ロシア・ウクライナ・ベラルーシ探訪 服部倫卓ブログ

ロシア・ウクライナ・ベラルーシを中心とした旧ソ連諸国の経済・政治情報をお届け

カテゴリ:音楽・映画・番組鑑賞 > 60年前のBillboard

 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、結局1位にはなれず、今週の3位がピークだったが、Crystals - Da Doo Ron Ron (When He Walked Me Home) は、アメリカンオールディーズ、ガールグループもののアンセム的な位置付けの名作であろう。鬼才フィル・スペクターの怨念が爆発したような曲だ。個人的には、こういうパワーのあるガールグループサウンドと、モータウンサウンドとの連続性を感じるのだが(サックスの間奏とか特にそう)、どうだろうか。

その頃ソ連では
1963年6月4日:キューバでの農業技術者養成センター開設を支援するためのソ連・キューバ間の協定。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、チャートの下の方を見ると、オーティス・レディングのスタックスからのデビュー曲(だよね?)、Otis Redding - These Arms Of Mineが85位に着けている。前年秋に発売されてから、半年以上をかけてようやくトップ100にたどり着いたが、ポップチャートではこの85位が最高だったようだ(R&Bチャートでは20位まで上昇)。ソウル史上最大の偉人とされるが、個人的にはこの曲が一番好きである。それにしても、キュー・サカモトとオーティスのデビュー曲を同じチャート上で眺めるのは、不思議な気分である。

その頃ソ連では
1963年5月:ベラルーシ共和国のミンスク・エンジン工場が生産を開始。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、今週11位と絶賛スマッシュヒットを記録中なのが、Dartells - Hot Pastrami である。パストラミというのはパンに挟んで食べたりする肉の食材のことだが、ジェイムス・ブラウンの諸作ように、食べ物名をひたすら連呼するだけというような曲が、この時代のヒット曲には結構あったようだ。

 そんな中、あの歌が今週20位まで迫ってきている。何だかハレー彗星を眺めているような気分だ。

その頃ソ連では
1963年5月23日:キューバのフィデル・カストロ氏にソ連邦英雄の称号が授けられる。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、今週チャートの1位に駆け上ったのが、Jimmy Soul - If You Wanna Be Happy という曲。はっきり言って、曲も、アーティストも、ついでに言えばS.P.Q.R.というレーベル名も、全部初耳だった。ナンバーワンソングでも、まだまだ自分が知らない曲もあるものである。ただ、自分の音楽ライブラリーを調べてみたら、しっかり入っていたという、いつものパターン(アメリカン・オールディーズのコンピに収録されていたようだ)。今聴くと、他愛ない曲という感じもして、むしろこの週のチャートの他の曲で、「こっちの方がナンバーワンにふさわしいのに」と思える曲がチラホラ。

その頃ソ連では
1963年5月23日:キューバのカストロ首相のソ連友好訪問を締め括るソ連・キューバの共同声明。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、今週7位で赤丸急上昇中のSurfin' USAに目が行きがちだが、それではベタすぎるので、あえてそのB面曲、今週49位でこちらも上昇中のThe Beach Boys - Shut Downを聴いてみようか。リンクを貼った動画は、歌詞付きであり、耳タコができるくらい聴き込んできたきたこの曲の歌詞を初めて見たが、歌詞を見ても、どういう内容の歌なのか、さっぱり分からない。改造車でぶっ飛ばすホットロッド文化を歌ったものであることは間違いないのだが、耳慣れない単語や表現ばかりで、チンプンカンプンだ。

その頃ソ連では
1963年5月11日:米国でソ連のスパイ、ルドルフ・アベルが逮捕される。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、今回は珍しく、エレキインストを取り上げてみようか。Chantays - Pipelineは、この週の4位が最高位だったようだ。この曲は、後にベンチャーズがカバーし、日本ではシングルヒットもしたので、日本ではベンチャーズの曲として認知されているのではないか。ベンチャーズ版は米英ではシングルカットもされなかったので、チャートには登場しなかった由だ。

その頃ソ連では
1963年4月27~5月24日:キューバのカストロ首相がソ連訪問。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて今週No.1は、Little Peggy March - I Will Follow Him。個人的にも非常に耳馴染みはあるが、素性は良く知らなかった。この時、ペギー・マーチは実に15歳(リトルだけに)。曲自体は、1961年にフランスで作られた“Chariot”がオリジナルであり、それをイギリスでペトラ・クラークがレコーディングしたものが最初で、そのカバーだったらしい(YouTubeの解説欄より)。

その頃ソ連では
1963年4月13日:ベラルーシ共和国のミンスクでベラルーシ国立フィルハーモニーのコンサートホールが完成し、パイプオルガンが設置される。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、Andy Williams - Can’t Get Used To Losing Youは、この週の2位がピークだったか。実を言うと、あまりにも色んな人がカバーしていて、誰がオリジナルなのか知らなかった曲なのだが、アンディ・ウイリアムスだというのを、今回初めて知った。

その頃ソ連では
1963年4月13日:人工衛星「コスモス14号」がロシア南部カプースチン・ヤール基地から打ち上げられる。後にメテオールとして運用される気象衛星シリーズの最初のテストであった。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 4月11日にはビートルズのFrom Me to Youが初の英チャート入りしたということだが、アメリカに飛び火するにはまだしばらく時間がかかる。

 さて、そんな週のチャート、真ん中あたりを見ると、Exciters - He’s Got The Power がいるではありませんか。以前も同じグループのTell Himを取り上げたはずだが、それと並ぶ2大ヒット曲。オールディーズも曲によっては古臭いと感じるものも少なくないが、エキサイターズは令和の(?)今聴いてもサイコー。だいぶあとになり、1969年のBlowing Up My Mindは、たぶんあまり売れてはいないと思うが、ノーザンの大傑作としてマニアの間で有名。

その頃ソ連では
1963年4月3日:ソ連共産党中央委員会から中国共産党中央委員会への3月30日付書簡が公開される。5月15日にモスクワで首脳会談を行うことを提案した内容。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、この曲は1位になるだろうから、その時に取り上げようと思っていて、実は1位にならず、取り上げるタイミングを逸してしまったのが、今週3位のSkeeter Davis - The End Of The Worldである。もう30年前くらいになるが、とある事情で、この曲の音源が欲しくて、池袋界隈のCD屋をくまなく彷徨ったが、結局見付けられなかったということがあった。今ではYouTubeでワンタッチ、信じられない時代である。まあ、でも、歌は正直、カーペンターズのカレンの方が良いかな。Johnny Angelが竹内まりやの方が良いのと同じ原理だ。

その頃ソ連では
1963年4月2日:バイコヌール宇宙基地から打ち上げロケット「モルニヤ」が打ち上げられ、自動惑星間ステーション「ルナ4」を月軌道に乗せる。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 今週、見事1位に輝いたのが、Laurieレーベルが送り出した黒人ガールグループ、Chiffons - He’s So Fineだった。後に、ビートルズ脱退後にジョージ・ハリスンが作った My Sweet Lord が、この曲のパクリだとして大問題になる、いわくつきの作品として知られる。

その頃ソ連では
1963年3月23日:ソ連映画委員会が設置される。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 1963年3月22日、ビートルズがファーストアルバム「Please Please Me」(正確にはそのモノラル盤)を発表するという、世界のポップス史上重要な出来事があった。ただし、そんなものがすぐに米HOT 100に反映されるはずはなく、まだ米チャートは嵐の前の静けさといったところ。

 そんな中、今週トップに立ったのが、ボーカルグループ、Ruby & the Romanticsのデビューヒット、Our Day Will Comeだった。女性ボーカルをフィーチャーしたボサノバもの。色んな人が取り上げているスタンダード的な曲だけど、正直言うとこのRuby & the Romanticsがオリジナルだとは知らなんだ。これもつい先日取り上げたばかりのJohnny Cymbal - Mr. Bass Manと同じKAPPレーベルか、すごい勢いだな。

その頃ソ連では
1963年3月21日:ソ連が人工衛星「コスモス13号」を打ち上げ。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、チャート的にはこのあともうちょっと上がるのだが、今週37位に位置していたのが、Johnny Cymbalの有名曲、Mr. Bass Manだった。改めて見ると、この曲、ジョニー・シンバルの自作曲だったのか。音楽的才能のある人だったんだな。また、KAPPというレーベルも初めて知った。

その頃ソ連では
1963年3月13日:1923~1932年に存在したソ連最高国民経済会議が再び創設される。議長にはD.ウスチノフ。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、アメリカンオールディーズを代表する一曲、Cascades - Rhythm Of The Rain も、この週の3位が最高位だったか。ただ、息長く売れて、年間チャートでも上位だったと、先日別の方から教えていただいた。ポピュラー音楽にサウンドエフェクトを加えて成功した代表例と言えるかもしれない。

その頃ソ連では
1963年3月13日:ソ連がクウェートを国家承認。1961年6月に独立していた。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、今週1位に駆け上ったのが、Four Seasons - Walk Like A Man である。前年のSherryに始まり、Big Girls Don't Cry と続いて、3連続ナンバーワンソングの最後を飾るのがこの曲だった。破竹の勢いとはまさにこのこと。

 しかし、元の本が、特に赤丸急上昇の曲は太字の部分がにじんでしまっていて、非常に見づらい点、ご容赦を。

その頃ソ連では
1963年3月9日:2月21日付のソ連共産党書簡に対する中国共産党の回答が公開される。中国側は、溝を埋めるための会議を招集し、批判を取り止め、自らの見解を示すことに同意。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、今週8位には、Eydie Gorme - Blame It On The Bossa Novaがランクインしている。オールディーズファンには人気で、今聞いてもおしゃれでいかした曲だ(あんまりボサノバっぽくないような気もするが)。Mann & Weilのコンビによる曲だというのは、初めて知った。

その頃ソ連では
1963年2月22日:ソ連・ブルガリア間で技術協力・工業企業建設・拡張に関する協定が締結される。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、アメリカポップス史に輝く偉大な作曲家であるバート・バカラック氏が、このほどお亡くなりになった。今週は追悼の思いを込めて、David & Bacharach 作、35位の Dionne Warwick - Don’t Make Me Over を聴いてみることにしよう。これ以降、この組み合わせで数限りないヒット曲を生み出すことになるが、その第一歩が同曲であった。

その頃ソ連では
1963年2月10日:中ソ対立激化。スターリングラード攻防戦勝利記念日に際してフルシチョフがフランステレビ局に語った発言がソ連で発表される。ドイツ社会主義統一党大会における中国共産党の発言を批判。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、今週晴れて1位に輝いたのが、Paul & Paula - Hey Paulaである。ベタすぎて少々恥ずかしいが、アメリカンオールディーズを代表するこの1曲を取り上げないのも逆に不自然なので、拝聴しておくことにしよう。デビュー作にしてナンバーワンになったわけだが、以降は尻すぼみで、この男女デュオはほぼ一発屋に近い形で消えていく。

その頃ソ連では
1963年2月5日:ソ連でウズベク、キルギス、タジク、トルクメンの各共和国から成る「中央アジア経済地区」が創設される。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 良く見たら、チャートの中ほど、52位に、私の大好きなMarvelettes - Strange I Knowがいた。「マーヴァレッツに外れ無し」という格言があるが(私が作った)、その中でも、今聴いて一番染みるのが、こうした曲かもしれない。最高位は前の週の49位で、決して大ヒット曲ではないのだが。

その頃ソ連では
1963年2月1日:ソ連で新たな行政区画が導入され、州内の地区が農業地区と工業地区に区別される。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、芸がないようだが、今週は1位のRooftop Singers - Walk Right In を取り上げさせていただく。耳なじみはあるが、これまで素性はよく知らなかったので、調べてみたところ、この曲自体はもともと1929年に出来た古いもので、それをフォークグループのルーフトップシンガーズが取り上げて大ヒットさせたものということである。ヴァンガード・レーベルというのは、個人的に初めて知ったな。

その頃ソ連では
1963年1月20日:中国共産党の代表団、ドイツ社会主義統一党の党大会でソ連共産党を批判。

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 さて、No.1ソングであるにもかかわらず、今週1位のSteve Lawrence - Go Away Little Girlは、これまで個人的に注意を払ってこなかった曲だった。自分の音楽ライブラリをチェックしてみると、一応音源としては持っていたようなので、聴いたことはあるはずなのだけど、あまり印象になかったな。このGo Away Little Girl、実は先週取り上げたDrifters - Up On The Roofと同じく、Goffin & Kingの作詞作曲による曲である。

その頃ソ連では
1963年1月10日:トルクメン共和国のマルィ州が廃止される。

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 さて、超のつく名曲で、個人的にも大好きなDrifters - Up On The Roofがチャートを駆け上がっており、この週には16位だった。キャロル・キング&ジェリー・ゴフィンの作詞作曲。リードボーカルは、ベン・E・キングはカネで揉めてすでに抜けており、ルディ・ルイスが担当。

その頃ソ連では
1963年1月7日:ソ連共産党機関紙『プラウダ』に、アルバニア指導部を批判する記事が掲載されるも、中国との不一致には触れず。

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 さて、ぜひご紹介したいのが、(まだチャートは上がるのだが)今週10位に位置しているExciters - Tell Him である。この時代のガールポップは、白人ものはボーカルが弱々しい曲も多いのだが(それが魅力だったりもするが)、このエキサイターズのリードボーカル嬢はパワフルな黒人ガールで、とても聴き応えがある。

 というわけで、今年のBillboard Hot 100はこれでおしまい。ブログ更新自体、今年はこれが最後だろう。今年1年お世話になりました。皆様良いお年をお迎えください。

その頃ソ連では
1963年1月3日:ソ連製旅客機イリューシン62の初飛行。しかし、ソ連にとって初の大型ジェット旅客機だったことから、その後量産に移行するまでは時間を要すこととなる。

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 さて、ホリデーシーズンなので、今週はクリスマスソングが何曲がチャートを賑わせている。有名なBing CrosbyのWhite Christmasも、今週38位と、もう何度目か分からないくらいのチャートインを果たしている。しかし、ウィキのこちらの記事に見るとおり、1963年からビルボードはクリスマスソングをHot 100には入れず、Billboard Christmas Holiday Chartというものを別途設けたので、このようにクリスマスソングがHot 100を賑わせたのはこの1962年が最後だったということになる。

その頃ソ連では
1962年12月26日:A.ストルエフがソ連政府の商業国家委員会議長に就任。これ以降、後の商業省大臣の時代も含め、実に20年以上閣僚を務める。

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 さて、今週チャートのトップにまで駆け上がったのが、Tornadoes - Telstarである。ウィキペディアの丸写しになるが、トルネイドースは英国のバンド(くしくもレーベル名は「ロンドン」)。このインスト曲は、1962年に「テルスター衛星」が打ち上げられたことを記念して製作された。英国内チャートだけでなく、英バンドとして史上初めて米Billboard Hot 100で1位を獲得する空前の大ヒット曲となり、後にザ・ベンチャーズもカバーした。

その頃ソ連では
1962年12月26日:D.クナエフがカザフ共和国閣僚会議議長(首相)に就任。

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 さて、実はこれからまだチャートを上がる曲なのだが、今週33位のMary Wells - Two Loversを取り上げてみたい。曲の作者は、自身もミラクルズのリーダーとしてモータウンの中心アーティストだったスモーキー・ロビンソンである。スモーキーに関しては、かのボブ・ディランが「アメリカ一の詩人」と称えたこともある。ノーベル文学賞が「アメリカ一」と言うのだから、それだけ凄い詩人ということだろう。このTwo Loversという曲は、「自分には恋人が2人いる」と歌い出し、二股を思わせたところで、実はそれは貴方という恋人の二面性なのというオチが最後につくという、さすがという構成のポップソングとなっている。

その頃ソ連では
1962年12月19日:モルダビア共和国ルィブニツァ市が共和国直轄都市となる。

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 さて、今週は、50位にいる Tony Bennett - I Left My Heart In San Francisco を聴いてみたくなった。なかなか良いムードの曲だ。

 Scott McKenzie - San Francisco (Be Sure To Wear Flowers In Your Hair) Jeanette MacDonald - San Francisco と合わせ、サンフランシスコ3大ご当地ソングと言うとか、言わないとか。

その頃ソ連では
1962年12月1日:モスクワの美術展を訪問したフルシチョフ、抽象派の若手芸術家たちの作風を酷評。

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 上位の分厚い壁に阻まれてトップこそ逃したが、今週3位と大ヒットを記録しているのが、ガールポップの佳曲として知られる Marcie Blane - Bobby’s Girl である。個人的に、曲は以前から馴染みがあったが、Seville Recordsというレーベルは今回初めて知った。Sevilleというのはスペインの有名な都市のことだから、セビリア・レコーズと読めばいいのかな。こういう中小レーベルでも大ヒットを出せるのが、当時のアメリカの夢があるところだ。

その頃ソ連では
1962年11月19~23日:フルシチョフ政権、党と国家機関を鉱工業部門と農業部門に分離する改革を実施。

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 さて、今週11位で赤丸急上昇となっているのが、Herb Alpert & the Tijuana Brass - The Lonely Bull である。曲自体は他愛ない感じもするが、A&Mレーベルはまさにこの年1962年に設立され、後にソフトロック、洗練ポップの一大勢力となることを思うと、記念すべき第一歩という感じがする(この曲が初チャートインだったのかとかは未確認)。

その頃ソ連では
1962年11月14日:第24回ソ連サッカーリーグが閉幕。一部リーグの優勝はスパルタク・モスクワ。

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 さて、つい先日までFour Seasons - Sherryがチャートのトップに居座っていたと思ったら、早くも次のシングルが1位まで駆け上ってきた。Four Seasons - Big Girls Don’t Cryがそれである。Vee Jayレーベルもウハウハであろう。

その頃ソ連では
1962年11月18日:『ノーヴィミール』誌にA.ソルジェニーツィンの「イワン・デニソヴィチの一日」が掲載される。

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