私はウクライナのドネツク州に一度しか行ったことがなく、それは2007年12月のことだった。
ドネツク一帯の石炭資源が注目されるようになったのが、17世紀末から18世紀初めのピョートル大帝の時代。1779年、アレクサンドロフカという村が当地に設けられ、最初の炭坑がいくつか出来た。その後、石炭産業は拡大し、それを活用した鉄道レールの生産工場が当地に建設されることに。そして、1869年、その利権がウェールズ人実業家のジョン・ヒューズに売却された。ヒューズは「ノヴォロシア石炭・鉄・レール生産会社」を設立、それを中心とした「ユーゾフカ」という街がつくられ(「ユーゾフカ」は「ヒューズ」のロシア語発音にちなむ)、これが現在のドネツク市の始まりとされている。
上の写真は、ドネツク冶金工場に石炭が運び込まれる様子。ここは、かつてジョン・ヒューズが設立した工場の後継企業に他ならず、街の南側の広大な領域を占めていた。
ドネツクでは、徒歩で街の中心部を闊歩するのもさることながら、街の外れにあったりする工場などを見て回りたかったから、タクシーが重宝した。たまたま拾ったアンドレイという 名前のタクシー運転手が面白いやつで、経済や地元の事情に通じており、彼の話から学ぶところが大だった。何でも、以前はいくつかのカジノの支配人を務めていたそうで、若い割には世の中の表と裏をよく知っている男だった。
工場ではないが、下の写真は鉄道の駅舎。100万都市の中央駅にしては、小規模な印象だった。
運転手アンドレイの案内が非常に有益なので、土曜日に予定していたクラマトルスク市への訪問も、彼に頼むことにした。クラマトルスクは、ドネツクから北西方向に車で2時間ほどのところにある中規模の都市。機械産業の集積地であり、州都のドネツク市を見ただけでは分からない地方経済の苦しい実情を探りたいという思惑があったのだが、予想に反し、クラマトルスクもなかなか景気が良いようで、スーパーマーケットや家電店などの出店ラッシュに沸いていた。写真はクラマトルスクの中核企業、ノヴォクラマトルスク機械工場。
クラマトルスクを訪問したあと、ちょっと欲張って、一路南に向かい、ドネツク州のもう一つの重要都市、アゾフ海に面したマリウポリも視察した。アンドレイはマリウポリでタクシー運転手をしていたこともあるそうで、手際よく見て回ることができたが、それでもマリウポリ視察を終えた夕方頃には、辺りはもう真っ暗。マリウポリの港は思ったよりも小規模で拍子抜けだったが、大手鉄鋼メーカーの「イリチ記念製鉄所」 および「アゾフスターリ」の雄姿は壮観だった。地球環境の危機が叫ばれる御時世に、煙をモクモク上げる工場を見て喜んではいけないのかもしれないが、ウクライナ経済の脈動を目の当たりにしたようで、満足感を味わった。
下に見るのは、イリチ記念製鉄所。巨大工場なので、全体を写真に収めるのが難しい。
これまた巨大なアゾフスターリ。煙突が勢いよく煙を吐き出す。
ところで、当時私は、黒海というエリアの研究に没頭しようとしていたところだったのだけれど、実を言うとこの2007年の時点では、黒海を自分の目で見たことが一度もなかった。このドネツク出張で、黒海に連なるアゾフ海に面したマリウポリを視察することになって、ようやくその念願が叶うかと思われた。しかし、その話をアンドレイにすると、「アゾフ海は黒海の一部ではなく、まったく別物。混同してはダメ」とのこと。彼に言わせると、アゾフ海は淀んだ内海であり、あんなところで喜んで泳ぐのはロシア人くらいで、ウクライナ人にとって海と言えば絶対に黒海なのだ、とのことだった。下の写真はアゾフ海に臨むマリウポリ港で、ピンボケで恐縮。
あれから十余年。この地域が21世紀の国際政治の火薬庫になるとは、あの頃は思いもしなかった。
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