ロシア・ウクライナ・ベラルーシ探訪 服部倫卓ブログ

ロシア・ウクライナ・ベラルーシを中心とした旧ソ連諸国の経済・政治情報をお届け

カテゴリ:音楽・映画・番組鑑賞 > 60年前のBillboard

 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、この週の27位がチャートのピークではあったが、Ruby & the Romantics - Hey There Lonely Boyは、隠れた人気曲ではないか。1969年にEddie Holman が Hey There Lonely Girl としてカバーしたバージョンはさらに大ヒットし、それを山下達郎がライブで取り上げることにもなる。

その頃ソ連では
1963年9月30日:アルジェリアの指導者ウアリ・ブーメディアンが訪ソ。9,000万ルーブルの融資を供与。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 いやはや、超名曲が来ましたね。今週1位は、Bobby Vinton - Blue Velvet以前もボビーのBlue On Blueを取り上げたけど、Blueシリーズというべきか、立て続けに青色の大ヒットを放った。なお、Blue Velvet自体は1950年代初頭から歌われているスタンダードで、トニー・ベネットが歌ったのが最初だったのかな。

その頃ソ連では
1963年9月7日:ロシア正教会の宗教作家、ニーコン(ヴォロビヨフ)が逝去。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、Beach Boys - Surfer Girlは、この週の7位がピークだったようだ。ビーチボーイズが来日コンサートをやった時に、ライブでも聴いたことがあるが、幕張の夏空に溶けていくような響きが心地よかった。

 なお、B面はLittle Deuce Coupeという、これまた大名曲。「AB面で世界最強の組み合わせを一枚挙げよ」と問われたら、このCapitol 5009を挙げる人はかなりいるのではないか。

その頃ソ連では
1963年9月19日:ソ連最高会議幹部会の決定により、カザフ共和国の400万ヘクタールの土地をウズベク共和国に割譲。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、今週はGordyレーベル(要するにモータウン)が初期に放ったヒット曲、HDHチームにとっても大出世作となったMartha & the Vandellas - Heat Waveを聴いてみよう。個人的にも、人生を変えられた一曲と言って過言でないのだが(まだ生まれおらず、聴くことになるのは20余年後)、その割にはこの曲のオリジナルシングル45は持っていない。上掲のYouTubeはオリジナル盤からの板起しのはずである。後のベストCDに収録される音源は、やたらとエコーが深かったりして改変されている印象なのだが、個人的にはこのオリジナルの響きが好きだ。なお、この曲の正式タイトルは、 (Love Is Like A) Heat Waveというはずなのだが、レコードの盤面にも、ビルボードの誌面上も、それが見当たらず、いつから(Love Is Like A) の部分は加わったのだろうか?

その頃ソ連では
1963年8月30日:「ホットライン」の電話機が米ホワイトハウスのオーバルオフィスとソ連のクレムリンの双方に設置される。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、今週見事1位に輝いたのは、白人少女3人組、Angels - My Boyfriend’s Backである。オールディーズファンならどなたでも好きであろうというこの曲。しかしアメリカの時代も変わり目で、サウンド的にも内容的にも、こういう無垢な曲はそろそろ最後かな。今回初めて聴いたが、B面は (Love me) Nowという曲らしい。

その頃ソ連では
1963年8月20日:ソ連とヨルダンが外交関係樹立。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、アメリカでは公民権運動とベトナム戦争が重なり、ポピュラー音楽の世界も、このあたりから急激に政治色を帯びてくるわけである。1963年8月28日には、ワシントン大行進が行われ、キング牧師が有名な「私には夢がある」演説を行うことになる。そんな時代背景の中、ちょっと取り上げるタイミングを逸してしまい、チャート上はもう下降線だが、今週6位に位置しているのが、Peter Paul & Mary - Blowin’ In The Windだった。まだスターになる前のボブ・ディランが、“No More Auction Block”という黒人霊歌に独自の詩を付けたものだった。

その頃ソ連では
1963年8月10日:これ以降、ソ連とダホメ王国(後のベナン共和国)の外交関係は、在トーゴ・ソ連大使館が担うこととなる。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 あれ、今号から、ビルボードのフォント変わった? 横広の文字になったね。しかし、分厚い本が1960年代の半ばに差し掛かり、ますますコピーしにくくなって、端の方が不鮮明になりがちな点、ご容赦を。

 さて、今週23位に位置しているのが、Gene Pitney - True Love Never Runs Smoothという佳曲である。これもDavid-Bacharachが残した数ある名曲の一つ。Petula Clarkのカバーの方を推す声もチラホラ。

その頃ソ連では
1963年8月9日:休暇中だったソ連の最高指導者フルシチョフ、核兵器禁止条約に署名するためにモスクワを訪れていたラスク米国務長官と別荘で会談。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、この週のチャートを見ると、私にとっての本筋と言えるタムラ・モータウンから、リトル・スティーヴィー・ワンダーのFingertips (Part II)が1位に輝いている。まあ、しかし、大ヒットの割には、現代の価値基準からすると、それほど何度も聴きたいと思う曲でもない。それよりは、むしろ54位のDarlene Love - Wait Til’ My Bobby Gets Homeの溌剌とした魅力に、強く惹かれる。種明かしをすれば、この曲は26位までしか上がらないので、もう取り上げてしまおう。

その頃ソ連では
1963年8月5日:米英ソが部分的核実験禁止条約を結び地上での実験が禁止に。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 今週1位に輝いたのが、Tymes - So Much In Love。いかにもアメリカン・オールディーズ然としたコーラス曲。日本では、山下達郎さんが一人アカペラでカバーしたことで有名だろう。ただ、前から思っていたのだが、カメオ・パークウェイというレーベルは、意図的に、こういうノスタルジックな作品を送り出していたような印象がある。1963年というと、もうドゥーワップは下火で、ビートルズら英国勢に席巻される前夜だったわけだが、古き良きアメリカン・オールディーズが最後の輝きを放った一曲がこれだったと、そんな感じがする。

その頃ソ連では
1963年7月29日:ソ連が旅客機「ツポレフ134」の初飛行を敢行。

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 さて、チャートアクション的には、これからもっと上がるのだが、今週29位のRandy & the Rainbows - Deniseは、オールディーズファンには人気の高い一曲だろう。それにしても、Rust Recordsって、何で「錆」なんて名前付けた?

その頃ソ連では
1963年7月24-26日:モスクワでコメコン加盟国共産党・労働党第一書記および首相会議。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 今週、ついに1位に上り詰めたのが、Jan & Dean - Surf Cityである。ジャン&ディーンというと、ビーチボーイズの弟分というようなイメージが強いが、この時点ではまだBBにNo.1ソングはなく(サーフィンUSAも3位止まり)、BBより先に全米1位を獲得したというのは、少々意外である。

その頃ソ連では
1963年7月9日:ソ連政府がシリアに対しイラク領内のクルド人に対する軍事行動に関与しないよう警告。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、今週20位で赤丸上昇中なのが、Doris Troy - Just One Lookという超有名曲。B面はBossa Nova Blues。蛇足ながら、ドリスに限らず、いつの日かComplete Atlantic Singlesみたいなものが出てほしいものである。

その頃ソ連では
1963年7月2日:ウクライナ共和国共産党でP.シェレストが第一書記に選出される。前第一書記のM.ピドホルヌィはソ連共産党の書記に昇進。

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 さて、今週1位のEssex - Easier Said Than Doneは、はっきり言って認識していない曲だった。何でも、リードボーカルのアニタ・ヒュームズとその他のメンバーは全員、この曲を録音した時、現役の海兵隊員だったらしい。

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その頃ソ連では
1963年6月26日:後に石油王となるミハイル・ホドルコフスキーがモスクワで生誕。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。今週はとりわけ画像が不鮮明だけど、原本の問題なので、悪しからず。

 さて、チャートの中位あたりを眺めていたら、Little Eva - Old Smokey Locomotionというのが目に留まった。明らかに、本人による前年のNo.1ヒット「ロコモーション」の2匹目のドジョウを狙ったものであり、作詞作曲も同じゴフィン&キングだったが、チャートアクションは今週の48位が最高だった。本人によるこういう続編的な曲があるというのは、初めて知ったな。

その頃ソ連では
1963年6月20日:米ソ間でホットライン開設に関する覚書が署名される。

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 さて、飛び切りの名曲がいた。今週5位で、最終的には3位まで上がるのが、Bobby Vinton - Blue On Blueである。これも先日亡くなったバート・バカラック作品で、信じられないようなメロディーである。ボビー・ヴィントンの歌唱の味わいが、これがまた。

その頃ソ連では
1963年6月16~19日:V.テレシコワが女性として人類初の宇宙飛行。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、ついにこの日がやって来た。キュー・サカモトのSUKIYAKIによる全米制覇である。確か、以前観たNHKのドキュメンタリー番組によると、西海岸の某DJがこの曲に注目し、じわじわと火が付いて大ヒットに繋がったというような話だったと思う。日本人アーティストによる初めての、そして今のところ唯一の(確かそうだよね?)、全米ナンバーワンであった。

その頃ソ連では
1963年6月14日~7月14日:ソ連と中国の共産党が書面で激しいイデオロギー論争を交わし合う。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、結局1位にはなれず、今週の3位がピークだったが、Crystals - Da Doo Ron Ron (When He Walked Me Home) は、アメリカンオールディーズ、ガールグループもののアンセム的な位置付けの名作であろう。鬼才フィル・スペクターの怨念が爆発したような曲だ。個人的には、こういうパワーのあるガールグループサウンドと、モータウンサウンドとの連続性を感じるのだが(サックスの間奏とか特にそう)、どうだろうか。

その頃ソ連では
1963年6月4日:キューバでの農業技術者養成センター開設を支援するためのソ連・キューバ間の協定。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、チャートの下の方を見ると、オーティス・レディングのスタックスからのデビュー曲(だよね?)、Otis Redding - These Arms Of Mineが85位に着けている。前年秋に発売されてから、半年以上をかけてようやくトップ100にたどり着いたが、ポップチャートではこの85位が最高だったようだ(R&Bチャートでは20位まで上昇)。ソウル史上最大の偉人とされるが、個人的にはこの曲が一番好きである。それにしても、キュー・サカモトとオーティスのデビュー曲を同じチャート上で眺めるのは、不思議な気分である。

その頃ソ連では
1963年5月:ベラルーシ共和国のミンスク・エンジン工場が生産を開始。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、今週11位と絶賛スマッシュヒットを記録中なのが、Dartells - Hot Pastrami である。パストラミというのはパンに挟んで食べたりする肉の食材のことだが、ジェイムス・ブラウンの諸作ように、食べ物名をひたすら連呼するだけというような曲が、この時代のヒット曲には結構あったようだ。

 そんな中、あの歌が今週20位まで迫ってきている。何だかハレー彗星を眺めているような気分だ。

その頃ソ連では
1963年5月23日:キューバのフィデル・カストロ氏にソ連邦英雄の称号が授けられる。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、今週チャートの1位に駆け上ったのが、Jimmy Soul - If You Wanna Be Happy という曲。はっきり言って、曲も、アーティストも、ついでに言えばS.P.Q.R.というレーベル名も、全部初耳だった。ナンバーワンソングでも、まだまだ自分が知らない曲もあるものである。ただ、自分の音楽ライブラリーを調べてみたら、しっかり入っていたという、いつものパターン(アメリカン・オールディーズのコンピに収録されていたようだ)。今聴くと、他愛ない曲という感じもして、むしろこの週のチャートの他の曲で、「こっちの方がナンバーワンにふさわしいのに」と思える曲がチラホラ。

その頃ソ連では
1963年5月23日:キューバのカストロ首相のソ連友好訪問を締め括るソ連・キューバの共同声明。

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 さて、今週7位で赤丸急上昇中のSurfin' USAに目が行きがちだが、それではベタすぎるので、あえてそのB面曲、今週49位でこちらも上昇中のThe Beach Boys - Shut Downを聴いてみようか。リンクを貼った動画は、歌詞付きであり、耳タコができるくらい聴き込んできたきたこの曲の歌詞を初めて見たが、歌詞を見ても、どういう内容の歌なのか、さっぱり分からない。改造車でぶっ飛ばすホットロッド文化を歌ったものであることは間違いないのだが、耳慣れない単語や表現ばかりで、チンプンカンプンだ。

その頃ソ連では
1963年5月11日:米国でソ連のスパイ、ルドルフ・アベルが逮捕される。

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 さて、今回は珍しく、エレキインストを取り上げてみようか。Chantays - Pipelineは、この週の4位が最高位だったようだ。この曲は、後にベンチャーズがカバーし、日本ではシングルヒットもしたので、日本ではベンチャーズの曲として認知されているのではないか。ベンチャーズ版は米英ではシングルカットもされなかったので、チャートには登場しなかった由だ。

その頃ソ連では
1963年4月27~5月24日:キューバのカストロ首相がソ連訪問。

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 さて今週No.1は、Little Peggy March - I Will Follow Him。個人的にも非常に耳馴染みはあるが、素性は良く知らなかった。この時、ペギー・マーチは実に15歳(リトルだけに)。曲自体は、1961年にフランスで作られた“Chariot”がオリジナルであり、それをイギリスでペトラ・クラークがレコーディングしたものが最初で、そのカバーだったらしい(YouTubeの解説欄より)。

その頃ソ連では
1963年4月13日:ベラルーシ共和国のミンスクでベラルーシ国立フィルハーモニーのコンサートホールが完成し、パイプオルガンが設置される。

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 さて、Andy Williams - Can’t Get Used To Losing Youは、この週の2位がピークだったか。実を言うと、あまりにも色んな人がカバーしていて、誰がオリジナルなのか知らなかった曲なのだが、アンディ・ウイリアムスだというのを、今回初めて知った。

その頃ソ連では
1963年4月13日:人工衛星「コスモス14号」がロシア南部カプースチン・ヤール基地から打ち上げられる。後にメテオールとして運用される気象衛星シリーズの最初のテストであった。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 4月11日にはビートルズのFrom Me to Youが初の英チャート入りしたということだが、アメリカに飛び火するにはまだしばらく時間がかかる。

 さて、そんな週のチャート、真ん中あたりを見ると、Exciters - He’s Got The Power がいるではありませんか。以前も同じグループのTell Himを取り上げたはずだが、それと並ぶ2大ヒット曲。オールディーズも曲によっては古臭いと感じるものも少なくないが、エキサイターズは令和の(?)今聴いてもサイコー。だいぶあとになり、1969年のBlowing Up My Mindは、たぶんあまり売れてはいないと思うが、ノーザンの大傑作としてマニアの間で有名。

その頃ソ連では
1963年4月3日:ソ連共産党中央委員会から中国共産党中央委員会への3月30日付書簡が公開される。5月15日にモスクワで首脳会談を行うことを提案した内容。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、この曲は1位になるだろうから、その時に取り上げようと思っていて、実は1位にならず、取り上げるタイミングを逸してしまったのが、今週3位のSkeeter Davis - The End Of The Worldである。もう30年前くらいになるが、とある事情で、この曲の音源が欲しくて、池袋界隈のCD屋をくまなく彷徨ったが、結局見付けられなかったということがあった。今ではYouTubeでワンタッチ、信じられない時代である。まあ、でも、歌は正直、カーペンターズのカレンの方が良いかな。Johnny Angelが竹内まりやの方が良いのと同じ原理だ。

その頃ソ連では
1963年4月2日:バイコヌール宇宙基地から打ち上げロケット「モルニヤ」が打ち上げられ、自動惑星間ステーション「ルナ4」を月軌道に乗せる。

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 今週、見事1位に輝いたのが、Laurieレーベルが送り出した黒人ガールグループ、Chiffons - He’s So Fineだった。後に、ビートルズ脱退後にジョージ・ハリスンが作った My Sweet Lord が、この曲のパクリだとして大問題になる、いわくつきの作品として知られる。

その頃ソ連では
1963年3月23日:ソ連映画委員会が設置される。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 1963年3月22日、ビートルズがファーストアルバム「Please Please Me」(正確にはそのモノラル盤)を発表するという、世界のポップス史上重要な出来事があった。ただし、そんなものがすぐに米HOT 100に反映されるはずはなく、まだ米チャートは嵐の前の静けさといったところ。

 そんな中、今週トップに立ったのが、ボーカルグループ、Ruby & the Romanticsのデビューヒット、Our Day Will Comeだった。女性ボーカルをフィーチャーしたボサノバもの。色んな人が取り上げているスタンダード的な曲だけど、正直言うとこのRuby & the Romanticsがオリジナルだとは知らなんだ。これもつい先日取り上げたばかりのJohnny Cymbal - Mr. Bass Manと同じKAPPレーベルか、すごい勢いだな。

その頃ソ連では
1963年3月21日:ソ連が人工衛星「コスモス13号」を打ち上げ。

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 ロシア・ウクライナ情勢が大変だが、毎週土曜日の息抜き企画を今日もお届けする。60年前のアメリカ・ヒットチャートを振り返るシリーズ。

 さて、チャート的にはこのあともうちょっと上がるのだが、今週37位に位置していたのが、Johnny Cymbalの有名曲、Mr. Bass Manだった。改めて見ると、この曲、ジョニー・シンバルの自作曲だったのか。音楽的才能のある人だったんだな。また、KAPPというレーベルも初めて知った。

その頃ソ連では
1963年3月13日:1923~1932年に存在したソ連最高国民経済会議が再び創設される。議長にはD.ウスチノフ。

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 さて、アメリカンオールディーズを代表する一曲、Cascades - Rhythm Of The Rain も、この週の3位が最高位だったか。ただ、息長く売れて、年間チャートでも上位だったと、先日別の方から教えていただいた。ポピュラー音楽にサウンドエフェクトを加えて成功した代表例と言えるかもしれない。

その頃ソ連では
1963年3月13日:ソ連がクウェートを国家承認。1961年6月に独立していた。

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