取り上げるのがやや遅れてしまったが、3月11日付の『コメルサント』紙に、来たるプーチン新政権の下で形成される政権幹部の陣容を、過去の事例も参照しながら占った記事が出ている。そこで、記事の要旨を整理しておきたい。ただ、少々長く、今日中にはすべて処理できないので、とりあえず前半だけアップし、続きは明日フォローしたい。

 プーチンとメドヴェージェフが政府の人事について話し合うのは、2008年春に続いて、今回が2度目である。前回の作業は、人事的な観点から言えば、上手く行った。というのも、2008年春に形成された政府および大統領府の陣容は、2011年の下院選まで、ほぼ変更なしで続いたからである。例外的に人事異動があったのは、2008年10月にD.コザク副首相が兼務していた地域発展相のポストを離れ単なる副首相になったこと、2010年1月に北カフカス連邦管区が創設されその全権代表に就任したA.フロポニンが副首相の座にも就いたこと、2010年秋にS.ソビャニン副首相・官房長官がモスクワ市長に転身して、その後任には下院副議長のV.ヴォロジンが就いたこと、程度だった。

 2011年12月の下院選後の選挙戦に突入し、ようやく大きな人事が動き出した。プーチンの大統領への復帰とメドヴェージェフの首相就任の方針が発表されたことを受け、後者の下で働くことをよしとしなかったA.クドリン副首相・蔵相が辞任した。下院選後には、人事異動が加速し、12月後半に前大統領府長官のS.ナルィシキンが新たな下院の議長に就任、副首相だったA.ジューコフが下院第一副首相の一人となった。さらに大きい動きとして、前副首相のS.イヴァノフが大統領府長官に就任、前出のV.ヴォロジンが大統領府第一副長官となった。一方、これまで大統領府第一副長官だったV.スルコフが、政府に移って文化・科学分野の近代化問題などを担当する副首相となった。さらに、D.ロゴジン氏が副首相に就任した。

 次の人事異動は、5月7日のプーチン大統領就任式の後になると見られる。プーチンもメドヴェージェフも、政府が大幅に刷新されると再三公言している。専門家は、現在の内閣の顔触れが全面的に変わるだけでなく、その構造自体が変わると予想している。ただ、これは選挙前によくある意欲の表明と言っていい。政権人事には2つのパターンがあり、人を目的・機能に当てはめるか、あるいは人に目的・機能を当てはめるかのどちらかである。ロシアでは常にその両者のミックスで、後者の方に傾きがちである。

 たとえば、2004年に再選を果たしたプーチン大統領の下で組閣された際には、現在と同じように、国家管理の改革というスローガンがあった。その改革は、①ビジネスへの圧迫を低め腐敗と闘争するための行政改革、②国家歳出の効率を高めるための財政過程改革、に大別された。そのため、下院から政府にA.ジューコフが副首相として送り込まれ、その眼目の一つには歳出の効果を高めるための新たな委員会を率いることがあった。

 2008年に首相に転身したプーチン氏は、国家管理に関し特段の新機軸を打ち出さなかった。より重要だったのは、クレムリンのメンバーたちをポストに適宜配置することだったからである。この点は、その後4年間で人事の動きが最小限だったことの一因となった。

 今回は、首相と大統領府が入れ替わる形となるので、政府および大統領府を改組する際に、分け与えなければいけないポストが、ずっと多い。ただ、関係筋によると、最も重要な課題は、2008年の時と同じように、安定的なチームを作ることだという。