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 ニブロン社と言えば、農業王国ウクライナの中でも、国を代表する穀物および植物油輸出企業である。こちらが伝えているとおり、7月31日にロシアがミコライウを爆撃した際に、ニブロンの創業者であるオレクシー・ヴァダトゥルシキー氏の自宅も被害に遭い、同氏および妻のライサさんが亡くなったということである。

 今般の戦争で、私が研究していた一連の工場や港が破壊されたり戦場になったりしてきたが、さすがにオリガルヒが亡くなる事態はこれが初めてだと思う。当ブログでは2014年にウクライナのオリガルヒ・シリーズというのをお届けしたのだが、追悼の思いを込めて、ニブロンのヴァダトゥルシキー氏の回を以下復刻してお届けする。

 O.ヴァダトゥルシキーは、食糧企業「ニブロン」の創業者、共同オーナー、社長である。同氏は、ウクライナ南部において、ヤヌコーヴィチ旧政権と敵対していた急先鋒だったと言える。彼にとって前政権の治世は、ビジネスにとって常に脅威が生じた時代であり、彼の立場も当然である。

 過去4年間のいくつかの出来事を思い出せば、ヴァダトゥルシキーの立場も容易に理解できよう。すべては2010年夏に始まった。ニブロンが河川ターミナルを建設するのに障害が生じ、その後には支社長が起訴される事態となった。同年秋にはウクライナで穀物の輸出割当が導入され、「フレブ・インヴェストブド」なる会社が突如として市場に参入した。ニブロンにも一定の割当が提供されたが、計画していた輸出をこなすのにはまったく不充分な規模だった。しかも、割当分ですら、しばしば港湾が許可を出さず、大幅に遅延することが多かった。2011/12穀物年度には、ニブロンは過去数年で初めて最大の輸出企業の座から滑り落ち、フレブ・インヴェストブドにその座を明け渡した。

 2012年秋頃になると、ヤヌコーヴィチ・ファミリー派のYu.イヴァニュシチェンコがニブロンの一部を簒奪しようとしているとか、あるいはすでに簒奪したという噂が流れ始めた。ヴァダトゥルシキーはこの情報を否定しており、現実にニブロンの株の80%は同氏が保有し、残りの20%は息子のアンドリーが保有している。しかし、火のない所に煙は立たぬというものであり、関係筋によれば、ニブロンはファミリー側に上がりの一部を日常的に上納することを余儀なくされていたという。

 ヤヌコーヴィチ政権が採ったその他の政策も、ニブロンにとっては不利なものだった。特に、2013年暮れに再燃したロシア・ウクライナ・カザフスタンによる「穀物OPEC」構想が挙げられる。ニブロンが他の農業グループと異なる点は、土地資源がそれほど多くないにもかかわらず、高い収益性を挙げていることである。ニブロン傘下の農地は8万haほどなのに、40万haのカーネル、60万haのウクルランドファーミングに匹敵する利益を確保してきた。これは、輸出を主体としているからこそであった。しかし、穀物の国際カルテルが形成されたら、ロシアの競合業者と、ロシアの政治によって、自分たちの経営が左右されることになってしまう。ロシアの政治は、時に経済合理性を無視することで知られる。

 こうしたことから、2014年の3月初頭になると、ヤヌコーヴィチ政権下で常態化していた資産の分捕りを批判するヴァダトゥルシキーの声明がマスコミで流布するようになった。「古典的な乗っ取りの手口が横行してきた。週末に企業に武装した人々が押しかけて、守衛を追い出し、自分たちの経営者を連れてきて、彼らが経営者であると宣言する。クリミアでもまったく同じことが起きている」と、彼は指摘した。声明の中で彼はさらに、ロシア資本が取得した企業は悲惨な状態にあること、ロシアのテレビ局の嘘、マイダンで新たな民族が誕生しつつあること、分離主義は認められないこと、ウクライナの欧州選択、など多くについて語った。つまり、旗幟を鮮明にしたわけである。4月になるとヴァダトゥルシキーは、ヘルソン州での検問に当たっているミコライウ州駐留ウクライナ軍への支援を提供し、ミコライウ州の他の企業家たちにも傍観しないように呼びかけた。

 ヴァダトゥルシキーにとって頭が痛いのは、ニブロンの後継者問題である。いかに有能な同氏であっても、もう66歳である。彼には一人息子のアンドリーがおり、現在は副社長として働いている。ジュニアは、外国の取引相手を見付けることなど、一定の能力も見せてはいるが、父のような経営能力は望むべくもないとされる。


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