院国際問題委員会の委員であるA.シハゴシェフ氏のように、「ベラルーシは他人(ロシア)のふんどしで相撲をとろうとしている」という、不適切な表現もある。

 現在ベラルーシ領には、ヴィレイカにある弾道ミサイル搭載潜水艦通信用アンテイ局(ロシア海軍第43通信センター)と、ガンツェヴィチ近郊にあるミサイル警報システム「ヴォルガ」の固定レーダー局という、ロシア軍の2つの軍事施設がある。2020年9月以降、ロシアはベラルーシ空域から戦略爆撃機によるミサイルや爆弾の攻撃を訓練している。この攻撃をより確実なものにするために、ベラルーシでは防空体制の強化、ロシアのS-400の配備などが進められている。

 ベラルーシの領土にロシアの核兵器を配備する外的な理由付けは、ストルテンベルグの11月28日の声明を受けて、弱まった。ストルテンベルグはこの日、「ドイツは今後も核共有に参加するので、これはもはや問題ではない」と述べ、11月19日の発言を軌道修正したのである。

 注目すべきは、ルカシェンカ発言と時を同じくして、11月30日に(ベラルーシとロシアの両国が加入する)集団安全保障条約機構がこう表明したことである。いわく、核兵器を保有する核不拡散条約の締約国は、核兵器を国外に配備することなく自国内での配備に限定し、非核保有国の領土に核兵器を迅速に展開することを可能にするすべてのインフラを排除するよう求める、と。


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 うっかりスルーしてしまったが、昨日は1991年12月8日にロシア・ウクライナ・ベラルーシ3共和国の首脳がソ連解体について取り決めたベロヴェージ協定締結から30周年の記念日だった。

 ソ連解体前後の時期、ベラルーシではまだ大統領職が導入されておらず、ベラルーシの国家元首はS.シュシケヴィチ最高会議議長だった。私はベラルーシに駐在していた2000年、シュシケヴィチ氏にインタビューを試み、当時のいきさつなどの話を訊いた。その模様は、すでに色んなところでお目にかけているが、30周年を記念して、以下再録させていただく。

 ――あなたはエリートとして忠実なソビエト市民であったはずだが、いつ民族的自意識が目覚めたのか。たとえば、ベラルーシ語はいつから話すようになったのか?

 私は子供の頃はベラルーシ語だったが、のちにロシア語になり、さらに戦後の46~47年頃にはポーランド語を勉強し始め、74年には十分なレベルに習得し、東欧最古のクラコフのヤゲウォー大学で教鞭をとるまでになった。したがって民族的自意識は母乳とともにあった。他方、私はソ連の異論派であったことは一度もなく、ソ連の秩序に異を唱えたこともなかった。というのも、私はソ連社会の枠内で完全に合法的に、誠実に生き、他の人よりも多くの給料をもらい、ソ連の基準で言えば良い生活ができるということを、良く分かっていたから。最後の最後まで、私の仕事は引っ張りだこだった。
 しかし、私には心の中の反発があった。私の父は36年に逮捕され、シベリアからベラルーシに帰ってきたのは56年だった。48年に一時的に帰ってきて半年当地にいたことがあるが、また送られた。53年に最終的に名誉回復されたが。父は、共産主義の理念はすばらしいが、その執行者が不誠実なのであり、良い執行者がいたら理念は実施可能だと考えていた。私自身はそれを疑問視していたが、それを公言したことは一度もなかった。私は仕事で成功していたし。しかし私は党ノーメンクラトゥーラに媚びへつらったことは一度もなかった。党に下衆どもがいるのは分かっており、そうした輩とは関わり合わないようにしていた。
 私は66年に初めて外国に行き、それは半資本主義のユーゴだった。それは偶然であり、私は31歳の若い専門家で、世界的な学会向けに報告を出したところ、それが採用されて刊行された。ソ連代表団のメンバーは誰も報告をもっていなかったが、ちゃんとした専門家たちで、私は入っていなかった。その摩擦を解決するため、私は世界学会が開かれているのと同じ時にリュブリアナ大学に派遣されて講義を行うことになった。私がそこで見たものは、半資本主義ではあったが、ソ連よりはずっと良い国であった。しかし、帰国すると忙しい毎日が待っており、次に外国に行ったのは74年だった。交換教授としてクラコフに招待された。多分そこで、私の価値観の大きな変化が起こった。私は完全にポーランド語をマスターしている。私はクラコフでキリスト教の祭日に出会い、現ローマ法王が非常に生き生きとした、説得的な演説を行うのを聞いた。私を含め、多くの人が理解していながら、決心がつかなかったことについて、明快に語った。ポーランドでは皆公言していた。こうして、私の中に、たとえ最高の執行者がいようとも、共産主義の天国が現実化されることはないのではないかという疑念が芽生えた。その後、非マルクス主義的なものも含め、様々な本を読む機会があり、すでに80年代の半ばには、我々の体制にはまったく将来性がないという結論に達した。しかし私は、この悪の帝国をこれほど早く倒せるとは思ってもみなかった。

 ――そうした信条ゆえに、政治家になったのか?

 否、私が政治に携わるようになったのはまったくの偶然だった。専門の仕事がきわめて忙しく、私は講座長だった。しかし、1989年にソ連人民代議員大会の代議員選挙があった時に、私の選挙区では共産党候補への対抗馬がいなかったので、友人たちが私を担いだ。私は78年から党員だったが、この選挙で党は事実上、私を妨害した。私は不誠実な党員であったことは一度もなかったので、心外だった。最も不道徳なのは党幹部なのだということを悟った次第である。それでも私はこの選挙に勝ち、政治の世界に入った。そして、モスクワに行き、政治の世界に入ったが、そこで私が出会ったのは非常に進歩的で実務的で教育水準の高い人々であった。

 ――そして91年9月18日にベラルーシ最高会議議長に就任されたわけだが、ベラルーシが独立することが必要であり、不可避だという結論に達したのはいつか?

 私はそれを常に望んでいたが、それは長期的プロセスと考え、それが私の生きているうちに達成されるとは思わなかった。私はロシアの敵であったことも、ソ連邦の敵であったこともないが、いくつかの本を読んで、確かにロシアは諸民族の牢獄なのだということを理解していた。ロシアが拡張する際に行ったことは実質的に諸民族の植民地化である。しかし英国との違いは、英国が一定の文明、現地のそれよりも高度な文明をもたらしたということ。大英博物館に見られるように、野蛮な行為があったことも事実だが。それに対しロシアの振る舞いは、たとえばベラルーシにおけるそれには、有益なものは何もない。ロシアは膨張する際に、現地の幸福を願うのではなく、当地で君臨することを望んでいるだけだから。ベラルーシ文化、ベラルーシ語を尊重せず、ベラルーシ語を禁止した。あとになってようやく気付いたのは、ボリシェヴィズムはロシア帝国の延長であり、ベラルーシ文化、ベラルーシ性のすべてに対する圧迫になったということ。しかし、ベラルーシ最良の知性たちでさえ、ロシアの枠内におけるベラルーシの自治を求めるにとどまった。状況が至難であることを悟り、独立は夢想だにしなかった。カリノフスキーは自治を求めて倒れた。我々の党を創設した人々、たとえば1903年のルツケヴィチも最初は自治を求めたが、その後、ベラルーシ国家性を復活させることも考慮に値するという見解が結晶化した。
 ソ連の崩壊は私にとって大変喜ばしかった。ロシアがベラルーシの存在を承認する可能性が生じたから。実質的にそれがベロヴェージ原生林で起きた。ベラルーシが独立国家共同体(CIS)を創設する協定に調印したから。つまり、CISに加入する国すべてをロシアが独立国と認めたということ。その後、ロシアはこのことを後悔し始めたが。

 ――むろん、1991年の8月クーデターの失敗が、その前提条件をつくったのであろう?

 むろんである。私にはチームがなく、一人だった。しかし、私は政治的・経済的に働くことに成功した。ベラルーシ政府に入り、ベラルーシ体制を決定付けている人々とである。彼らとは実務的な間柄だった。したがって、クーデターが起きた時、私は即座に情勢を把握し、最高会議の招集を要求、私に同調する活発な議員も何人か現れ、最高会議の開催に漕ぎ付けた。最高会議議長はデメンテイで、私は第一副議長だった。最高会議の多数派はノーメンクラトゥーラで、彼らは変化を欲したが、私を議長に選出することには躊躇した。しかし、その後、それが解決策だということを悟った。しかし、私は幹部会でも、本会議でもマイノリティだった。

 ――貴殿は、ソ連解体を決めたベロヴェージ会談への参加で世界史に名を刻まれたわけだが、なぜ回想録を書かないのか。

 一つには、まだベラルーシでやり残した仕事があるから。また、他の会談参加者の回想を読むと、私に関する記述で、人間の空想力はかくも飛躍できるものなのかと驚くことが多い。私としては、そうしたものを見極めたいという気持ちもある。しかし、将来的には書くことになるだろう。

 ――あなたは最初エリツィンとクラフチュークを、会談というより、ベロヴェージ原生林での「狩り」に誘ったとの由だが?

 そのとおり、「狩り」にである。私はエリツィンを1991年10月21日に招待し、その後具体的な日程を調整しようということになった。誘ったのはノヴォオガリョヴォの会合の時で、ゴルバチョフが提案した連邦条約案を検討していた際だった。エリツィンと私はこれは受け入れられない案だという結論を出したが、その他の参加者は沈黙していた。そこで私はエリツィンを招待した。クラフチュークを招待したのは後日のことで、エリツィンと話をして、その方が理に適っているのではないかということになったから。しかし、私は彼らを、政治問題を解決するために招いたのではない。断じてそうではない。彼らを招いたのは、ベラルーシ政府の執拗な要求にもとづくものだった。実はベラルーシ政府はロシア側とのパイプが太くなかったので、こうした問題を交渉する場を設けるよう、ロシア指導部と良い関係にあった私に執拗に求めていたのだ。我々は一切通貨をもっていなかったので、石油・ガスの代金の決済をロシアに対して金銭で行うことができなかったから。石油・ガスがなければ、ベラルーシが凍死してしまうという構造があるので。まさにこの問題について話をつけるため、我々は集まった。ウクライナも。決して政治問題を解決するためではない。

 ――それにしても、「狩り」が運命的なものになるという予感すらなかったのか?

 なかった。私にはなかった。誰もが、参加者にはそうしたものがあったと言っているが、誠実に申し上げて、私にはなかった。実際に集まり始めた日までは。しかし、クラフチュークが飛行機で来て、私は彼と情勢について話をすると、私も、どうやらその先のことがありそうだということが分かった。詳しい交渉を行う時間はなかったが。クラフチュークは最初ミンスクに来て、私は彼を出迎えたのだが、数時間後にはベロヴェージ原生林で交渉を開始しなければならなかった。そこで私は、クラフチュークの飛行機に乗せてもらうよう、彼に頼んだ。30分ほどの道中、我々は話し合っていたのだが、この時点ではすでに、話題は概ね政治的なものだった。

 ――ソ連に引導を渡したのは、ベロヴェージ会談直前の12月1日のウクライナ国民投票で独立賛成が圧倒的多数を占めたことだと言われている。したがって、会談の時点では、ソ連の解体は不可避であるという雰囲気が広がっていたのでは。

 まず最初にバルト諸国の分離があった。さらに、ロシアを含め、すべての共和国が独立宣言を出した。したがって、その時点ですでに雰囲気、理解はあった。しかし、あなたのおっしゃることはまさにその通りである。私にとってウクライナの国民投票の最も重要な結果は、ウクライナに在住するロシア系住民2,000万のうち、ほぼ1,000万がウクライナの独立に賛成したこと。つまり、ウクライナに在住するロシア人が、ロシア帝国の枠内では生活の改善が望めないと見切りをつけたのである。この点こそ、私がクラフチュークと話をする上で、最も影響を受けたものだった。私はすでに国民投票結果について電話でクラフチュークに祝意を伝えていたが、今回改めて面と向かっておめでとうと言った。これは、非常に大きな一歩であった。
 私がいつも非難されるのは、1991年3月に国民投票があり、設問が不適切なまやかしの国民投票だったのだが、多数派がソ連の維持に賛成したということ。ルキヤノフ流の国民投票だった。ルキヤノフは政治陰謀の名人。ちなみに私は彼から、議会運営のノウハウを多く学んだ。
 ベロヴェージにおけるベラルーシの代表団には私だけでなく、ケビッチ、ミャスニコヴィチ、クラフチェンコも参加していた。その他、ベラルーシ政府の主立った人物はすべて参加していた。

 ――その役割分担は?

 それは単純で、ボリシェヴィキ、共産主義流である。つまり、私がすべて責任を負った。他のメンバーは、私の見解を公式的な立場として掲げた。エリツィン、クラフチュークに関しても同じだと思う。我々は皆、それを望まなくても、惰性によりボリシェヴィキのままだったのだ。これは我々の欠点だということを、私は分かっている。ケビッチは、私と違うことをしゃべることは一切できなかった。しかし、我々は、最も重要な文書に、6人が署名することを必要と考えた。したがって、主要条約にはロシア側からブルブリスとエリツィンが署名し、ウクライナはフォーキンとクラフチューク、ベラルーシはケビッチと私が署名した。しかし、何が起きたかという声明には、これは最初に世界に発表されたものだが、署名したのは3人。というわけで、我々3人が、ソ連の破壊者だとみなされている。

 ――やや脱線になるが、あなたはケビッチ氏と長く一緒に働いた。あなたが政治、ケビッチが経済という分担だったのか?

 それを「経済」と呼んではいけない。ハジャーイストヴァヴァニアというソ連の用語がある。つまり、行政指令体制が引き続き働いていた。そうしないと破綻し、全面的な無秩序になるから。ケビッチとその政府はその路線でやった。しかし、政治的決定を行うのには、必ず政府を説得しなければならなかった。政府が事実上最高会議の多数派を握っていたので。私が何らかの改革措置を講じようとする際に、ケビッチを呼ぶか、私が行って、それを説得する必要があった。私はそうした問題のいくつかを解決したが、それには政治問題も含まれている し、ハジャーイストヴォの問題も、軍事問題もあった。
 その実例として、第1に、私は最初からベラルーシからの核兵器の撤去を断固として支持しており、これは解決に成功した。第2に、より厄介な問題だったが、それは独自通貨の問題であった。しかし、ロシアが、他の共和国が貨幣面でロシアから収奪しているということで、ロシア自体が同様の措置に出たので、我々もそれを解決した。もっとも、ベラルーシは常にそれを後悔し、ケビッチは後戻りしようとしていたが。ベラルーシ通貨は激しく下落したから。第3に最も厄介な問題として、私は民営化の問題を決定しなければならないと考えていた。土地の私有化も含めてだ。形式的には法律が採択されたが、民営化はこまめな作業を必要とする課題である。政府はこの問題で真面目な対応をせず、若干のノーメンクラトゥーラ民営化が行われただけ。土地の私有化に関しては、最高会議側に理解が足りなかったが、政府を説得することはでき、最終的に自留地の私有化に関する法律が採択された。現在それがベラルーシの食糧をまかなっている。

 ――ベロヴェージで、ロシアの若手改革派が主導し、ウクライナの国民投票が最後の一撃となる中で、ベラルーシの役割はどんなものだったのか。単に会談場所を提供しただけか。コズィレフは、 最もソビエト的なベラルーシでさえソ連に見切りをつけたことが、ソ連に引導を渡したと言っているが?

 コズィレフにはそう言う根拠がある。ベラルーシはソ連の中で、表面的には、ソビエト的な指標では、最も経済的に成功した、最も科学が進み、規律があり、つまり最もソビエト的な共和国だった。しかし現実には、国民の生活はリトアニアやラトビアの方が上だった。ベラルーシの大工場は、市場条件では生きていけない。したがって、作動に時間がかかる地雷は、ベラルーシのそれが一番大きい。ベラルーシのもうひとつの特徴は、工業生産のうち軍需目的が55%を占めていたこと。世界価格でベラルーシの1人当たりGDPを算出すると、25,400ドルで非常に高かった。しかし、軍需産業がすべて崩壊すると、ベラルーシでは2,400ドル、ポーランドでは2,700ドルで、ポーランドより低いということになった。
 政治的には、ベラルーシは相当に反動的だった。200年にわたりロシア化され、ロシアの影響下に置かれてきたので。
 ロシアの若手改革派と、ウクライナの国民投票だけがベロヴェージ協定の中身を決定付けたと考えるのは誤り。確かに、ロシアには優秀なエリート政治家たちがいた。私は彼らのことを、これまでも、今も、これからも尊敬する。ガイダル、チュバイスらだ。彼らはハーバードの処方箋を採用したが、それをロシアの条件に適合させるのが至難だった。しかし私は、ソ連、ロシアに第3の道はないと考えている。第3の道は第三世界の道である。日本も欧米とはまったく異なっているにもかかわらず、その改革は市場原理に 沿ったもので、しかも自国の伝統を尊重しながらであった。ベラルーシも同様の道を歩むことができる。しかしベラルーシの場合、ソ連崩壊の時点で、政治・経済エリートの水準がロシアのそれよりも劣った。そしてポーランドに比べるとかなり劣った。私はベラルーシの同僚のことを侮辱するわけにはいかないし、彼らが知識を習得してくれるよう願っていた。私自身も毎日学んでいた。
 しかし、ベロヴェージ協定がロシアとウクライナによってのみ準備されたと考えるのは誤り。3カ国は作業チームをつくり、各国同じ数の代表が参加した。そして、12月7日から8日にかけての夜、このチームが協定案を起草した。作業チームは、彼らに対し指示のあった基本線にもとづいて、それを条約にふさわしいように法律的に定式化した。その基本線は、最初の宵に出来上がった。その基本線の眼目となったのは、第1に、「ソ連が地政学的現実として存在を停止しつつある」というもので、皆がそれに賛成した。第2に、テロリスト等が核兵器にアクセスすることのないよう、必要な措置をとるというもの。また、各国がより緊密な関係を保ち、国境ができるだけ開放されること。当時すでに税関の問題が発生していたから、これは当然のことだった。そして協定は、3カ国から同数が参加した作業チームによって1晩かかって策定された。我々は朝早くから、午後5時頃まで、条文を手直しする作業を続けた。私はこのプロセスをバレーボールと呼んだ。我々、国家元首と首相、計6人が丸一日かけて、条文を練り上げた。最終的に、作業チームの提案した条約案のどの一条も、当初の形では採用されなかった。

 ――しかし、会談後に貴殿は不安げに、「あなた方大国は小国のことをちゃんと考えてくれたのか」と発言したと伝えられているが、同発言の真意は?

 その発言については記憶がない。言うまでもなく、決定はコンセンサスで下さなければならなかった。当然のことながら、欧州の大国で人口5,000万のウクライナや、ユーラシアの大国で人口1.5億のロシアが、人口1,000万のベラルーシの命ずるがままに動いてくれるはずはない。それゆえ、当時も今も、私は客人に対して、あらゆる手段をもって敬意を表してきた。その文脈で、この発言を行うことは考えられる。タルボットは当初、「ベロヴェージ原生林には2人の偉大な政治家が集まった」として、私のことを無視していたが、その後、著書の中でこれについて侘びている。というわけで、私は多くを求めようとは思わない。しかし言っておきたいのは、彼らを招いたのは私だということ。私は、ロシアにベラルーシを独立国と認めさせることに達成した。私には、それ以外のことには特別なこだわりはなかった。私にとって最も肝心なことは、モスクワ抜きで、ベラルーシが自分自身の知能と力で自分の問題を解決できるということだった。そして、ロシアがそれを認めたわけであり、私にとってはそれがこの上なく重要な問題だった。
 さらに言えば、この協定を共和国最高会議で批准する段になった時に、最も進歩的で、民族主義的で、理性的と思われた「ベラルーシ人民戦線」が批准に大反対し、ポズニャクが反対演説をした。その際の理屈は、シュシケヴィチはこの協定の中で、連邦条約に向けた作業をさらに続ける旨の表現を残した、というものだった。

 ――モスクワではなくミンスクがCISの調整機関の所在地になったというのは、当事者達が、CISがなるべく弱い機構になってほしいと願っていたということか?

 否、そういう問題ではない。エリツィンはベラルーシの独立を支持する立場であったことは一度もないと思う。ロシアの政治家は皆帝国主義者だから、ウクライナやベラルーシが独立するということは気に入らない。後日になって、エリツィンは事実上そのことを明言し、その志向が現れた。しかし、ベロヴェージの時点では、エリツィンはゴルバチョフとの問題に決着を付ける必要があった。そして、ロシアでゴルバチョフではなくエリツィンが主人になるためであれば、エリツィンはベラルーシの独立を認めることができた。専らゴルバチョフとの権力闘争に決着をつけるために我々の独立を認めたのであろう。これは妥協の策であり、政治の常套手段。つまり、すぐれて政治的な取引であり、私もクラフチュークもそれを妥協の策と呼ぶことはしなかったが、理解していた。エリツィンはベラルーシもウクライナも独立国だと宣言し、その後ロシア議会がこれを批准した。
 同様に、CISの本部をミンスクに置くのも政治的な落とし所だったのだ。もしもそれをモスクワに保持すると、既存の中央省庁がCISの共通管理機構に横滑りことを主張することになるので、モスクワは除外する必要があった。皆がモスクワではありえないということで合意を見た。私はキエフを提案した。しかし、クラフチュークはそれを政治的に危険と考えたようで、ミンスクの方がいいと言った。エリツィンも、ウクライナ人およびクラフチュークよりはベラルーシ人との方が付き合いやすいと思ったのか、ミンスクの方がいいという考えになったようだ。というわけでミンスクになった。繰り返しになるが、エリツィンが必要としたのは、モスクワの場所を片づけ、自由に連邦省庁を解体し、ロシアのそれをつくること、CISが一切それを邪魔したりしないことだった。ミンスクに関して言えば、単に建物を探すだけの問題だった。
 さらに、CIS執行書記にロシアの代表者を選出することも理に適っていなかった。そこで我々は、事前折衝を経て、次にモスクワで行われた会合で、ベラルーシからの候補者が提案された。

 ――ベロヴェージ会談の三首脳はしばしば、ソ連の破壊者として国民から非難される。

 強調しておきたいが、ソ連は協定より前に事実上崩壊していた。それは管理不能に陥り、ゴルバチョフはソ連を統治していなかった。我々三首脳は、この離婚を円滑化し、「ユーゴスラビア・シナリオ」を回避したというだけでも、善行をなしたと言える。

 ――ベラルーシではウクライナと違って独立を問う国民投票が実施されず、それゆえにあなたの立場が弱くなった。なぜ行われなかったのか。もし行われていたらどんな結果が出たと思うか?

 変革の波の中で、国民投票はベラルーシでもウクライナと同じような結果を残したと思う。なぜ国民投票が行われなかったかというと、実に簡単なことで、それは実施できなかったから。ロシアとウクライナとベラルーシの法制度は根本的に異なっており、ベラルーシの場合、当時の憲法に忠実に沿う限り、国民投票は最高会議の決定にもとづいてしか行えなかった。そうした決定は、あの最高会議では決して通すことができなかった。もしも私がそれを熱烈に主張したら、私はもっと早く解任されていただろう。それが通過不能である以上、その問題を提起するのは無意味だった。
 ベラルーシ人民戦線の活動家の多くは、知識よりも感情が先行するタイプだが、彼らは最高会議の解散に関する国民投票を実施するよう、私に要求した。最高会議が、自分のことを悪いなどとは認めるはずはなく、愚見としか言いようがない。ただ、議長の私としては人民戦線にそういうわけにはいかず、現行の手続きに沿って進めようではないかと言うのが精一杯だった。
 というわけで、国民投票の実施は不可能だった。ベラルーシ最高会議の多数派は親共産派、親ロシア派、つまり反ベラルーシ派で、それから何かベラルーシのためになることを勝ち取ることは不可能だった。しかし、最高会議から何かを取り付けることはでき、それがベロヴェージ協定の批准だった。その審議の議事録を見ると、ベラルーシ人民戦線だけが反対している。他の誰よりもこれを誇りとしているにもかかわらず。他の共産派、等々は皆賛成している。私としては、騙し取ったとは言いたくなく、あくまでも取り付けたのである。私は、我が国の問題は我が国が解決する、連邦条約もしかり、つまりすべてが我々の手中にあるのだと説明した。それは真実だった。それゆえに彼らは賛成した。なまくらだったのはベラルーシ人民戦線であり、最高会議が「我々はだめでしょうか」などと国民に問うはずはないのだから。こういう馬鹿げた話がいっぱいあった。

 ――ルカシェンコは、ベロヴェージ協定の批准に関して、「自分一人が反対した」と主張している。しかし、実は棄権したという説もあり、本当のところはどうなのか?

 ルカシェンコは投票の際に議場にいなかったのだ。それはプロトコールで確認されている。反対は1票だけで、それはチヒニャ氏。チヒニャ氏は反対演説をし、実際にも反対票を投じた。現在は反対派に回っているが。基本的に共産派で、しかも悪い部類のそれだが、憲法裁判所の長官だった時には、立派に振る舞った。いずれにせよ、ルカシェンコは投票の際に 議場におらず、投票に参加していない。嘘というのはルカシェンコの常套手段で、ルカシェンコの側近の間ではそれは善行とされている。


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 こちらの情報によると、米国政府は12月2日、ベラルーシのカリ肥料販売会社である「ベラルーシ・カリ会社(BKK)」を制裁対象に加えた。ベラルーシの対EU国境で発生している難民問題への制裁措置。

 生産企業であるベラルーシカリ社はすでに制裁対象であり、米企業は12月8日までに同社とのすべての取引を停止しなければならない。

 今回の追加措置により、米企業は2022年4月1日までにBKKとのすべての取引を停止しなければならなくなった。制裁対象には、BKKがウクライナに有する子会社「アグロロズクヴィト」と、両者が50%以上を保有するすべての子会社も含まれる。ただし、実質的には、米企業との取引停止よりも、ドル取引が困難になることの影響の方が大きい。

 米国のカリ肥料輸入に占めるベラルーシ産の比率はかなり大きく、今後は米市場における価格上昇が予想される。

 一方、こちらの記事は11月9日付とやや古いものだが、ここにはベラルーシがカタールを経由して制裁を迂回し肥料(たぶんカリ肥料のことだと思うが)を輸出すべく交渉しているという話が出てくる。

 しかし、これについて専門家のA.スズダリツェフ氏は懐疑的な見解を示している。同氏いわく、確かにルカシェンコの長男のヴィクトルがカタールに出かけたのは事実だが、ルカシェンコ一家はカタールにコネクションや隠し資産があり、ヴィクトルがカタールに行くのは我が家に帰るようなものである。肥料の輸出で肝心なのは、どのブランドを冠するかよりも、どのような輸送経路でどの港から出荷するかだ。ベラルーシは以前は距離的に近くコストも安いリトアニアのクライペーダを使っていたが、それができなくなる。今後は広いロシア領土を経由しなければならないのだが、既存のターミナルはロシアの肥料会社が使っており、ノヴォロシースクも然りである。カタールとの交渉云々は、もっと深い理由から目を逸らすために、金を払ってわざとマスコミにリークしたのではないか。スズダリツェフ氏は、このように論評している。


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 雑誌『外交』「難民で欧州を揺さぶるベラルーシ」という短い文章を寄稿しました。同誌は最新号が無料公開されており、私の文章も読めますので、よかったらどうぞ。

 11月の半ば頃にまとめたものなので、最新情報とは行きませんが、昨年来のベラルーシ情勢の文脈から解説したものになっています。


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 こちらおよびこちらの記事によると、ベラルーシの最高権力者ルカシェンコ氏がロシアRIAノーヴォスチのインタビューに応じ、クリミア問題につきコメントした。

 この中でルカシェンコは、「クリミアが、実質的にロシアのクリミアであることは、誰もが分かっていた。それが、住民投票の後は、法的にもロシアのものになった」と述べている。

 また、ルカシェンコはクリミアを訪問したい旨を表明し、そのことにつきロシアのプーチン大統領とも合意していると述べた。

 こちらの記事などによると、このルカシェンコ発言を受けウクライナのD.クレバ外相は、ルカシェンコ氏が様々なメディアでたびたび述べていることにつき、いちいち評価をすることに意味はない、我が国が評価することになるのは彼の行動だ、もしもベラルーシが本当にロシアによるクリミアの不法占拠を認めるのならばウクライナ・ベラルーシ関係に取り返しのつかない打撃となろう、ウクライナはフルプログラムで対応することになる、クリミアは我が国が黙っている問題ではない、などとコメントした。

 ルカシェンコは従来はクリミアはロシアのものだと事実上認めながら、それを正式に承認することは避けていたわけで、今回の発言は一歩踏み込んだことになり、増してや本当にルカシェンコによるクリミア訪問が現実のものとなったら、それは対ウクライナおよび欧米との関係で後戻りのできない一線を越えることとなるだろう。昨年9月以来、ルカシェンコ体制がプーチン・ロシアの支援を仰ぎつつ自己延命を図る中で、予想されたこととはいえ、ルカシェンコもついにこの問題で白旗を揚げたというところか。


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 休日のよもやま話で、なおかつツイッターでつぶやいた話の使い回しで恐縮である。私が編集を担当している『ロシアNIS調査月報』では、ソ連解体30周年記念号を出す予定で、現在作業をしているところである。ただ、ソ連崩壊30周年ネタというのは、色んなところでやっていることなので、差別化を図るために、小誌ではロシア・ユーラシア各国の経済建設の軌跡に徹底的にフォーカスすることにした。

 それで、その号の表紙に使うために、上掲のようなコラージュ画像を自作した。誰でも考え付きそうな単純なものだが、12ヵ国の紙幣を、所定の3:4のタテヨコ比にまとめるのはなかなか骨が折れ、こんなものを作るのに半日ほど費やしてしまった。

 それで、この作業を試みて、2つほど困った国があった。

 まず、ベラルーシである。同国の場合には、解像度の高い紙幣画像が、ネット上にまったく上がっていないのである。多少なりとも解像度を求めると、「見本」という文字が入っていて、今回のようなデザインには向かない。たぶん、独裁国家なので、紙幣の高解像度画像をネットにアップしたりするのにも、厳しい規制があるのではないかと想像した次第だ。今回の作業では、ベラルーシについては低解像度画像で我慢した。

 もう一つ、今回困ってしまった国が、アゼルバイジャンだった。アゼルバイジャンの場合は、紙幣の高解像度画像がネットで出回ってはいるのだが、フォトショップでそれを加工しようとすると、操作ができず、「このアプリケーションでは、紙幣イメージの編集はサポートされていません」という表示が出てしまうのである。要は紙幣偽造対策だとは思うのだが、なぜロシア・ユーラシア諸国のうちアゼルでだけそういう規制がかかっているのかが不思議だった。

 なので、アゼルバイジャンのマナト紙幣については、現行の紙幣をコラージュに使うのは諦め、下に見るような旧札を使うことを余儀なくされた。

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 これは、とても残念なことである。というのも、最近のアゼルバイジャンの紙幣は、デザインが美しいことで定評があるからだ。それを表紙画像に使えないというのは、惜しすぎる。本当は、下に見るような10マナト札を使いたかった。バクー旧市街のデザインかな。

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 ちなみに、アゼルバイジャンは昨年ナゴルノカラバフ戦争に勝利し、下に見るような記念紙幣を発行したらしい。これも美しいが、ちょっと政治的にどうなのかとは思う。

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 こちらの記事が、激動する国際政治経済環境の中でのベラルーシ・カリ肥料産業について論じているので、以下要旨を整理しておく。

 リトアニア当局は、ベラルーシ産カリ肥料のトランジット輸送を12月8日から停止すると発表した。しかし、これからどうなるのか、不明確な点が多い。

 EUは6月にベラルーシ経済の7部門に対する制裁を導入し、6月25日以降に締結された契約に基づくベラルーシからの塩化カリウムの輸入および輸送を制限した。しかし、この制裁は有用成分(酸化カリウム)含有量が40~62%の範囲にある塩化カリウムには適用されない。

 その後、米国はベラルーシカリ社に対して直接制裁を行ったため、同社のドル建て決済に影響が及ぶ可能性が出てきた。米政府は、ベラルーシカリが「政権の不正な富の源泉」になっているとしている。

 同時に米国財務省は、ベラルーシカリとの協力関係を解消するために必要な取引のライセンスを発行した。そのために4ヵ月の猶予が与えられた。リトアニア当局はその直後、12月からベラルーシ産カリ肥料の輸送を停止すると発表した。問題は、ベラルーシカリの輸出のほとんどがリトアニアのクライペーダ港を経由していることだ。また、クライペーダBKTターミナルの株30%をベラルーシカリ社が所有している。

 一方、ベラルーシ側ではN.スノプコフ第一副首相が、ベラルーシ産のカリ肥料は世界の輸出量の20%以上を占めており、輸送停止は世界の食料安全保障の観点から許容できず、足元では価格が急騰していると警告した。

 ベラルーシのカリ肥料の積み出しをリトアニアが拒否した場合、ベラルーシはそれをロシアのレニングラード州とムルマンスクの港に振り向ける用意があると、8月16日にA.アヴラメンコ運輸相は述べた。しかし、専門家の間ではそのスキームで同じ収益性を維持できるかが疑問視されてる。また、ロシアでは現在、カリの輸出用の港湾施設が不足しており、ロシア企業自身がバルト諸国の港を利用している状況だ。

 なお、トレーダーである「ベラルーシカリ会社」が主に扱っているのもベラルーシ産カリだが、同社は制裁の対象ではない。同社トップはすでにリトアニア鉄道およびBKTターミナルの責任者と会談し、鉄道およびターミナル側はリトアニア領内でのベラルーシ産肥料の輸送およびクライペーダ港での積み出しに関する既存契約を履行する用意があると表明した。しかし、銀行が制裁対象企業の決済を避けたい問題が、ネックとなる。

 ベラルーシカリ会社の取扱量に占めるベラルーシ産の比率は48%で、米財務省が設定した基準を下回るため、米輸入業者がベラルーシ産のカリを購入することは理論的には可能だ。しかも、米国の制裁措置はEU管轄圏内では直接適用されない。しかし、EUで活動する銀行は通常、米国の制裁対象となっている企業に関連する取引を避けるものである。

 しかし、ヨーロッパにはベラルーシへの制裁緩和を望む人々もいる。ベルギーをはじめとする複数の欧州諸国が、そうした提案を含む書簡を欧州連合理事会に送付したという。その要点は、カリウム含有許容レベルを2%ポイント引き上げ、64%以上の製品を制裁対象とすべきだというもの。このままではカリ肥料の価格が急激に上昇し、市場に好ましくない影響を及ぼす可能性があるという。

 その後、ベルギーの化学会社テッセンダーロ・グループが、ベラルーシへの制裁緩和を働きかけていることが明らかになった。同社は硫酸カリウム生産の大手で、ベラルーシで塩化カリウムを調達している。2021年2月に同社はベラルーシにチオ硫酸アンモニウム工場を建設する計画を発表し、グロドノアゾト社がアンモニアを供給することになっていた。

 対ベラルーシ制裁に反対する向きはリトアニアにもおり、リトアニア鉄道、クライペーダ港、その運営会社など、ベラルーシ産カリ肥料輸送を生業としている人々だ。リトアニア鉄道で輸送される貨物全体の約20%がベラルーシカリ社のカリ肥料だ。またクライペーダ港の全貨物の3分の1近くがベラルーシ産の製品で、そのほとんどがカリ肥料である。

 とはいえ、リトアニア鉄道もすでに貨物喪失を見越しているようで、EUおよび米国の制裁を受け、約6,000万ユーロに相当するプランジ(テルシアイ県)~シャテイキアイ(クライペーダ県との国境)区間の近代化プロジェクトを中止することを発表した。


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 「難民でEUを脅迫するルカシェンコ ―プーチンは本当に黒幕か?」と題する動画を公開しましたので、よかったらご笑覧ください。

 PS:すいません、編集ミスで、挿入した動画をはしょった部分が、長い静止画になってしまったようです。すいませんが、その部分は飛ばしてご覧ください。

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 ベラルーシ国営ベルタ通信のこちらのサイトに、「ベラルーシの食料安全保障」という図解資料が出ていたので、それを拝見することにしたい。まあ、図解と言いつつ、テキストの箇条書きで充分な情報のような気もするが…。

 この資料によれば、ベラルーシはCISで最も農産物自給率が高い国に属し、一連の品目では一人当たり生産量が同諸国でトップである。具体的には、じゃがいも、テンサイ、食肉、牛乳がそれに該当する。

 ベラルーシは、一人当たり穀物生産量が935kgで、(世界の?)トップ5に入る。

 ベラルーシは、ライ麦の生産量で世界5位、ソバで10位、じゃがいもで11位、テンサイで14位を占める。

 ベラルーシは2021年1~8月に世界86の国に食料輸出を行った。主な内訳は、ロシア78.2%、カザフスタン5.1%、ウクライナ3.8%など。


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 個人的に、ベラルーシ政治経済体制の暗部について論じることが多いが、経済のすべてが破綻しているわけではない。上図に見るテレビ生産台数などは、ここ数年好調である。

 ベラルーシのテレビ生産は、デジタル家電ブームを受け、2000年代の半ばに大幅な伸びを見せた。国内市場規模の小さなベラルーシのこと、生産の大部分はロシア向けの輸出であった。そこには外国ブランド品のノックダウン生産も含まれていた。

 しかし、ロシアにLG、サムスンという韓国系メーカーの工場が完成すると、両社の製品がロシア市場を席巻するようになり、ベラルーシのテレビ生産はじり貧となった。2015年だったか、ベラルーシの工場におけるテレビ生産が完全にストップしたという情報が流れ、ソ連時代以来の伝統を誇るベラルーシのテレビ生産も終焉の時を迎えたかと思われたものである。

 ところが、その2015年を底として、テレビ生産台数は目覚ましい回復を示していった。2020年の生産台数137万台は、過去最高だった模様である。そして、こちらの資料によると、2021年に入っても好調は続いており、1~8月だけですでに98万台のテレビが生産され、これは前年同期の1.4倍だという。

 目下ベラルーシのテレビ生産が、少なくとも台数の伸びを見る限り、なぜこれほど好調なのか、個人的にはまだ把握できていない。そのうち調べてみたいと思う。


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