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 もうさんざんこすられた話題だが、5月9日の戦勝記念日演説で、プーチン大統領は以下のように述べた。

 今日、我々は大祖国戦争によって命を奪われたすべての人々の記憶、息子、娘、父親、母親、祖父、夫、妻、兄弟、姉妹、親族、友人の記憶に対し、首を垂れる。

 2014年5月に労働組合会館で生きたまま焼かれたオデーサの殉教者たちの記憶に、首を垂れる。ネオナチによる無慈悲な砲撃や野蛮な攻撃によって犠牲になったドンバスの高齢者、女性、子供たち、民間人にも。ロシアのために、正義の戦いで勇者の死を遂げた戦友に、首を垂れる。

 殉教者とは、ロシア語では「ムーチェニク(мученик)」という単語なのだが、先日TV番組に出演する際の打ち合わせで、なぜプーチンはそのような大仰な表現を使ったのかという質問を受けた。そこで、以前にプーチンがその単語を使ったケースがあったかと思い、検索してみたところ、2018年10月のヴァルダイ会議における発言が目に留まった。

 会議で、核兵器の先制使用に関する話題になったようである。こちらに見るとおり、その際にプーチンは次のように発言した。

 我が国の核兵器の概念に、先制攻撃はない。我々の概念は、反撃、報復攻撃だ。…もちろん、全世界的な大惨事になるが、我が国の側からその破局を始めることはない。…侵略者は、報復を避けられないことを知るべきだ。侵略者は殲滅される。我が国は、侵略の被害者となる。我々は殉教者として天国に行くが、彼らは単に死滅するだけである。なぜなら、悔い改める、いとまがないからだ。

 こうした前例から考えて、昨今のプーチンは善悪二元論的な思考を強めており、「殉教者」という表現には、「善玉である我が方が理不尽にも迫害を受けている」という歪んだ被害者意識が込められているのだろうと感じた次第。


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