
この戦争で、戦闘の焦点はドンバスだが、それと同時にきわめて重大なのがロシアによる占領地のロシア化であり、とりわけヘルソン州がその試金石になると思われる。
ウクライナ側が元々設けていたヘルソン州行政府のウェブサイトは、こちらである。ところが、こちらに見るとおり、今般ロシアの占領当局は、ヘルソン州行政府の公式サイトを勝手に開設した。もうロシア連邦の一員としての歩みを開始しているかのような振る舞いである。
それと同時に、ロシア側はヘルソン市の市章を変更してしまった。以前、当ブログで連載していたとおり、私は紋章マニアであり、ロシアの占領はけしからんが、ヘルソン市の紋章には興味津々なので、ちょっとそれを見ておくことにする。
まず、ウクライナが2005年に制定した今日のヘルソン市の正式な市章が、下に見るものである。碇は当然、港町であることを表している。その上に描かれているのは、ヘルソン城塞という史跡の門である。

それに対し、今般ロシアの占領当局は、ヘルソンの市章を下のようなものに変更したと称している。これは、1803年に制定され1878年まで使用された図柄であり、帝政ロシア時代のいかにもノヴォロシア然としたデザインに戻したということなのだろう。

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