molpa

 モルドバの政局に関しては、当ブログでは2月27日に「モルドバ議会選挙後の袋小路」と題するエントリーをお届けしたきりで、その後、続報をお伝えできず、心苦しく思っていた。きわめて安直ながら、日本語版ウィキペディアのこちらのページでその後の流れが整理されているので、引用させていただく。

 2019年2月24日のモルドバ総選挙ではドドンのモルドバ共和国社会党が34議席を獲得し、30議席のモルドバ民主党を上回ったが過半数を得ることはできず、その後の連立政権交渉は失敗し続けた。6月7日、憲法裁判所は議会の解散と総選挙を行うことを決定。ドドンはこれに応じず、首班をマイア・サンドゥとする連立政権樹立を決定し、8日に議会がこれを承認した。しかしモルドバ民主党はこれを違憲として憲法裁判所に申し立てた結果、ドドンを職務停止とし、パヴェル・フィリプ首相を大統領代行とする決定を下した。9日、フィリプ大統領代行は議会解散と、9月の総選挙実施を決定。ドドンは反発し、外国の介入を要請した。6月14日、憲法裁判所が一転して8日の違憲判決を破棄し、フィリプ政権は崩壊。サンドゥ政権が権力を掌握した。

 前置きが長くなったが、こうしたモルドバ政治の深層につき、こちらのサイトでI.キセリョフという論者が論評しているので、骨子をまとめておく。

 6月8日の社会党とACUMによる連立協定は、まったく異なる政策と地政学路線の勢力が議会で手を組んだという意味で、旧ソ連圏だけでなく、全世界的に見ても稀有な出来事であった。それゆえ、この連立はもってもせいぜい数週間だろうなどと指摘された。しかし、かれこれ2ヵ月近く持ち堪えているわけで、これはつい最近まで完全な政敵同士と思われていた両勢力が、国の利益のために妥協を見出し、モルドバ国家機構をオリガルヒのV.プラホトニューク氏(現時点ではモルドバから逃れている)の影響から解き放つ作業を着々と実施していることを物語っている。

 思い起こせば、総選挙後の数週間は、社会党とACUMの連携など、まったく想定外だった。しかも、ACUMは、どんな条件でも、いかなる連立にも応じないと明言していた。だた、しばらく経つと、ACUMは結局、連立の条件を提示した。ACUMは2つの政党の連合体であり、ACUMは両方の党首、A.ナスタセとM.サンドゥに、それぞれ議会議長職と首相職をあてがうことを要求した。社会党の35議席に対し、ACUMには26議席しかないにもかかわらず、である。

 しかし、再選挙をやればプラホトニューク派の利益になるとの危機意識から、連立形成の期限が迫るに連れ、ACUMは社会党と接近していった。結局、土壇場の6月8日に、連立協定が締結された。社会党の側も譲歩し、事前に要求を出していた内相と外相のポストは断念し、Z.グレチャヌィが議会議長に就くということで同意した。ナスタセは内相・副首相に、サンドゥが首相に就任した。国防相を除く執行権はACUMが掌握することになった。

 政権ポストの配分をめぐる妥協に加え、連立を安定させている要因の一つが、社会党とACUMが大同団結しなければ、プラホトニューク時代にモルドバが陥った破局的状況から国を救うことはできないという危機感である。そのためなら、両勢力は地政学的方向性の違いを棚上げするだけでなく、欧米やロシアをモルドバを救うという目的のために活用する用意もある。社会党側がEUとの関係を重視してみせたり、サンドゥ首相がブリュッセルに出向いた際には逆にロシアとの関係の重要性を強調したりしている。

 今後に関して言えば、10月20日に統一地方選が予定されており、それが連立にとっての試金石となる。特にキシナウ市長のポスト争いは熾烈となる。

 今回の予期せぬ連立をもたらした、もう一つの重要な要因は、今日のような地政学的対立の状況にもかかわらず、ロシア、米、EUといった外国パートナーの間に、理解があったことである。また、ドドン大統領は常に社会党とACUMの協調と協力を重視する姿勢をとっており、それも連立を強化する上で重要な要因となっている。


ブログランキングに参加しています
1日1回クリックをお願いします
にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ