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 なんだかんだで、現在までのところルカシェンコのベラルーシは、ロシアの対ウクライナ戦争への参戦を回避し続けている(領土を進撃拠点としてロシア軍に提供したことは看過できないが)。ベラルーシ軍はそれほど規模は大きくないとはいえ、もしベラルーシ軍が合流してロシア軍が厚みを増していたら、キーウ攻防戦の状況も多少変わったかもしれない。

 はっきり言って、「この戦争に加わりたくない」というのは、独裁者ルカシェンコと、ベラルーシの一般国民との、唯一と言っていい共通項だろう。それだけ、「戦争だけは勘弁」という意識が、ベラルーシ国民には染み付いている。

 そのあたりの事情につき、こちらの記事の中で、ロシアとベラルーシの有識者たちがコメントしている。ここではそのうちベラルーシ側の2名のコメントを以下のとおり抄訳しておく。

 G.コルシュノフ(「新思考センター」分析家、ベラルーシ科学アカデミー社会学研究所元所長):ロシアとベラルーシで、大祖国戦争の歴史・記憶が共通だというのは、大きな間違い。「200年の共通の歴史」というのはイデオロギー的には都合が良いが、両国民の歴史観は異なる。ベラルーシ側では、ロシア化の歴史、ベラルーシの土地の征服の歴史として受け取られる。大祖国戦争についての認識も同様である。ロシアの場合は、国土のヨーロッパ部しか戦場にならず、ロシア国民にとっては戦争とは前線+銃後である。一方、ベラルーシ国民にとって戦争とは占領で、死は多くの人にとって現実の脅威であった。ベラルーシ国民にとって戦争とは黒と白ではなく、すべてが黒。それが浮き彫りとなるのが戦勝記念日で、過去5~7年ロシアではそれが勝利の日で、今後も再現可能とイメージされるのに対し、ベラルーシでは「もう二度と繰り返さない」という思いになる。

 A.カザケヴィチ(ベラルーシの政治評論家):ロシア国民にとっての戦争のイメージは、何よりまず精神的高揚、武器、国家の勝利であるのに対し、ベラルーシ国民にとっては、多数の犠牲者、占領、災厄を伴う悲劇である。また、ロシア国民は自国を帝国とイメージし、周辺国に影響力を行使し世界の運命を決める存在だと思っている。ゆえに、ロシア国民は自国が対外的、軍事的な積極策をとることを好感する。過去十数年、国民はジョージア、ウクライナ、シリアでの戦争に反対しておらず、むしろ戦争への反対は屈服と受け止められてきた。また、ロシアでは多くの問題にもかかわらず何だかんだで政権は過半数の有権者をコントロールしており、ゆえに政権の政策への支持が得やすいのに対し、ベラルーシでは政治危機が収束しておらず、政権を支持しているのは3分の1以下である。ロシアでは体制が情報空間をコントロール下に置いているのに対し、ベラルーシでは国営マスコミは25~35%の人にしか見られていない。ベラルーシでも、ロシアのナラティブが浸透はしているが、それでも独立系メディアが力を保っている。


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