ロシア・ウクライナ・ベラルーシ探訪 服部倫卓ブログ

ロシア・ウクライナ・ベラルーシを中心とした旧ソ連諸国の経済・政治情報をお届け

カテゴリ:音楽・映画・番組鑑賞 > 60年前のBillboard

 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 ビートルズを筆頭とするブリティッシュインベイジョンの時代に差し掛かりつつあったこの頃。地元アメリカ勢で気を吐いていたのがモータウンであり、またビーチボーイズだった。そして、もう一つ忘れちゃいけない。フォーシーズンズもまだ健在。Four Seasons - Dawn (Go Away) は、ビートルズの壁に阻まれて3位が最高だったが、大ヒットには違いない。

その頃ソ連では
1964年3月6日:ウクライナの画家、演劇人、グラフィックデザイナー、アナトーリー・ペトリツキー氏がキーウで逝去。享年70歳。1920年代にウクライナ演劇が形成された当時、彼は前衛的で革新的な舞台美術家であり、伝統文化と現代性を有機的に結びつけ、ウクライナ演劇の発展を決定づけた。

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 さて、42位にThe Beatles - My Bonnieというのが入っており、「あれ、ビートルズにそんな曲あったっけ?」と思ったのだが、確認したところこれはイギリスのトニー・シェリダンという歌手が1960年代初頭にハンブルグで無名時代のビートルズをバックに録音した曲であり、それをついに全米で爆発したビートルズ・ブームにあやかって、「ビートルズ名義」で発売したということらしい。

その頃ソ連では
1964年2月2日:インスブルック冬季オリンピックで、ソ連のスピードスケート選手リディア・スコブリコヴァが4つ目の金メダルを獲得。一回の冬季五輪で4つの金メダルを獲得した初の女性に。

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 さて、今週20位で、最終的には12位まで上がるのが、「二人だけのデート」の邦題でお馴染み、Dusty Springfield - I Only Want To Be With Youである。ただ、日本ではベイ・シティ・ローラーズの1976年のカバーで知ったという人が多いか(かく言う私もそう)。

その頃ソ連では
1964年2月22日:有名なソ連映画「怒りと響きの戦場(Живые и мёртвые)」が公開される。

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 さて、今週もビートルズの話題に触れざるを得まい。というのも、ちょうど60年前の1964年2月9日、4人は初めてエド・サリヴァン・ショーに出演し、全米7,000万人がそれを目撃したことで、いよいよ人気が大爆発するからだ。それを記念して、その晩も演奏されたというShe Loves You(赤丸急上昇で今週3位)を、今回は推しておくことにする。ただ、スワン・レーベルっていうのが、何とも。。。

その頃ソ連では
1964年2月5日:1964~1969年ソ連・イタリア通商協定締結。

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 さて、ビートルズ・ブームが爆発しようとしていたこの頃、ローリング・ストーンズは米市場では若干遅れを取っていた。そのストーンズが後年カバーすることになるのが、この週44位に位置していたBob & Earl - Harlem Shuffleだった。ハーレムシャッフルというのは、当時あったダンスのパターンらしく、この歌はHarlem Shuffleのみならず、この時代のMonkey Shine、Limbo、Hitch hike、Slide、Ponyといったダンス名を列挙するような歌詞になっている。

その頃ソ連では
1964年2月7日:ウズベク共和国でカシカダリヤ州が再興される。

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 さて、ついにビートルズの I Want to Hold Your Handが米チャート1位にまで駆け上がった、この週。ただ、同曲は先々週にすでに取り上げてしまったので、今週は別のネタを。Ronettes - Baby, I Love You が24位にいるではないか。Be My Babyほどのメガヒットにはならず、この24位が最高位ではあったが、Baby, I Love You の方が好き、これぞアメリカンオールディーズの最高傑作と見るマニアも多いのではないか。

その頃ソ連では
1964年2月8日:カザフ共和国パヴロダル州でゲルマン・グレフが生誕。後に、ロシア経済発展大臣、ズベルバンク頭取に。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、ビートルズが米チャートに殴り込みをかけようとしていたこの時期、Hot 100には多数のタムラ・モータウン系のヒット曲がチャートインし、英国勢を迎え撃とうとしていた。そんな中で、個人的にとても好きなのが、今週42位の Miracles - I Gotta Dance To Keep From Crying である。リーダーのスモーキー・ロビンソンは自らも超優秀なソングライターでありながら、こうやってHDHの曲を歌っても最高なのであった。

その頃ソ連では
1964年1月:ロシアのブリヤートでエルマコフ蛍石・ベリリウム鉱床が発見される。

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 さて、ついにこの日がやってきた。米ビルボードHOT100に、ビートルズが初めてチャート入りしたのである。今週45位の I Want To Hold Your Hand がそれである。もう無邪気なだけのアメリカじゃいられない。

その頃ソ連では
1964年1月21日:ソ連とキューバ、砂糖の供給に関する長期協定に調印。

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 来週、ビルボードのチャートに大事件が起きるのだが、それは来週のお楽しみとして、今週は22位と赤丸上昇中のDionne Warwick - Anyone Who Had A Heartに耳を傾けてみようか。ディオンヌ・ワーウィック&バート・バカラックの黄金コンビによるヒット曲のなかでも、とりわけ名曲と言えよう。

その頃ソ連では
1964年1月1日:イルクーツク州でアンガルスク電解化学プラントの建設および試運転が完了。原子力部門の重要企業。

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 さて、年をまたいだこの週のチャート。激動の1964年が幕を開けるわけだが、そんな週にトップを飾ったのは、意外にもどちらかというとオールドスクールのBobby Vinton - There! I’ve Said It Againだった。ボビー・ヴィントンは個人的に好きなつもりなのだけど、正直この曲は今までほとんど認識がなかったな。

 PS:画像の解像度を少し変えてみたのだけど、いかがでしょうか。

その頃ソ連では
1964年1月1日:ソ連で外国人向けの外貨商店「ベリョースカ」がオープン

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 1963年12月26日、米キャピトルレーベルが"I Want to Hold Your Hand" / "I Saw Her Standing There" をリリースし、これでビートルズが米デビューを果たした。しかし、それがチャートインするのは、まだ先の話である。

 さて、大ヒットとは行かなかったが、隠れた名曲、Beach Boys - In My Roomが今週27位に着けており、人気が定着した感がある。サーフィン&ホッドロッドだけでなく、こうした内省的な作風でも初期から光っていたわけで、後の路線を予感させる。

その頃ソ連では
1963年12月24日:ベラルーシ共和国ミンスクで「共和国芸術展示場」が開設される

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 今週3位に着けているCaravelles - You Don’t Have To Be A Baby To Cryは、個人的に今まであまり認識していなかったかな。英国の女性デュオによる囁き系の爽やかな一曲で、ビートルズらによる本格的なブリティッシュインベイジョンに先駆けたヒットと言えようか。曲自体は1950年代にヒットしたもののカバーのようだ。

その頃ソ連では
1963年12月19日:ソ連がザンジバルと外交関係樹立(ザンジバルは翌年に大陸部のタンガニーカと合併してタンザニア連合共和国を樹立)。

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 さて、先日お伝えしたとおり、1963年のアメリカ年の瀬は、ケネディ大統領が暗殺される大事件が起き、打ちひしがれていた。せっかく出したフィルスペクターのクリスマスアルバムも、自粛ムードであまり売れなかったと聞いたことがある(あれが売れれば本人もあんなにひねくれなかったのに…)。

 チャートに目を転じると、趣味丸出しで申し訳ないが、個人的には23位で赤丸急上昇中、Martha & the Vandellas - Quicksandを大いに推したい。今般、以前友達にあげてしまったヴァンデラスのベスト盤を買い直したりしたものだから、個人的にもそのモードだ。「クイックサンド」って、何のことか長年知らなかったけど、流砂、そこから転じて抜けられない危険な状況のことだったのか。

その頃ソ連では
1963年12月9日:ソ連とブルガリアが遠洋漁業の技術支援に関する政府間協定調印

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、今週チャートのトップに立ったThe Singing Nun - Dominiqueは、文字通りベルギー出身の尼さんたちが歌うという、変わり種のヒット曲だった。ただ、その清らかな歌声に反したソラミ…(自粛)

その頃ソ連では
1963年12月1日:ウズベク共和国のウルタブラク・ガス田で天然ガス噴出事故が発生。フレアは3年間(1,064日間)燃え続け、フレアの高さは70mに達し、燃焼ガス量は1日あたり1,200万立米に及んだ。

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 今週10位と、すでに下降気味なのが、Elvis Presley - Bossa Nova Baby。かつてのような圧倒的な人気にはやや陰りが見え、この曲も7位が最高だったが、今聴くとグルーブは当時のヒット曲の中で群を抜いている。この時期のエルヴィスは主演映画に精を出す加山雄三的な存在で、この曲も「アカプルコの海」という映画の劇中歌だった。

その頃ソ連では
1963年11月27日:ソ連とチェコスロバキア、1943年12月12日の友好・相互援助・戦後協力条約の延長に関する議定書に調印。

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 さて、この週の米国では、とんでもないことが起きた。11月22日に南部ダラスでJ.F.ケネディ大統領が暗殺されたものである。その週に1位だったのが、Dale & Grace - I’m Leaving It Up To Youという曲だった。一瞬、「政治的大事件とは縁遠い、何の変哲もない曲が1位だったんだな」と思いかけたのだが、こちらのサイトに、次のような興味深い記述があった。

 曲はジョン・F.・ケネディ大統領がテキサス州ダラスで暗殺された時に、ビルボード・ホット100チャートで1位になった曲で、デールとグレースは殺人事件の日にダラスにいました。デュオはその夜、ディック・クラークの『キャラバン・オブ・スターズ』に出演予定で、ケネディ大統領の暗殺直前にホテル近くの見晴らしの良い場所から大統領の車列に手を振ったということです。『キャラバン・オブ・スターズ』は、暗殺当日と次の夜のオクラホマのショウもキャンセルになりました。

その頃ソ連では
1963年11月23日:レニングラードで第31回チェス大会開幕。

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 大して良い曲とも思えないSugar Shackが長らくトップに居座っていたが、ようやく順位の変動があった。April Stevens - Deep Purpleが、1位奪首に成功したものである。しかし、この曲もまた、大して印象的でもない。調べたら、自分の音楽ライブラリに入ってはいたが、まったく認識に無い曲だった。白人の兄・妹(姉・弟かもしれん)デュオが、古い曲をリバイバルさせてヒットしたものらしい。

その頃ソ連では
1963年11月16日:ソ連で人工衛星コスモス22号が打ち上げられる。

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 さて、今週のチャートを眺めると、カーティ・メイフィールド率いるシカゴのR&Bグループ、Impressions - It’s All Right が4位に着けている。もちろん、曲としては以前から親しんできたが、そんな大ヒット曲とは認識していなかった。インプレッションズでポップチャートのベスト5以内に入ったのは、これが唯一だったようだ。

その頃ソ連では
1963年11月11日:ソ連で人工衛星コスモス21号が打ち上げられる。

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 今週72位でチャートを上昇中なのが、Marvin Gaye - Can I Get A Witness である。今聴くと、割とよくあるゴスペルのパターンを踏襲した曲ではあるのだが、それを洗練されたポップチューンに仕上げるところは、さすがHDHという気がする。

その頃ソ連では
1963年11月1日:ソ連が宇宙で操縦可能な初の人工衛星パリョート1号を打ち上げ。

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 さて、男2人・女1人のトリオ「ピーター・ポール&マリー」は、当時の反戦および公民権運動の流れに乗り、ヒットを連発していた。今週9位のPeter Paul & Mary - Don’t Think Twice It’s All Rightは、「くよくよするなよ」の邦題で知られるボブ・ディラン作品。このPPMのシングルバージョンは、最初のLP版にあった長いギターイントロをカットしたものらしい。

その頃ソ連では
1963年10月24日:ドイツ占領時代に数千人のソ連人を死亡させた罪で有罪判決を受けたゾンダーコマンド10-Aの9人の幹部に対する公開裁判がクラスノダルで終了。被告は全員死刑を宣告された。

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 さて、今週17位に位置しているThe Village Stompers - Washington Squareは、日本では「ワシントン広場の夜は更けて」の邦題でお馴染み。ボーカルバージョンも知られているが、このEpic 9617はインストバージョンだったようだ。おそらくこの曲がヒットしたためと思われるが、日本の洋楽界ではこのあと二匹目のドジョウを狙って、「モスコーの夜は更けて」など、世界のあちこちの夜を更けさせることになる(もしかしたら順番が逆かな? 分からん)。

その頃ソ連では
1963年10月18日:ソ連がコスモス20号(偵察衛星ゼニト2)打ち上げ。

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 さて、アメリカンオールディーズの七不思議と言おうか、歴史的金字塔とも言うべきRonettes - Be My Babyは、ビルボードでは1位になれなかった。この週の2位がピークである(キャッシュボックスでは1位になったが)。それを阻んだのは、Jimmy Gilmer & The Fireballs - Sugar Shackというさして印象的でもない曲であり、よほど気前良く賄賂でもはずんだのだろうか???

その頃ソ連では
1963年10月17日:ソ連とアフガニスタン、アフガン北部における天然ガス採掘支援に関する協定調印。

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 さて、まだチャート上昇途上ではあるが、今週16位に着けているのが、Roy Orbison - Mean Woman Bluesである。この曲を演ったのはロイ・オビソンが初めてというわけではなく、エルヴィスが世に出しジェリー・リー・ルイスも取り上げてはいた。まあ、ただ、ロイのバージョンは、別の曲と言っていいほど、雰囲気はだいぶ異なる。

その頃ソ連では
1963年10月5日:1963年10月8日:ソ連を踏襲し、白ロシア・ソビエト社会主義共和国も部分的核実験禁止条約を調印。

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 さて、この週の27位がチャートのピークではあったが、Ruby & the Romantics - Hey There Lonely Boyは、隠れた人気曲ではないか。1969年にEddie Holman が Hey There Lonely Girl としてカバーしたバージョンはさらに大ヒットし、それを山下達郎がライブで取り上げることにもなる。

その頃ソ連では
1963年9月30日:アルジェリアの指導者ウアリ・ブーメディアンが訪ソ。9,000万ルーブルの融資を供与。

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 いやはや、超名曲が来ましたね。今週1位は、Bobby Vinton - Blue Velvet以前もボビーのBlue On Blueを取り上げたけど、Blueシリーズというべきか、立て続けに青色の大ヒットを放った。なお、Blue Velvet自体は1950年代初頭から歌われているスタンダードで、トニー・ベネットが歌ったのが最初だったのかな。

その頃ソ連では
1963年9月7日:ロシア正教会の宗教作家、ニーコン(ヴォロビヨフ)が逝去。

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 さて、Beach Boys - Surfer Girlは、この週の7位がピークだったようだ。ビーチボーイズが来日コンサートをやった時に、ライブでも聴いたことがあるが、幕張の夏空に溶けていくような響きが心地よかった。

 なお、B面はLittle Deuce Coupeという、これまた大名曲。「AB面で世界最強の組み合わせを一枚挙げよ」と問われたら、このCapitol 5009を挙げる人はかなりいるのではないか。

その頃ソ連では
1963年9月19日:ソ連最高会議幹部会の決定により、カザフ共和国の400万ヘクタールの土地をウズベク共和国に割譲。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、今週はGordyレーベル(要するにモータウン)が初期に放ったヒット曲、HDHチームにとっても大出世作となったMartha & the Vandellas - Heat Waveを聴いてみよう。個人的にも、人生を変えられた一曲と言って過言でないのだが(まだ生まれおらず、聴くことになるのは20余年後)、その割にはこの曲のオリジナルシングル45は持っていない。上掲のYouTubeはオリジナル盤からの板起しのはずである。後のベストCDに収録される音源は、やたらとエコーが深かったりして改変されている印象なのだが、個人的にはこのオリジナルの響きが好きだ。なお、この曲の正式タイトルは、 (Love Is Like A) Heat Waveというはずなのだが、レコードの盤面にも、ビルボードの誌面上も、それが見当たらず、いつから(Love Is Like A) の部分は加わったのだろうか?

その頃ソ連では
1963年8月30日:「ホットライン」の電話機が米ホワイトハウスのオーバルオフィスとソ連のクレムリンの双方に設置される。

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 さて、今週見事1位に輝いたのは、白人少女3人組、Angels - My Boyfriend’s Backである。オールディーズファンならどなたでも好きであろうというこの曲。しかしアメリカの時代も変わり目で、サウンド的にも内容的にも、こういう無垢な曲はそろそろ最後かな。今回初めて聴いたが、B面は (Love me) Nowという曲らしい。

その頃ソ連では
1963年8月20日:ソ連とヨルダンが外交関係樹立。

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 さて、アメリカでは公民権運動とベトナム戦争が重なり、ポピュラー音楽の世界も、このあたりから急激に政治色を帯びてくるわけである。1963年8月28日には、ワシントン大行進が行われ、キング牧師が有名な「私には夢がある」演説を行うことになる。そんな時代背景の中、ちょっと取り上げるタイミングを逸してしまい、チャート上はもう下降線だが、今週6位に位置しているのが、Peter Paul & Mary - Blowin’ In The Windだった。まだスターになる前のボブ・ディランが、“No More Auction Block”という黒人霊歌に独自の詩を付けたものだった。

その頃ソ連では
1963年8月10日:これ以降、ソ連とダホメ王国(後のベナン共和国)の外交関係は、在トーゴ・ソ連大使館が担うこととなる。

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 あれ、今号から、ビルボードのフォント変わった? 横広の文字になったね。しかし、分厚い本が1960年代の半ばに差し掛かり、ますますコピーしにくくなって、端の方が不鮮明になりがちな点、ご容赦を。

 さて、今週23位に位置しているのが、Gene Pitney - True Love Never Runs Smoothという佳曲である。これもDavid-Bacharachが残した数ある名曲の一つ。Petula Clarkのカバーの方を推す声もチラホラ。

その頃ソ連では
1963年8月9日:休暇中だったソ連の最高指導者フルシチョフ、核兵器禁止条約に署名するためにモスクワを訪れていたラスク米国務長官と別荘で会談。

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